ジャニーズの正体 & SMAPはなぜ解散したのか

ジャニーズの正体 エンターテインメントの戦後史

ジャニーズの正体 エンターテインメントの戦後史

図書館の新着図書にあるのを見て,何となく読みました。
どちらも,少々センセーショナルなタイトルですが,内容はそんな感じではありませんでした。
『ジャニーズの正体』は,戦後の世相とジャニーズエンターテインメントの発展を関連付けて論じている社会学っぽい内容で,『SMAPはなぜ解散したのか』は,SMAPの内情をどういうというより,日本の芸能界の”義理と人情”に基づく芸能事務所による古色蒼然としたタレント支配の現状と,それらの事務所とメディアの癒着構造を示し,疑問を呈する内容でした。
この二冊を連続して読んだところ,図らずもSMAPという題材を通じて,戦後の高度経済成長に代表されるイケイケドンドンの右肩上がりの時代の終焉と,そこからどうするのか,どうなるのか行く先不透明で不安の漂う平成時代への切り替わりについて述べられている点が興味深かったです。

まず,『ジャニーズの正体』:
イケイケドンドンで,将来も続けて「成長」し続けることに疑問がなかった時代=昭和,昭和のアイドルは「未来志向」を象徴する「若さ」に至上な価値が置かれていた。

p.174
つまり,ジャニー喜多川にとって,ショービジネスとは徹底して未来志向であるべきものである。だからそこに携わる人間は,精神的にいつも大人と子どもの中間にいることが望ましい。子どもから大人への途上に常にあることが,第二章でふれたように彼の人間論において最も重要な成長の可能性を持ち続けることにつながるからだ。その意味で,「若さ」はジャニー喜多川にとってなににも代えがたいものである。そこには「老い」に居場所はない。この場合「老い」とは,成長の可能性を失った状態を意味するからだ。

しかし,40歳を過ぎたSMAPは,徐々にそのような無邪気な「若さ」を売りにする「アイドル」という存在からはみ出していったということです。

pp.165-166
メンバーの脱退や不祥事などの不測の事態があってもそれらを乗り越え,新しいものにたゆまず挑戦を続けながら成長していくそんな彼らの姿に,私たち平成日本社会に生きる人間は,世代や性別を問わず不安の時代を生き抜くための理想のコミュニティを見ようとしたのではあるまいか。そして彼らもまた,その役割をこれ以上ないほど真摯に引き受けようとしたのである。

p.179
SMAPが,「アイドル」という存在とは疎遠なものだったはずの社会的役割を引き受けるようになっていったことにあるように思われる。そしてそのなかで彼らが直面したのは,「若さ」だけではもううまくいかない平成日本社会の実情だったのではあるまいか。
平成が「漠然とした不安」を抱え込んだ時代であることは再三述べてきたが,それは別の角度から言うなら,昭和のように「若さ」を純粋に信じきれなくなったということである。

pp.180-181
「成長」と「成熟」は,単純に対立するものではない。十分に「成長」を遂げたところに初めて「成熟」はあるからだ。しかし,「成熟」と「若さ」は,場合によっては対立する。「成熟」には,いかにうまく年を取るか,いかに老いるかという問いが含まれている。したがって,「若さ」を至上の価値とする考え方とは,折り合いが悪くなる可能性がある。

p.181
おそらくそこに"ジャニー喜多川”と”SMAP"が潜在的に対立する部分があった。それは,個人同士の仲が良い,悪いという話とはまた違うレベルの話である。

p.182
もう少し大きな観点から言えば,そんな「成長」と「成熟」の関係は,「戦後」と「平成」の関係にも重ね合わせることができるだろう。
「平成」もまた,「戦後」の延長線上にある。だが同じ価値観で活きていくのには,もう世の中のあり方がどこかで大きく変わってしまっている。つまり,「平成」は「戦後」に含まれるが,同時になにか異質なものを抱えてしまっている。平成以後を生きてきたSMAP解散発表は,そんな時代の関係をも露わにしたように思う。

p.186
彼らの「解散発表」によって,ジャニーズという"文化”の継承だけでなく「平成」という時代における「戦後」の継承もまた,大きく再起動を迫られることになったのである。

一方,『SMAPはなぜ解散したのか』は,社会学者の辻泉の,アイドルファンは「2種類の人間関係」*1を求めているとする研究を引用し,アイドルファンの「成熟」について述べています。

p.160
アイドル文化は世界中で見られるが,日本のそれは欧米とは明確に異なる。芸能プロダクションのシステムだからこそ,グループアイドルという形式が生み出され,継続してきたが,この点には大きな変化はない。ジャニーズ事務所が”義理と人情”にこだわり続けているように,そこは昭和の時代で時間がとまっている。
ジャニーズ事務所がこれまで想定してきたのは,アイドルを擬似恋愛の対象とするファンの姿だ。それはアイドル文化においてはごく当然のアプローチではあるが,現実的にはSMAPのファンのなかでこれは少数だ。多くのファンは,アイドルを応援しながら日々の生活を送っている。仕事をし,恋愛をし,結婚をし,子どもを産み,歳を重ねていく。アイドルが擬似恋愛の対象であるのは,ファンの多くが10代から20代前半の一時期でしかない。

p.161
アイドル文化においては,ファンが大きく変わってきたのである。それは個々人で見ればライフコースの進展にともなう成熟でもあるが,それ以上に大きい要素として挙げられるのは,ファン同士のネットワークの厚みが増したことだろう。

擬似恋愛的にアイドルに”お熱を上げる”ファンから,自分のライフコースを生きながら,心の友,心の支え的にアイドルを応援するファンとしてのあり方への「成熟」,そしてファン同士が”擬似恋愛上でのライバル”ではなく,同じアイドルを応援する者同士交流するアイドル文化*2への「成熟」,でしょうか。

*1:擬似恋愛の延長にある「ファンとアイドルの関係」,「ファンとファンとの関係」

*2:ただし,同じメンバーのファン同士は交流を避けるという「同担禁止」,例えばキムタクのファン同士は交流しないが,キムタクファンと仲居君ファンは交流OKという文化があるらしい。ファン心理の衝突を避ける意味があるっぽい。

精神療法面接のコツ

精神療法面接のコツ

精神療法面接のコツ

精神療法の技法論を教育(学生指導)へ援用する(しすぎる)のはどうかと思いますが,「厄介な学生」を掌に置いて眺めて自分が冷静になるためのヒント,のようなものを得られることもあるかもしれませんね。
ピンとして抜き書きしたものの中からいくつか以下コピペします。

  • 精神療法理論はその為しえた結果によって自身量られる仮説

p.24
この姿勢で接すると,まず,精神療法の世界で理論と呼ばれているものは,せいぜい仮説の地位に置かれるほどのものに過ぎないことが,見えてくるであろう。
※この姿勢=仮説をたて実験で検証する自然科学のやり方

pp.24-25
理論の価値は新鮮な行動プランや新鮮な視点を生みだしうるか否かにあるのだ,と考えるようになるだろう。それら新鮮な行動プランや視点は,その時点ではただのアイデアに過ぎない。試行され,生じる結果によって行動プランや視点の価値が量られ,それによって基盤となった理論の価値が定まるというのが正しい道筋である。こんにち,仮説と呼ばれるのがふさわしい程度の精神療法理論が,あたかも物差しのごとく用いられ,精神療法の場の外でもてはやされているのは,精神療法と精神療法家にとって不幸なことである。外の世界でくっつけられた虚飾の価値で重みを増した理論が,精神療法の現場に再流入すると,理論が教条の働きをするようになる。結果として,精神療法の現場は不毛の場となる。理論の働きについては,後の章でも何度か触れるが,いまは,精神療法理論は物差しのような他を量る基準ではなく,その為しえた結果によって自身量られる仮説なのだという点だけ,銘記しておいて欲しい。理論に圧倒されないためには,一見よく整っている論旨に対して,「本当だろうか」と疑ってみる能力をもつのがよい。信じるに由来する知恵と疑りに由来する知恵とは,知性にとって車の両輪であり,ともに欠かせない。ただしこの二つの知恵は,終いには「観の目」のなかに統合される。

  • 「厄介は能力である」

p.144
「厄介な症例」の能力を指摘する場合,理の当然として,「厄介は能力である」ということがスタートとなる。厄介であるとは重症の極みではないことでもある。

p.144
「患者が立ち直っていく力の主要部分は,病状を際立たせている部分,例えば厄介さを作っている要素,にしかない」という信念

pp.144-145
「厄介は能力」と言っても,厄介を生みだす特徴は患者ごとにさまざまであるから,能力の指摘も患者ごとにさまざまである。しかし,つぎのことを基本として述べることはできる。
すでに本章の見立ての部分で述べたすべての特徴のうち,負の意味を付与されがちな特徴はすべて「能力」という言葉をくっつけて連想したり解析したりしてみるとアイデアが湧く。各自ためしていただきたい。なかでも,最も重要な「関係を錯綜させる能力」は次章のテーマである。
なお,厄介を能力として話題にとりあげるさいは,その特徴がまず「厄介」として治療者の目に映ったのだという経過を伝えてからスタートするのが定石である。治療者の思考過程を可能な限りガラス張りにするのは,抱え環境の強化のコツである。

世にも美しいダイエット メニューブック

世にも美しいダイエット メニューブック

世にも美しいダイエット メニューブック

昨日の糖質制限本の記事を書いたときに,糖質制限ダイエットの先駆けとしての「世にも美しいダイエット」を思い出し,本棚から取り出して見返してみました。
このメニューブック以外にも,
世にも美しいダイエット

世にも美しいダイエット

世にも美しいダイエット カラダ革命の本

世にも美しいダイエット カラダ革命の本

これらの本を読み*1,一時期「世にも美しいダイエット」をちょっと実践してみたことがありました。
しかし,市販の食品が幅広くNGとなっていて(例えばケチャップとかの調味料,ベーコン,ちくわなど),ガッツリ自炊というか自作を要求される要素が多く,食事法実践にはなかなかの気合と手間がかかるため,米を避ける(控える)というコンセプトは頭の底にこびりつかせたまま,「世にも」から離れていきました。
しばらくして,「世にも」著者が51歳で亡くなったと知り,うーんやっぱりどこか無理な食事法だったのかな~と思ったり。
www.dailyshincho.jp
「世にも」は,(今は亡き)M先生=三木医師の食事療法に宮本美智子さんが出会い感銘を受け,医師考案のそっけない食事法であった「M式」をオシャレな「ダイエット」にアレンジしたものです。そのアレンジ・発展の中で,M式がもっていた”本質”が,快楽的なストイックさに変節していったのかもしれません。

「世にも」著者宮本さんの死後,「低GIダイエット」「糖質制限ダイエット」といった,糖質を避けるというコンセプトでは共通する食事法が喧伝されるようになりました。
「世にも」は少々”早過ぎた”のかもしれません。

先日読んだ「僕が菜食をやめた理由」のブログ主がさらに書いた「体調が改善しない方へ」の下記文章は,健康にいいと言われている食事法をストイックに実践し,しかし望ましい結果につながらなかった(と言っている)人の意見として,ひとつのヒントになるように思いました。

情報が溢れすぎてて、様々な「全く違う主張」が
飛び交っているので、混乱するのも分かります。
ほんとに難しいですよね。
いつからこうなったのでしょう?

僕の考えとしては、「質を考える」ことと、
「過剰な糖質摂取を避ける」ことは、
結構大事かなあ、と思ってますが、
あまりに考えすぎて体調不良を起こしている人もかなり多い、
と最近は思うようになりました。

だから、「いろいろと勉強して試しているけど、
なかなか体調が改善しない」という人は、
とりあえず細かいことは置いといて、
一度頭をリセットして、
「とりあえず食事を楽しく、気楽に食べる」
ってことから再スタートしたら良いかもなぁって思います。

*1:以前”自炊”しデータ化したので,今は本棚にはない。

「疲れ」がとれないのは糖質が原因だった

「疲れ」がとれないのは糖質が原因だった

「疲れ」がとれないのは糖質が原因だった

多分ツイッターで流れてきた「僕が菜食をやめた理由」という記事経由で著者を知り,図書館で検索して所蔵していたのがこれだけで,読んでみたのだと思います。
糖質制限ダイエット,から一歩進んで,糖質を控えることで内臓=副腎の疲労を避けようというのが主張の中心と拝見しました。
代謝関係のことが色々説明されている=仕組み説明が先行していて,具体的な食事処方は後半なので,前半を読み飛ばす人も多かったりして(笑)。
なお当該ブログ記事の,菜食をやめたことと低糖質・高たんぱく食がなぜ関連するかというと,このブログ主が実践されていたようなマクロビ系の菜食はカロリー確保のために根菜や玄米をガッツリ食べる必要があり,それが「糖質のとりすぎ」に結果としてなるからです。

  • 本来糖質は非常時用のエネルギー
  • 通常時は脂肪由来のエネルギーが本来
  • 糖質をエネルギー源として利用すると乳酸*1が発生,乳酸を処理するのに必要なのはビタミンB群

「疲れたときの甘い物」は“気付け薬”にすぎず,糖質をメインのエネルギー源にするとビタミンB群やビタミンCを大量消費してしまい,「栄養不足」に陥り,慢性的な疲労につながる,ということと読みました。

p.136
疲れない脳と体をつくる食べ方の基本をひと言で述べると,「低糖質・高たんぱく」ということになる。
糖質のとりすぎが血糖値の乱れを招き,その調節のためにインスリンやコルチゾール,アドレナリンなどのホルモンが使われてしまうことは,これまで述べてきた通りである。それが続くと,インスリンを分泌している膵臓,そしてコルチゾールやアドレナリンを分泌している副腎が疲労する。すべての元凶は糖質の過剰摂取にあるのだ。

もっとも効率のいいエネルギーは「脂質」

p.153
「糖質をとらなければ脳も体も動かない」という考え方が大きな誤解であることは,本書で述べてきた通りだ。
糖質をとらなくても,私たちの体内にはブドウ糖(グルコース)をつくり出す仕組みが備わっている。また,脳のエネルギー源はブドウ糖(グルコース)だけではない。脂質由来のケトン体も,脳のエネルギー源となってくれるのだ。
ちなみに,たんぱく質からも糖質を産み出すことができる(糖新生)。しかし,たんぱく質は体を形づくる材料であるため,エネルギー源として使うよりも体の材料として使われるようにすべきであるというのが私の考えだ。

大昔流行った「世にも美しいダイエット」にも「油」でエネルギーをとりましょう*2,とあったのと共通してるなあ。

世にも美しいダイエット

世にも美しいダイエット

まあこの「世にも」は実践にはかなり気合と手間が要るので,なかなかこういうことは出来ませんが,低糖質・高たんぱく食の考えをベースに”バランスよく”毎日の食事を設計していきたいですね。

*1:乳酸自体が疲労物質なのではなく,その処理に色々とコストがかかることが疲労につながるらしい。

*2:小松菜をはじめとした青菜を「主食」とした場合,カロリー不足になるため。

精神科養生のコツ

精神科養生のコツ

精神科養生のコツ

通読して,一見やさしいけれども結構難しい「コツ」が書かれているなと思いました。
ひとりでやるのは難しくて,指導者=神田橋先生?が傍に居てほしいという感じです(笑)。
でも,あまり肩に力を入れずに読んでみると,病気の人も,病気でない人も,誰もが何かしら心に残る事柄にひっかかる本ではないでしょうか。

p.75
夢を描くことは,元気を出させます。希望とはそうした夢のことです。夢が破れても破れても,また新しく夢を作りだして生きている人は,いくつになっても若々しくて,精神科の病気も免れやすいようです。そうした人を「くじけない人」と呼びます。
ただし,夢については難しい事情があります。たとえば,進学競争の中にいる青少年は,評判の高い高校や大学を目指しています。それは夢に向かって努力しているようにみえます。しかしよく眺めてみると,その目標つまり未来のために,現在の生活が道具にされていることが分かります。現在が道具化されることは,空虚なこと・魂が死んでいること・「気持ちが悪い」ことです。本来の希望や夢は,逆に,未来のイメージが現在の生活の充実のための道具となっているのです。この違いをよくよく考えて,自分の日常に当てはめてみましょう。

「夢を持て」とかよく言われますが,あんまりそういうの自分は好きじゃないんです。
疲れませんか?
しかし,夢といわず「希望」といわれるならば,それならいいかな,分かるかなとは思います。
多分,夢を持て→疲れませんか?と感じてしまうのは,上の引用でいわれているような現在の生活の道具化,と関連がありそうな気がしました。

天災と日本人─地震・洪水・噴火の民俗学

冒頭の「序章」でラフカディオ・ハーンが「絶えず自然災害に見舞われるという日本の風土が,特徴的な文化を生み出したのではないかという仮説をもとに,独自の日本人論を展開した。(p.9)」と紹介しています。
本書は頻発する災害に対して日本人がどのようにつき合ってきたか,広く浅く記述されています。

pp.163-164
火山に神階を与え,噴火が鎮まるようにと願った古代中世の人々の行為は,天災の神格化であるとともに,災害に個性を認め,交渉交流できると考えていた証でもある。災害は人間とは切り離しえない,日本列島社会の重要な「構成員」であると,人々はかつて認識していたのである。

迷信だ非科学的だと指摘するのはたやすいですが,日本人ってどんな人たち?と認識する鏡としての災害という見方は面白いかもしれません。

プログレス太陽のアスペクト+トランジット天王星の星座移動+若干のトランジットで自分近未来を見る。

ちょっと前からプログレス太陽が気になる気になると書いてきましたが,もやもや考えていることをとりあえず形にしてみます。
2010年5月7日に,トランジット天王星の星座移動まとめ。という記事を書いていて,その中で,

トランジット天王星牡羊時代:2011年3月12日~2019年3月6日

2011年には自分的に何か大きな変化が起こるのかもしれませんねえええ。今の時点では全然想像できないのですが。

と書いていました。実際2011年に大きな変化(職業上のステイタスの変化と,研究対象の変化)があり,2017年3月現在の時点でも,その変化の延長線上にあります。
前年にこんな記事を書いていたなんて!と,2011年9月16日に,ふと気になって過去記事を見直してみたら。という記事で,今後のトランジット天王星のサイン移動についてまとめてみました。
この記事の記述によると,直近の変化は,2019年3月,次の変化は2026年の4月ということになるなあ,と確認した上で,ちょっと前から気になっているプログレス太陽との絡み+若干のトランジットで見てみました。

2020年6月 P太陽セクスタイルP月
2021年2月 P太陽スクエアN土星
2021年9月 P太陽イングレス天秤
2021年6月 P月合N太陽

2019年にはT木星がN太陽とトライン,2020年にはT木星T土星T冥王星が山羊18~28度くらいに集まり,N水星合MCとオポジションですので,2019年あたりから徐々に進行する公私両方にわたる生活上の大変化が起こり,大体2021年で完成すると。その生活上の大変化に伴い研究対象のような,自分がまず念頭に置く事柄も変わるのでしょう。
自分のペースで生活したい人間なので,生活上の大変化,って面倒くさいな~と思ってしまうのですが,まあ,そうなるならそうで仕方ないですね~

ではT天王星から見た2026年の4月の変化はどうよ?とプログレス太陽を見たらどうも,2023年から2026年頃がまた大変!

2023年3月 P太陽合N冥王星,P太陽トラインP木星

同じ頃に,P太陽のアスペクトではないけれど,P月合N金星,P金星合N月,P水星合N天王星があるので,外見上明らかになるような変化ではないかもしれないけれど,2023年3月はT木星がN太陽とトラインだし,2026年につながるような動きがあるのかも。

2025年~2026年はトランスサタニアンとP太陽P月との絡みがタイトになるので,人生のハイライト的な・・・?

2025年2月 P太陽合P月+PN冥王星との合,P太陽合P月とP木星トラインP太陽合P月とPN海王星セクスタイルで小三角形成
2026年1月 P太陽合P冥王星セクスタイルPN海王星が最もタイト

なお2025年から2026年にかけては,NのAscサインにP太陽を含むプログレス感受点が複数集まるので,従来よりAscまわりで事が動くことが多い自分にとっては,2025年~2026年は非常に重要な時期になりそうです。冥王星絡みですから,大昔,T冥王星がAsc通過していったときと同じくらいの人生上の大変化が起こるかもしれません。