失敗事例から学ぶ大学でのアクティブラーニング

アクティブラーニング・シリーズ全7冊の,7巻目です。
アクティブラーニング的な手法を授業で使うことの目的,そして授業そのものの目的を見失わず,その目的をよりよく達成する手段を真摯に考えることがすべての基本であると私は思いました。

  • 教員や教育機関に求められる「二重の責任」

p.7
第一の責任は,説明責任である。教員はなぜその手法やツールを用いたのかを説明できる(アカウンタビリティー[説明責任])必要があるだろう。

p.7
第二の責任は,実施責任である。単位を認定し,成績を評価する教員は,教育サービスをすることで生徒の学力(知識や技能)を所期した水準にまで引き上げる責任を負う(レスポンシビリティー[実施責任])。

  • アクティブラーニング3つの失敗

p.13
アクティブラーニングの失敗事例との関わりで補足すると,定義により3つの失敗が考えられる。一つ目は,学生が「アクティブ」ではないような学びである。二つ目は,アクティブであっても「ラーニング」がないことである。そして三つ目は,学生が学んでくれないことを「教員自身の問題(FD)」として考えないことである。

  • 科目目的を判断するためのヒント

pp.67-68
典型的には,自分の科目目的が「知識習得」と「知識応用」のどちらに近いのか

p.68
この違いが重要なのは,実践するアクティブラーニングの形が異なるものとなるからであり,具体的には前者は「講義型」に,後者は「演習型」に近くなるのである。

(1)大学や学校の人材育成目的はあるか?
(2)その科目の学習目的が公的に定められていないか?

  • 自燃型人材と他燃型人材

p.130
第一は,自らが燃え上がり,自分自身がグループ活動に積極的に関わりを持っていこうとするタイプであり,これを自燃型人材と呼ぶ。議論をリードすることがあるため,この意味で「リーダータイプ」という名をつける。第二は,自分自身はあまり目立つことなく,他者を燃え上がらせるように,自分はそのサポートに徹することで満足するようなタイプであり,これを他燃型人材と呼ぶ。これはリーダーを補佐し活かしていくようなタイプとして,ここでは「参謀タイプ:と名づけよう。

「他燃型人材」も評価する素地を作るべきだが,「グループ討論で黙っていれば損する」こと,すなわち,「皆が発言する場で黙っていることは消極的な印象を与え,場合によっては意欲に乏しいと受け止められて損をすることがあることを,教員は学生にしっかり伝える必要があろう。(p.132)」

アクティブラーニングをどう始めるか

アクティブラーニングをどう始めるか (アクティブラーニング・シリーズ)

アクティブラーニングをどう始めるか (アクティブラーニング・シリーズ)

ぼちぼち読んでいる「アクティブラーニング・シリーズ」(全7冊)の6巻目です。
河合塾が大学受験のことだけじゃなくて,高大接続や,大学から社会へのトランジションのことまで視野に入れて調査研究をしているとは知りませんでした。
本書の主題とはまた別に,自分的に新たに知った事柄:

ジェネリックスキルはコンピテンシーリテラシーから構成されること。
コンピテンシーの構成要素については, 河合塾・リアセック監修(2015)『PROG白書2015』(学事出版) が参考資料になりそうなこと(大量調査データっぽい)。
PROGの結果からは,リテラシーコンピテンシーは相関がないこと。リテラシーは学力検査等で測れるような知的コンピテンス,コンピテンシーは教科知識をベースとした能力とは別の側面を測定している可能性。

  • 専門家(ここでは国語教師等)の暗黙知を可視化する方法

p.48
先生方はご自身の暗黙知可された教育新年(ビリーフス)を述べられおり(ママ),個々人は誠実に教育に向き合われていた。「地獄への道は善意で敷き詰められている」と言ったのは誰の言葉か思い出せなかったが,熱心な先生方の「空中戦」を拝聴している私の脳裡をその言葉がぐるぐると駆け回っていた。

p.48
2回目では,各々の教師のビリーフスを顕在化させ,お互いが大切にしていることを相対化するワークを行った。我々が大学教師を対象に用いている「チェック&シェア」という方法を応用したものである。

→「チェック&シェア」について,詳しくは成田・大島・中村(2014)『大学生の日本語リテラシーをいかに高めるか』(ひつじ書房)を参照のこと,らしい。

  • 「権限のないリーダーシップ」という概念

目標設定(明確な成果目標を設定する)/率先垂範(自分がその成果のためにまず行動する)/他者支援(自分だけでなく他人にも動いてもらえるように,成果目標を共有し,それだけでは動きづらい要因があればそれを除去する支援をする)

阪急沿線ディープなふしぎ発見

図書館の新着図書で見かけたので,阪急民としてつい手にとってしまいました。
検索してみると,この著者は本書の前にこちらも監修されているし,他にも,同じシリーズで関西私鉄=京阪,近鉄,南海についても監修されているようですね。
巻末掲載のプロフィールを見ると,「京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期・後期課程,および同研究科助手を経て,現在は同志社女子大学教授。地理学,観光学,地域開発について研究。」とあり,趣味と仕事=研究が渾然一体となってこういう本になったのかな?と思います。
ディープな鉄な人には「そんなの知ってるよ」的なネタばかりかもしれませんが,阪急沿線の一般人には「へえ~」なお話がコンパクトにまとめられていて楽しいです。
本日阪急電車に乗って出かけることがあったので,その行き帰りに読みました(笑)。

工学部ヒラノ教授のはじまりの場所―世田谷少年交差点物語―

工学部ヒラノ教授シリーズの最新作です。お元気で執筆を続けられているようで,何よりです。
ヒラノ教授が東大に入学する前の,中学校高校時代の愉快でかつハイレベルな仲間たちのお話です。

京都を学ぶ【洛北編】―文化資源を発掘する

京都を学ぶ【洛北編】: 文化資源を発掘する

京都を学ぶ【洛北編】: 文化資源を発掘する

図書館の新着の棚で見かけて,何となく読んでみました。
複数の研究者がそれぞれの分野から「洛北」について書かれているもので,ややかたい内容ですが,「納豆餅」の由来話は面白かったです。
また,本書のカラー中表紙として『新撰増補京大絵図』貞享3(1686)刊 が載っていて,その存在を知ることができたのもよかったです。
この絵図は国立国会図書館のデジタルアーカイブで,インターネット上で無料で見られます。すごい。
国立国会図書館デジタルコレクション - 京大絵図

さて「納豆餅」とは,「洛北」の山間部,京北・美山・日吉東部で食べられているもので,丸餅に納豆をはさんで半月状に折って食べるものだそうです。
筆者はこの「納豆餅」について「宮中雑煮」に起源をもつものではないかと考察しています。長くなりますが,以下本書記述を抜粋します。

p.203
京都では,1700年代初め頃から雑煮祝いが儀礼化していった。年初,一家の主人か長男が汲んだ若水とおけら火(大晦に八坂神社でもらう浄められた火種)で,稲魂が宿る丸小餅と冬野菜を煮て,雑煮を作り,年神様と家族が分かち合って食べる。そのため,雑煮箸は両細になっており,一方は人,もう一方は神様が食べる神人共食用になっている。

p.203
その雑煮は白味噌仕立てであるが,白味噌は戦国時代末期か江戸時代初期にはあったと言われている。

p.204
では「儀礼化」が起こる前の雑煮はどのようなものであったのか。一つ考えられるのは,宮中雑煮である。宮中では,二段重ねの鏡餅が飾られ,その鏡餅の上には,「葩(ルビ:はなびら)」と呼ばれる薄く円い白餅が十二枚,さらにその上に赤い小豆汁で染められた菱餅が十二枚載せられていた。その「葩」が,公家のほか,雑色といった下級役人にまで配られたのである。そのとき,葩の上にひし餅を載せ,ごぼうを載せ,味噌をつけて,配られたという。それをその場で半月状に折りたたんで食べ,酒の肴にした人もいれば,それを持ち帰る人もいたようである。煮てはいないが,宮中の雑煮とはこのようなものであり,それは「包み雑煮」とも呼ばれていた。そしてその半月状に折りたたんだ形のものが,今も裏千家の初釜で出される「花びら餅」である。

さらに,その持ち帰り硬くなった「包み雑煮」を湯で煮て食べたのではないかと書かれています。
一方,京都北部の篠山市東部や京丹波町では正月の集まりで,白味噌を丸餅に塗って半月状に閉じて食べるということにも言及。

p.206
では,「餅味噌雑煮」を食べる人が見られる京丹波町や洛北地域に取り囲まれるようにして,「餅味噌雑煮」と全く似ていない「納豆餅」を正月三が日に食べた人が京北・美山・日吉東部とその周辺地域で見られたし,今も見られるのはなぜか。そして「納豆餅」はなぜ半月状をしているのか。
それは,「包み雑煮」に似た「味噌餅」が「餅味噌雑煮」に取って代わられる前に,あるいは取って代わられようとしたときに,「味噌餅」の味噌が納豆に置き換えられたからではないか。

ほうほう。でもなぜ味噌が納豆に?

p.207
(京北・美山・日吉東部は)
山がちの冷涼な気候のところであり,裏作で作物を作るのが難しく,農業生産高が多くない地域である。これらの地域は木材や薪や炭を売って生計を立てていたのであるが,食料に関しては,他地域からかなりの量を買わなければならなかったはずである。それゆえこれらの地域では,炭水化物だけでなくタンパク質や脂質を多く含む大豆が,きわめて大切な食料であった。

山の斜面でも畑を作って栽培できる大豆な貴重な食料源になっていたけれども,大豆はそのままでは硬く消化に悪い→豆腐で食べる?(食べられる割合が少なく効率が悪い)→味噌にする?(麹を作るのが面倒,当時高価な塩も必要)→納豆なら,麹も塩も要らず,ワラさえあればできる。

p.208
自分が住む地域が納豆作りに適していることに感謝して,「納豆」を作り,「味噌餅」の味噌を納豆に置き換え,「納豆餅」にして,正月三が日に食べるようになったとしても,不思議ではない。

ふむふむ。
「納豆作りに適している」→冷蔵庫とかなかった昔は,ある程度冷涼でないと納豆作りできなかった。

他方,近くの篠山市東部や京丹波町でも良質の大豆が取れるのに納豆(納豆餅)が広まらなかったのか?→丹波杜氏の歴史があり,麹の扱いに慣れていたからではないか?それに,甘味が貴重であった当時は,白味噌の持つ甘さも魅力だったかも,と考察されていました。

危機の心理学

危機の心理学 (放送大学教材)

危機の心理学 (放送大学教材)

放送大学授業「危機の心理学(’17)」のBS放送を録画していたものを数日かけて一気見しました。
www.ouj.ac.jp
災害等,「危機」とされるものに関する心理学的知見を整理されていて参考になります。放送大学の教科書もあわせて目を通してみました。

NHKスペシャル 原爆死 ~ヒロシマ 72年目の真実~

www6.nhk.or.jp

番組内容参考:

「原爆死ヒロシマ72年目の真実」〜核兵器がもたらす余りにも残虐な死の実態を改めて突き付けている/Nスペ 仁王像

8月6日に放送されたものを録画して視聴しました。以下1度通しで視聴しただけの印象で書いていますので,大雑把な記述になっています(悪しからず)。

”ビックデータ”と番宣では言っていましたが,原爆死者の検視記録等が広島市や広大関係(多分)の努力によりコツコツとデータベース化されたものを可視化したという感じで,何か高度な分析集計をしたという印象は受けませんでした。

しかし,いずれにしてもデータを可視化したおかげで,原爆死の実像を再確認していくつかの新たな知見(実証データ)を引き出すことことができたのは意義があったと思いました。

番組内容の要点は,上記リンク先にありますが,自分的に印象に残ったポイントなど:

-聞き慣れない死因ー圧焼死

要するに,倒壊建物の下敷きになって生きながら焼かれたということです。

事例として,広島女学院の講堂で崩れた建物の下敷きになったお友達を声がするのに瓦礫をどうすることもできず,火事が迫ってきてそのままになってしまった方が証言されていました*1

-原爆特有の熱傷

2年前の同じく8月6日のNHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたのか」

www6.nhk.or.jpで,2千度(?)の熱線で皮膚を焼かれるというよりも,表皮を一瞬にして”蒸発”されて剥がされたこと,そしてごっそりと皮膚を剥がされ組織が露呈すると耐えがたい激痛にみまわれること,などが明らかにされていましたが*2,今回のNスぺではさらに新しい知見が出されていて,衝撃でした。

熱線=強いエネルギーをもった光線を皮膚に当てると,皮下にある血管内の血液が一瞬にして”蒸発”し,血管が破裂,同時に皮膚組織も崩壊し脱落するという,通常の熱傷とは異なる機序があったのではないかという,熱傷の専門家の解説があったのです。

原爆による火傷は治りにくいということを聞いていましたが,ああなるほど,通常の熱傷とはかなり違い,(栄養を供給する)血管ごと根こそぎ組織を破壊する故にもっとひどいことになる(回復がより難しい)のだなと素人的にも分かりました。

皮膚は外界に対するバリアーの役割をもっていますが,その皮膚を原爆特有の根こそぎ組織なくなる破壊を受け,ノーガードになった結果,前述の通り激痛に加え,容易に全身的に感染症にかかり,臓器のあちこちがやられて徐々に死に至る,ということです。

まさに拷問です。

-内部被曝と「黒い雨」によるホットスポットの存在可能性

番組によると,爆心から2.5キロ以遠は放射能による直接的な健康被害ないと国はいっているようですが,2.5キロよりも遠い地点で被爆したにもかかわらず,その後原爆症で死亡したとみられるケースが多いことが指摘されていました。まあ要するに,原爆投下間もなく,爆心地に入って放射能を含む塵等を吸い込み,結果として内部被曝した人が結構いたのではないかという指摘です。

また,爆心地からまあまあ離れていて直接被害を受けなかったが,その後に降った所謂「黒い雨」による放射性物質の降下と蓄積により,「ホットスポット」化していたのではないか&「ホットスポット」による原爆症死?という,己斐町のケースが紹介されていました。

以上,以前から指摘されていたことも含まれるのですが,原爆死のマッピング(可視化)により,やっぱりそうだったんじゃないか,とちゃんと言えるようになることは非常に重要なことではないかと思いました。

*1:こんなこと,自分だったらとてもテレビの取材で話すことができない,と感じましたが,72年目になって,もう自分もじきに死んでしまうだろう,という頃になってはじめてお話しするお気持ちになったのかなと思いました。

*2:あまりにも凄惨な内容だったので,今でも怖くて録画を見直せません。