「外食の裏側」を見抜くプロの全スキル、教えます。

Amazonのレビューでも概ね高評価です。
読んだら怖くて外食できなくなるかな,と思いつつ恐る恐る読んでみましたが,普段もやもやと何となく感じていたことへの,”プロ”の目からの裏付けが得られるような本でした。
ところで,星5つや4つの高評価の中,星2つのレビューの中で興味深いものがあったので引用します。それはあるかもねえ。

どちらかというと中食(スーパー・コンビニ)側に立つ著者の、
同じ食べ物商売なのに、外食産業だけ

「法律がゆるくてうらやましい?!」
「あいつらだけズルしてる?!!」

って心の叫びが執筆の原動力になっている気がしました(笑)。 
※P118・L2~L7参照

外食が味を落として安全を担保することに批判的な文にいたっては
単なるやっかみに誤解されかねないので、記載しない方が良かったかと。

恐らくこの本の裏テーマは「中食VS外食」なのでしょう。

国税局査察部24時

国税局査察部24時 (講談社現代新書)

国税局査察部24時 (講談社現代新書)

著者は「千葉県内および東京都内の税務署勤務を経て,88年に東京国税局査察部に配属。その後,2007年に千葉県内の税務署の統括国税調査官として配属されるまでの合計17年間(途中,2年間の税務署勤務をはさむ)を,マルサの内偵調査部門で勤務した。」ということです。
なお著者は現在税理士として働いておられ,本書の執筆は筆名だそうです。
なかなか面白かったです。
本書を読むと,源泉徴収のサラリーマン=正直者がバカを見る,ようなことがないように,マルサ頑張って!という気持ちになります(笑)。
やや本筋からそれますが,お小遣い稼ぎの軽い気持ちで使わなくなった銀行口座を売ってしまうことの危険性,学生に注意喚起する必要があるかもしれませんね*1

p.226
わずかなカネに目が眩んで口座を売却すると,後で大きなしっぺ返しを食らう可能性がある。なぜなら口座売買で人手に渡った口座は百パーセント違法行為に使われるからだ。

p.227(当該口座が詐欺に悪用された後)
名義人のところに警察がやってくる。「軽い気持ちでお金欲しさに口座を売却した。犯罪や詐欺に使われるなんて思いもしなかった」などの言い訳をしたところで後の祭りだ。
口座売買自体が禁止行為のため,検挙されてしまうこともある。法律では通帳やキャッシュカードの売買・譲渡を行った者は罰金50万円以下,商売として行った者は懲役2年以下又は罰金300万円以下の刑が科される。

p.227
詐欺が発覚した時点では犯罪が完了していて,犯罪者は既に安全な場所へ隠れてしまっているため,口座を売却した人だけが罰せられていることさえある。わずかなお金の為に,人生を棒に振ることになりかねない。これが口座売買に潜む危険の実態だ。

*1:振り込み詐欺のお金引き出し・受け取り役をバイトとしてやることの危険性も!

占星術夜話

占星術夜話

占星術夜話

鏡リュウジ先生が,雑誌「ムー」に連載しておられた記事をまとめた本です。
なので,すでに時期的にずれてる内容もあるのですが,年季の入った占星オタクらしい問わず語りな本で楽しかったです。
占星関連でタロットやユング心理学に関する記事もあります。その中で,タロットに関する記述は笑いつつ,なるほど~と思いました。
タロットの「力」というカードは,女性がライオンの口を優しくこじ開けて(?)いる図なのですが,これは聖書に出てくる英雄怪力サムソンのライオン引き裂き退治の絵画が元ネタ?→後に(聖書のサムソンの話を知らない)絵師がサムソンを長髪から女性と誤解してタロット図版を描いた,という説を書かれていました。
何だかな~お笑いだな~という感じですが,でもそういう話からこういうことも考えられるよね,ということはちょっと感銘を受けました。

p.134
こうした「誤解」や「誤読」が一人歩きして,タロットの図像のなかに入り込んでいったことは,おそらく何度かあっただろう。しかし,だからといってタロットの解釈が無価値になるかといえばそうではない,と僕は考える。
「誤読」が起こるとき,そこには心理学的な投影が必ず入り込む。いうなれば,人はそこに己の心の深層を「読み込む」。こうした創造的な誤読が積み重なって集合的な無意識の象徴表現としてのタロットが育まれたと考えてはどうだろう。

p.134
このように考えてくると,タロットの歴史には「誤解」があったからこそ,そのなかに人々のイマジネーションが投影され,心理学的に強力なツールとして僕たちの心を揺さぶるものへと変容していった,と考えてもいいのである。
その意味で,タロットの真の起源はエジプトでもカバラでもなく,人間の魂の深層だと考えることができるのである。

IoTとは何か 技術革新から社会革新へ

TRONプロジェクトで有名な坂村健先生が,IoTについて,ご自身の関わっているプロジェクトを中心に述べた本です。
IoTについて,単に技術そのものができました,だけでは駄目で,その技術を実際に社会の中で活かすためには法律や制度を整備する必要があるし,日本人の考え方(スタイル,とでもいえそうな;本書では「哲学」という言葉で表現されていますが)から変えないと遅れをとってしまう,と繰り返し一生懸命書かれていたのが印象的でした。
実は,本書の要点は「おわりに」に集約されているように見えるので,「おわりに」を読んでから本文を読むといいかもです。
IoTについてよく知らないので,へえ~と思いながら結構沢山メモを取りました。その中から一部抜粋。

  • 道路交通網と対比させIoTを語る

pp.159-160
何度も述べてきたとおり,境界が明確なシステムでは,特定のシステム管理主体がその全体機能についてギャランティ(保証)するが,オープンシステムは―インターネットがその典型であるが,特定のシステム主体はなく,その全体についてギャランティは不可能で,個々の関係者のベストエフォートにより成り立たざるをえない。
道路交通網がその典型であるが,道路交通法自動車保険などさまざまな社会制度により,技術の不足を補って成り立っているというのも,オープンシステムの特徴である。
しかし,まさにベストエフォートで境界が不明確だからこそ,オープンなシステムは社会のイノベーションに大きな力を発揮する。インターネットの技術開発の時点で,現在のその応用のほとんどは予見もされていなかった。コンピューターをローカルネットワークを超えて繋ぐという目的は明確だったが,その応用に関しては研究用という程度で確定したものではなかった。
しかし,予見できない革新こそがイノベーションであるという定義からいって,プロトコルの工夫でWWWを始めとする予見できない応用を生むことができたというそのオープン性こそが,もっとも重要な,インターネットのアーキテクチャ的な優位性の本質であったと言っても過言ではないだろう。
日本の組織・個人は,一般に責任感が強く失敗を恐れる傾向が強い,いわばギャランティ志向である。ギャランティ志向は,ベストエフォートにより成り立たざるをえないオープンなシステムとは親和性が悪い。そのことがインターネットを始めとする,現在主流のオープンな情報システムを構築する上で,日本が後手に回る要因になっているように見受けられる。

  • オープンAPIの効用

pp.126-127
先にオープンデータを行うなら単なるPDFでなくAPIで行えと指摘した。それをさらに一歩すすめて,今までクローズだったコンピューター組み込み製品の制御APIをオープンにしましょうという運動が「オープンAPI」だ。考え方としてはオープンソース,オープンデータと同様,公開することでいろいろな人やシステムがAPIを通してコラボレーションできるようにすることだ。高度なパッケージソフトや組み込み製品の制御プログラム自体をオープンソースにするのは,技術の秘密の開示で抵抗が大きい。それよりは,うまくAPIを定めてそれを公開させた方が効果が高いし現実的だ。
機器やシステムのソースを公開してもそれを活用できる人の数は限られるし,多くのメーカーはソースを公開することでノウハウが流出することを恐れるだろう。

p.128
機器やシステムのAPIをメーカーが公開してくれれば,それを使えるアプリケーションは多くの人で開発できるし,それが配布されれば多くの人が恩恵に与れる。以前より有用性が増し,多くの人がその製品を買えばメーカーにとっても嬉しい。だからこそ,オープンソースよりもオープンAPIの方が組み込みの世界では影響力が大きいと思われる。

p.129
また,それこそオープンソースで多くの高度な機能モジュールが公開されており,ネットからそれらを集めて組み合わせるだけで,低コストかつ短時間で,簡単に高度な機能のアプリが開発できる。パソコン時代では会社組織で年単位かかっていたような開発を個人が数ヶ月で完了でき,それを流通させるのもネットで,ほとんどコストなく一瞬で行えるのが現代なのだ。

p.130
オープンAPIにすると障碍者対応も容易になる。肢体不自由の方が声だけで家電など各種の組込み機器を制御するアプリも,ボランティアで開発できるようになる。

p.130
自分の属性に最適化したユーザインタフェースを作ってほしいという希望は確かにある。
しかし,メーカーにそういうことを期待しても,世界でたったひとりしか使わないユーザインタフェースを実装するのは「さすがに勘弁してください」となる。
そこで,制御したい組み込み機器のAPIが公開されていれば,ボランティアがその人のためのユーザインタフェースを作れるし,もしも最愛の人が障碍者になってしまったときは,家族が勉強してプログラムを作るかもしれない。

  • 東日本大震災でホンダがカーナビデータを吸い上げて集計し,Googleと協力してマップに反映した事例から

p.185-186 (プライバシーの問題が,について)
だが個人情報を受けた(受け取ってしまった)側が,状況に応じて個人の利益に反しないように適切に扱う「事業者側の義務」としてプライバシーを再定義すれば,このケースは利用した「意図の正当性」の問題となり,震災時ということを考えれば十分認められる範囲となる。
ここで重要なのは,「意図の正当性」の公的な事後評価の制度設計で,海事裁判所のような専門的な一種の「情報利用裁判所」といった機関を設けることが必要になるかもしれない。そこで審査し,意図が認めがたいということになれば事業者には罰則―事後的な抑止力によりプライバシーの濫用を防ぐという制度設計である。

pp.186-187
ネットワーク時代のパブリックの概念として,状況に応じて個人が公共のために個人情報を積極的に出すといった社会的責任の確立が必要だ。このような公共概念はまさに,受けた(受け取ってしまった)側の適切な利用義務というプライバシーの概念と対になって初めて成立するのである。

他にも色々,ああそうか~と思うとこいっぱいありました。
この手の本は鮮度が重要なので,是非すぐにお読みください。

希望の裁判所 ― 私たちはこう考える

「開かれた司法の推進と司法機能の充実強化に寄与することを目的とする、現職の裁判官の団体」日本裁判官ネットワーク編著の本です。
元裁判官で現大学教授によって書かれた,『絶望の裁判所』を念頭に置いたタイトルなのでしょうね。
司法制度改革,いろいろ言われているけれども,裁判は昭和の時代よりもこういうところがよくなっていると思うよ!ということを,現職および元裁判官(現在弁護士や大学教授),弁護士の先生方が寄稿されておられます。
門外漢には本書の内容の客観的評価はできませんが,「絶望」とこの「希望」の中間地帯に「ほんとう」の裁判所が幅をもって存在しているのだろうと思います。
つまりはどちらも読んでおく必要があると思います。
あちこちメモを取りながら読みましたが,まあ日本人てそうだよねえと思ったところ,引用しておきます。
第3部 希望の弁護士>弁護士の輝く時代へ 久保井一匡>6 裁判所に対して感じていること>(1)上からの改革~よくなってきた裁判所

p.192
このところの司法制度改革で民事裁判にしても行政裁判,刑事裁判にしても,裁判所は以前より非常によくなっていると私は考えています。日本の社会は江戸時代が終わって明治維新第二次世界大戦後のの戦後の改革,常に上からの改革,この平成の第三の改革にしても,常に上からの改革でした。
戦後の日本国憲法の制定にしても当時の日本の社会のレベルからすると憲法のレベルには達していなかった。明治維新のときも近代国家の建設といったところで,とても民衆はついていけなかったのであって,上からの力で無理やり箱を作ってその箱に国民がついていった。ですから,司法改革についても,現実のニーズに合わせて法曹人口を決めていったら,進歩というものがないのであって,まず1500人,2000人という箱を作って,その箱に合ったかたちで何年かあとで事件がついてくるというべきです。佐藤幸治先生に対して「現場のニーズを考えずに,査定せずに,大きな箱を作りすぎた」との批判がありますが,その批判は間違っています。上からの改革がなかったら日本の社会は変化しないからです。最高裁判所は範を示したでしょう?最近は伸び伸びとした判決を書いているじゃありませんか。滝井繁男さんは世論に乗って頑張ったわけです。最高裁が頑張ったら下級審も安心して頑張れる。

いい箱を作れれば成功するってことなんだろうね。
あるあるあるある,って思うけれども,箱を作る人の見識に依存してしまうのが困るよね。

今まで使ってきたPCたち。

いつか何とかせねばと思いつつ,使わなくなったPCが家にたまっていたのを,ついにリサイクル業者に処理依頼することにしました。
これを機に,今まで使ってきたPCのことを書きとめておこうと思います。

  • 1台目:NEC PC-9801VX

参考:http://adachi-giken.com/computer/pc98/pc98-outline.html
1986年6月頃~1992年3月まで使用。
あんまり高度なことはしてなくて,ワープロ(一太郎),ゲーム,BASICで少々遊んでいた程度。
子どもだったので,電話回線を使ってパソコン通信などするまでには至りませんでした。もしやっていたら,世界が変わっただろうな~
lionusが大学入学で関西に行く際に富士通OASYSワープロは持っていきましたが,これは実家に残していきました。主に母親?がゲームに使っていたようですが,ゲームが入っているメディア=5インチFDが逝ってしまいゲームができなくなったのを機に,いつの間にか処分されていました・・・

参考:http://dia.way-nifty.com/memo/2005/09/post-3734.html
1996年~1998年まで使用。
Pentium120MHz,メモリ16MB→買った当時ノートPCでメモリを16MBも載せているなんて!と思い,頑張って買いました。
このPCを手に入れて,ニフティサーブに入会してパソコン通信をちょこっとやりました。
改めて手にすると,重っ!3~4kgはありそうです。これをそれ自体結構重いPCバッグに入れて大学まで山登りしてたんだなあ・・・
特徴的なのが,CDROMドライブとFDドライブは本体に両方とも内蔵されているのではなく,それぞれ入れ替え可能なカートリッジ的な形になっている,つまりFDドライブをセットしたらCDROMドライブは取り出しておかねばならず同時には使えない,という方式だったのです。
そのような何だかややこしい作りのためか虚弱体質で,HDDが徐々におかしくなりついには起動しなくなったのですが,ファイルのバックアップを取っていなかったので,慌ててDOSコマンドで可能な限りファイルをフロッピーにサルベージしたことを思い出しました。
今回ぱかっと開いてみたら,液晶画面と本体をつなぐヒンジ部分のプラスチックがバキッ,粉々になってしまいびっくりしました。20年の経年劣化ってやつでしょうか。

参考:https://www.inversenet.co.jp/pclist/product/SHARP/MN%252D340%252DX15.html
1998年~2001年くらい?
MMXPentium150MHz,メモリ32MB
テレホでインターネットしてた頃ですね。
これも重いです。前代メビウスと同じく3~4kgありそうです。
今回電源入れてみたら,Windows95がちゃんと立ち上がったのにはびっくりしました。
前代のメビウスも同じくWindows95でしたが,このメビウス二代目は丈夫でさくさく動く働き者で非常に使いやすかった記憶があります。
メビウスノートが製品としてこなれてきた頃だったのかもしれません。こちらはぱかっと開いてもバキッとなることはありませんでしたが,さすがに液晶の映りはぼんやり見えにくくなっていました。

参考:http://ascii.jp/elem/000/000/313/313548/
1999年?~2003年?
MMXPentium266MHz,メモリ32MB?もしかすると64MBに増設してたかも。
3台目メビウスと時期かぶっていますが,多分,重いけれども大きさがコンパクトなメビウスを大学に持っていく用に,平たくて表面積が大きい4台目ダイナブックを家用にしてたのかも。
ダイナブックWindows98USBメモリを使い始めました。FDと比べて容量が大きくて(8MBとか16MBだけど),学生の提出物を楽々回収できるようになって有難かったなあ~
2ちゃんで実況をよくやってたのはこの頃です。
今回電源を入れてみましたが,HDDを認識せず立ち上がりませんでした。

2003年2月?~2008年
PentiumIII1GHz,256MB
型番で検索しても,1800は沢山出てくるのですが,1801はさっぱりで,どうもWindowsXP ProfessionalでワイヤレスLAN内蔵を当時売りにしてた限定生産モデルらしかったです。
参考:http://dynabook.com/pc/catalog/limited/rps180ap/index_j.htm
確かに,そのあたり比較熟慮して買った気がします。
そしてこの5台目ダイナブックを購入した後に自宅内を無線LAN化したはずです。
今回まだちゃんと生きていて立ち上がってくれました。

参考:http://ascii.jp/elem/000/000/014/14631/
2003年?~2009年くらいまで
PentiumM900MHz,256MB
この頃は自分比であちこちの学会に行きまくっていたので,モバイルPCが欲しくなり,大学生協で法人向けモデルが売っているのを衝動買いしました。
だから5台目ダイナブックと時期がかぶっています。
コンパクト(B5サイズ)で軽いのに光学ドライブがついていてSDカードも使えるのがよかったです。液晶もきれいで小さい画面でも見やすかった。ただ一点,無線LAN内蔵でないのが不便でした。PCカードスロットが1つあったので,そこに無線LAN用のカードを挿して使ってました。
レッツノートの素晴らしさを知ることができた一台ですが,HDDの調子が悪くなったため業者に依頼して換装後も調子が芳しくなく,モバイルPCの座はDell mini 10(7台目,一時一世を風靡したネットブックのひとつ)に明け渡すこととなりました。
けれども今回こいつも電源入れたら立ち上がってくれました。

参考:http://www.notebookcheck.net/Review-HP-Compaq-6720s-Notebook.9083.0.html
2008年~2014年
Core2DuoプロセッサT7250 2.0GHz,1.99GB
Vistaを避けてWindowsXP Professional SP2を選びたく,量販店の店頭売りでなく自分で構成をカスタマイズできるHPで初めて買ってみました。
当初,DELLにするか迷ったのですが,某非常勤先で,
「お盆休み中,酷暑でエアコンが故障してしまい灼熱地獄と化した某所のサーバルームで仮死状態になりつつも生き延びたのがHP製(I○M製のはお亡くなりになったそうです)であった」
と職員さんから聞いた話が印象的だったので,実機が見られる場所に行って確認した上で,HPにしました。
こいつも長いことよく働いてくれました。なおこの8台目Compaqは今回処分の対象にはしていません。
まだ動くXPマシンとしてしばらく手元に置いておこうと思います(決してネットにつないだりはしませんがスタンドアロンで使うことがある可能性が)。

  • 9台目:HP ProBook 4740s

参考:http://www.notebookcheck.net/Review-HP-ProBook-4740s-Notebook.84313.0.html
2013年購入,実働は2014年~現在
Core-i5-3360M 2.80GHz,8GB
XPからWindows7(Professional SP1)に以降するために購入したPCです。
2013年に買ったのですが,2013年は自分が入院したりプライベートがぐちゃぐちゃでPCお引越しの気力がなかったし,2013年度は非常勤先もXPのままだったのかもしれません(記憶が・・・)。
初のワイド画面です。届いたとき,”デカっ”と思いました(笑)。持ち歩く気にはまずなれませんが,ノートPCなのにせせこましい感がなくゆったりと使えるのはいいです。
実働開始後ちょうど3年目でシステム再セットアップと相成りましたが,ハードな使い方をしている割には機嫌よく働いてくれるのは何よりです。
こちらもメインの非常勤先がOSをWindows7から変えるまで(次はWin10?はたまたまた次の?)はメインPCとして使い続けるつもりです。

工学部ヒラノ教授とおもいでの弁当箱

工学部ヒラノ教授とおもいでの弁当箱

工学部ヒラノ教授とおもいでの弁当箱

いつの間にかまた工学部ヒラノ教授シリーズの新刊が出ていました。
ちょっと前,『工学部ヒラノ教授の介護日誌』を読んで,その内容の鬱さに「工学部ヒラノ教授シリーズはこれで最後になってしまうのではないか?」と思ったのですが,また新刊に出会うことができて,安堵しました。
幼稚園の頃から現在まで,その時々に食べていたものを軸とした思い出話の本です。
相変わらず面白かったですが,短くまとめると:

  • 母の食事はなんともまずかった(+長男三男の間でないがしろにされていた恨み言)
  • 妻の作る食事はうまかった

全15章のうち,11章以降は奥様が難病を発症されて介護する側=「食べる人から作る人に」なってからの話です。
そして2011年に中央大学を定年退職されほぼ同時に奥様を亡くされた後,工学部の語り部として執筆活動を軸にしたなんとも規則正しい生活ぶりが食生活を鏡として書かれています。
仕事と配偶者を亡くした後の心の空白は,そのような生活ぶりが唯一の支えになっているのかな・・・と拝見しました。

また同時に,これだけ食べ物のことを書けるのならば,まだしばらくは工学部ヒラノ教授の新刊を読み続けられるかな・・・と思ってみたり。