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天災と日本人─地震・洪水・噴火の民俗学

冒頭の「序章」でラフカディオ・ハーンが「絶えず自然災害に見舞われるという日本の風土が,特徴的な文化を生み出したのではないかという仮説をもとに,独自の日本人論を展開した。(p.9)」と紹介しています。
本書は頻発する災害に対して日本人がどのようにつき合ってきたか,広く浅く記述されています。

pp.163-164
火山に神階を与え,噴火が鎮まるようにと願った古代中世の人々の行為は,天災の神格化であるとともに,災害に個性を認め,交渉交流できると考えていた証でもある。災害は人間とは切り離しえない,日本列島社会の重要な「構成員」であると,人々はかつて認識していたのである。

迷信だ非科学的だと指摘するのはたやすいですが,日本人ってどんな人たち?と認識する鏡としての災害という見方は面白いかもしれません。

プログレス太陽のアスペクト+トランジット天王星の星座移動+若干のトランジットで自分近未来を見る。

ちょっと前からプログレス太陽が気になる気になると書いてきましたが,もやもや考えていることをとりあえず形にしてみます。
2010年5月7日に,トランジット天王星の星座移動まとめ。という記事を書いていて,その中で,

トランジット天王星牡羊時代:2011年3月12日~2019年3月6日

2011年には自分的に何か大きな変化が起こるのかもしれませんねえええ。今の時点では全然想像できないのですが。

と書いていました。実際2011年に大きな変化(職業上のステイタスの変化と,研究対象の変化)があり,2017年3月現在の時点でも,その変化の延長線上にあります。
前年にこんな記事を書いていたなんて!と,2011年9月16日に,ふと気になって過去記事を見直してみたら。という記事で,今後のトランジット天王星のサイン移動についてまとめてみました。
この記事の記述によると,直近の変化は,2019年3月,次の変化は2026年の4月ということになるなあ,と確認した上で,ちょっと前から気になっているプログレス太陽との絡み+若干のトランジットで見てみました。

2020年6月 P太陽セクスタイルP月
2021年2月 P太陽スクエアN土星
2021年9月 P太陽イングレス天秤
2021年6月 P月合N太陽

2019年にはT木星がN太陽とトライン,2020年にはT木星T土星T冥王星が山羊18~28度くらいに集まり,N水星合MCとオポジションですので,2019年あたりから徐々に進行する公私両方にわたる生活上の大変化が起こり,大体2021年で完成すると。その生活上の大変化に伴い研究対象のような,自分がまず念頭に置く事柄も変わるのでしょう。
自分のペースで生活したい人間なので,生活上の大変化,って面倒くさいな~と思ってしまうのですが,まあ,そうなるならそうで仕方ないですね~

ではT天王星から見た2026年の4月の変化はどうよ?とプログレス太陽を見たらどうも,2023年から2026年頃がまた大変!

2023年3月 P太陽合N冥王星,P太陽トラインP木星

同じ頃に,P太陽のアスペクトではないけれど,P月合N金星,P金星合N月,P水星合N天王星があるので,外見上明らかになるような変化ではないかもしれないけれど,2023年3月はT木星がN太陽とトラインだし,2026年につながるような動きがあるのかも。

2025年~2026年はトランスサタニアンとP太陽P月との絡みがタイトになるので,人生のハイライト的な・・・?

2025年2月 P太陽合P月+PN冥王星との合,P太陽合P月とP木星トラインP太陽合P月とPN海王星セクスタイルで小三角形成
2026年1月 P太陽合P冥王星セクスタイルPN海王星が最もタイト

なお2025年から2026年にかけては,NのAscサインにP太陽を含むプログレス感受点が複数集まるので,従来よりAscまわりで事が動くことが多い自分にとっては,2025年~2026年は非常に重要な時期になりそうです。冥王星絡みですから,大昔,T冥王星がAsc通過していったときと同じくらいの人生上の大変化が起こるかもしれません。

大洲市の少彦名神社,山登りしてみたけれど・・・

昨日,少彦名命の終焉の地,大洲市の山の中にある少彦名神社におまいりしてきた時の,唐突無謀な登山画像をgifアニメにしてみました。
f:id:lionus:20170311173416g:plain
いざ現地に行ってみたら,拝殿よりもさらに進んで,山奥の本殿に少しでも近づいてみたくなり,崩れかけた石段を登り,道なき道を進んでみたのですが,本殿まで多分7割がた辿り着いたところで,さらに道が険しくなり,両手両足使わないと進めなくなり,さらに足を滑らせすっころんでしまいました。
頑張ればまだ登れないことはないかもだけど,降りる方がこわい,滑落しそうだ,と身の危険を感じ引き返しました。
少彦名神社をボランティアでお世話している「おすくな社中」の方々は,先日2月18日に,この山道を掃除しながら本殿(御陵)まで登られたのか!とびっくりでした。

プログレス太陽へのアスペクトと併せて,トランジットの影響をにらんで見る。

先日の記事で,

自分の意思によらない事象については,特定のプログレスがなくてもトランジットで十分という感じです。

と書いたことについては,自分のネイタルAsc周りの事象からです。
自分の人生の中でトップに来るくらいの大事件は,プログレス太陽からはまず読めませんでした。このことについては,昔のはてなダイアリーから引用します。

もし,人生のある時期に戻れるとしたら,どの時期に戻りたいかと尋ねられたら,迷わず「千葉に居た頃」と答えます。
占星的に回顧すると,トランジット冥王星がASCを通過した頃に,境遇(住む場所)の破壊的な変化があり,続くトランジット土星がASCを通過した頃には,その変化が社会的に確定したのでした。
主観的には,それらの境遇の変化は,”暗転”とでも呼びたくなるようなものでした。

http://d.hatena.ne.jp/lionus/20080712#p2

上記の”変化”は,幼い子どもの頃でしたから,親の決断行動に付随する形で自分の意思とは関係なく不可抗力的に発生したものでした。プログレス太陽関連では,やや時期をずらした形でこれかなあと思える配置はあったものの,ネイタルに対するトランジットの影響がキレッキレで,日付単位で正確だったので,図らずも母子手帳に記載されていた出生時間がかなり正確であることの証左だと思えるほどでした。

しかし,自分の意思が反映されるであろう,というか,自分の意思がエンジンにならないと進まない事象については,プログレス太陽が事象の雛形を提供するだろうと思っています。
自分的に実感できたのは,大学受験です。
トランジット木星がネイタルの太陽に合だったのが,高校3年生の頃だったので,まあそれだけでもよかったねえという感じなのですが,プログレス太陽のアスペクトを加えると,その頃の自分の心象風景が立体的に立ち上がってくるようで,おおお,あるあるあるあると思いました。

実は自分のネイタル土星は9ハウスにあります。
9ハウス=大学,なので,ああ文字通りねという感じですよね。
P太陽のN土星へのアスペクトができたのは,高校2年生の春頃です*1。思い返すと,高校入学後1年経ってあれこれ様子がみえるようになった頃で,あああこのままこの学校で特に何もしないまま居てたら”まともな大学”には現役では行けそうにないぞ。幸い昔は名門だったおかげで”いい大学”への指定校推薦枠はまだ幾分残っているので,まずは学校の成績(評定平均値)は確保する努力する一方で,自前努力で大学受験を突破する力を要請する術を模索せねば(=進学指導はこの学校には全く期待できない)と思った時期にドンピシャでした。
P月も絡んでいますし,まさに真面目に,堅実に,ターゲットを絞って*2,粛々と詰めてゆくという感じで受験勉強して当初の目的を達成しました。今振り返っても水も漏らさない計画実行であったと思います*3

過去事象のふりかえりは以上。また未来について書くかも。

*1:そして,このアスペクトが大体解消したのは大学3年の春くらいで,確かに高2で描いた進路展開は大3までは保持していたなと思います。

*2:当時受験戦争が苛烈を極めていて,数打ちゃ当たる的に受かりそうな大学を手当たりしだい10大学とか受験する風潮がありましたが,本命+練習用の2大学しか受験しませんでした。

*3:最後の模試判定ではA,偏差値的にも10以上余裕をもって受験した。極めて土星的。

プログレス太陽のアスペクトを読む。

風邪の後養生で絶賛引き篭もっていたところ,某有名人のプログレス太陽のネイタル&プログレアスペクトにより人生の流れを読み解く記事を読んで,大いに興味を喚起されました。
私は通常,ネイタルとトランジット中心で,プログレスまではみないのですが,以前友人から身の上相談された際に,なんとなーく直感的にネイタルとトランジットに加えプログレスも考慮に入れた読みをして,それが事象説明にかなりはまっていたことを思い出しました。
ということで,直ぐに使える検証材料である自分を対象に,プログレス太陽に対するアスペクトを拾い上げてみました。
かなり面白いですね。
ネットで検索してみると,プログレスは事象を表すとか主張している人もいるようですが,私は半分賛成,半分異論ありです。
自分のプログレス太陽のみを拾っているだけでは,今までの自分人生に起こった重大な事象を説明できないからです。
したがって,日本では一般的に支持されているらしい,プログレスは内面の準備状態を表現しているとかいう感じのイメージの方がしっくりくるなと思っています。
つまり,プログレスで内面的な配置が出来上がっているところに,トランジットの刺激が加わることで特定の事象が生じるということだと私は考えています。
ただし,プログレスの準備状況がなくても,トランジットにより強制的に事象が現実化することもあるとも思っています。
その点についても,自分的検証からです。自分の意思によらない事象については,特定のプログレスがなくてもトランジットで十分という感じです。
反対に,自分で選べる事柄については,プログレスによる準備的配置+トランジットによる引き金で事象成立します。プログレスにより形成されるアスペクトが多重な場合には,プログレス単体でも現実化するように見えます。

またアスペクト等明記した,続きの記事書くかも。

よくわかる人工知能 最先端の人だけが知っているディープラーニングのひみつ

「よくわかる」と題されているけれども,人工知能の仕組を知りたいという目的にはあまり適わないかな~結局私にはよくわからなかったです。
数式とか見たくないけれども,人工知能についてふわっと知りたいという一般人に向けた本のようです。
さらっと読むにはいい本だと思います。「最先端」とあるように,本書の賞味期限は非常に短いと思いますので,読むなら早めに。
自分的理解として,ディープラーニング(深層学習)とは,ニューラルネットワークを使った機械学習で,層がむっちゃ多くできるようになったので,学習用に整えたデータを放り込んでフィードバック(≒賞罰)を適当に与えればなんか賢くなったぞという感じ,つまり生き物(≒人間)相手の学習と似たような感じなのかな。
間違っていたら誰か教えてください(笑)。
本書の対談の中で,面白いと思ったのは,松尾豊先生と,前野隆司先生の章です。

まず松尾先生のところから:
松尾先生は,ディープラーニングにより賢くした人工知能の使い道として,人手に頼る部分が大きい農業とか建築作業への応用の可能性を示しています。
手を動かして作業する系のロボット技術というのは,自動車工場の溶接ロボットなど現在でも日本がかなりのアドバンテージを持っているところなので,なるほどかなり現実的だと思いました。

pp.49-50(農作業について)
間引きなんて,畳込みニューラルネットワークを使って認識さえできれば,十分に実現できるはずなのに,間引きを自動化しようってことはこれまでほとんど考えられてこなかった。技術がなかったので,できないと思いこんでしまっているわけです。
こういうところが,今後自動化できるようになるので,究極的には農業の作業のほとんどが自動化できるはずだと思っています。自動化すれば,たとえば日本の農業技術を機械に置き換えて海外に展開できますから,非常に大きな産業になるはずです。
最近僕は人工知能の産業化について,”情報路線”,”運動路線”という言い方をしてるんですが,グーグルとかフェイスブックみたいに,情報路線で人工知能を活用したすごく便利なwebサービスで攻めるのは,どうやっても勝てないんですよ。どう考えても英語圏の方が,ユーザーも多いですし,収集できるデータも多くて強いに決まっています。これまで検索エンジンでもソーシャル・ネットワークでもECでも,そしてソーシャルゲームでも,何度もチャレンジして苦戦してきましたから,日本がやって勝てるのかは疑問です。
ところが運動路線,つまりカメラによって画像認識するとか,物を動かすとか,こういう分野は日本企業が強い。もともとモノつくりが強いですし,モノづくりが強いのは,日本のさまざまな文化的な要因が関係していると思っています。そちらで戦ったほうが勝ち目があるのではないか。つまりディープラーニングとモノづくりを組み合わせた”眼を持った機械”で市場を取るということです。

人工知能にさせる作業そのものに熟練している人間=お手本がいないと成り立たないので,そういう熟練者を継続して確保する(熟練の技が継承されるようにする)システムも必要だよね。
それにしても,そうか,「運動路線」にも人工知能イケるっていうのは,『機械との競争』で読んだ,肉体労働系の一部の職業は機械に置き換えづらいという話を否定することになるのかな。
d.hatena.ne.jp

次に前野先生のところから:

p.186
ロボットの認知の研究をしていた当時から,自律分散システムとか,遺伝的アルゴリズムとか,ニューラルネットワークとか,要するに人が極めて計画的になにかをつくるんじゃなくて,場だけ与えておけば答えが出るっていう,今のディープラーニングの萌芽みたいなところに興味があったんです。

(茂木健一郎氏の「クオリア」は間違っている!と思ったことについて)
pp.186-187
当時は,それは間違っている,と思いました。そもそも自律分散的なもので脳は成り立っているはずだ,司令塔見たいなものがあると思うからものすごい謎のように思えるのであって,そもそも司令塔なんてないと思えばもともと謎なんかない,って直感して,本を書き始めた。その本を書いている中で,”受動意識仮説”を思いついたわけです。

p.191
僕も本に書きましたけど,まったく同じですよ。圧縮装置じゃなくて,並列を直列に変換する装置と描いた。並列的な情報だと覚えられないので,情報を直列化して,ストーリーとして覚えるための装置だと思っています。本当は,意識と無意識のあいだがあるので,完全な直列じゃないですけど。いずれにせよ,膨大なすべての並列情報を直列化できるわけがないから,もちろん圧縮ないし間引きをするわけです。

p.206
たとえば(意識は能動的だという仮説で)一番矛盾があるのは,茂木健一郎さんが「まだ解決できていない謎」と言っていること。要するに”意識”が司令塔だとすると,この司令塔はものすごく賢くなきゃいけない。部分,部分は賢くなくっていいっていうのが自律分散システムの説明だったのに,司令塔を置いた瞬間に,司令塔は,すべてを理解できなきゃいけないですから,そのためにはものすごく賢くなきゃいけないっていうことになってしまう。すると,今まで自律分散システムの役割分担,ということで説明できそうだったことが,ぜんぶひっくり返る。”意識”のところで大破綻しちゃうんですよね。この問題こそが,茂木さんが「まだ解決の糸口さえ見つかっていない謎だ」と言っている点です。だけど,"意識”も全部,受動的だったら,サブモジュールがやった結果を,ちょっと直列化というか,圧縮して,それを記憶に持っていくだけですから,全体把握システムではなく,単なる部分的サブモジュールに過ぎません。そうだとすると,作ることも容易に想像できますよね。

そうだよね。「”意識”がみつからないのは,いろんなところに薄~く分散してあるからですよ。(p.207)」っぽいことは,昔読んだなと思い出しました。
d.hatena.ne.jp

会計不正と監査人の監査責任‐ケース・スタディ検証‐

会計不正と監査人の監査責任‐ケース・スタディ検証‐

会計不正と監査人の監査責任‐ケース・スタディ検証‐

不正会計と経営者責任―粉飾決算に追いこまれる経営者― - lionusの日記(続)
を読んだのをきっかけに,守屋俊晴先生のご本を続けて読んでみました。
大学経営論 大学が倒産する時代の経営と会計 - lionusの日記(続)
監査人監査論―会計士・監査役監査と監査責任論を中心として― - lionusの日記(続)
本書が4冊目になります。いつも読むのに骨が折れるのですが,公認会計士の「独立性」について読んでみたかったのです。
公認会計士社会保険労務士など,所謂「士業」と呼ばれる仕事は,試験に受かって資格を持っているだけでは十分でなく,専門家としての何か,がさらに必要なのですよね。
その「何か」とは何か,ということを断続的に考えています。
それらのことに関連して,公認会計士の場合には「精神的独立性」と「外観的独立性」という「ふたつの独立性」概念があることを知ることができてよかったです。

(「はじめに」viから抜粋)
監査人の「独立性」については,ふたつの主張がある。それは精神的独立性が重要なのか,外観的独立性のほうが重要なのか,という主張である。その相違は,主張する者の立場の影響が強く作用している。独立の監査人にとって重要なことは「公正不偏の態度」を維持することであり,被監査会社に,何ら,影響を受けることなく,「自己が信じた意見を真摯に表明すること」にあるとされる。これを「精神的独立性」という。これなくして職業専門家としての公認会計士の業務は成り立たない。
(中略)
経済が成長し,企業が大規模化するにつれて,株式市場は拡大し,それに連れて一般大衆の投資家が広範囲に参加してくることになった。ここに「所有と経営の分離」が出現し,経営者は所有者ではなく,企業を経営する職業専門家という地位に立つことになる。そして,投資家にとって信頼し得る会計監査制度,つまり監査人と被監査会社との関係が「信頼できる状態にあること」が必要な要件となる。そこで第三者の眼からみて,客観的立場にあるという,つまり「外観からみて満足すべき形式的要件」が必要となる。
いずれにしても,独立性は精神的独立性と外観的独立性という2つの要素から成り立っているが,いずれが優位に立つというものではなく,いずれもが必要な要件なのである。