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先生、ワラジムシが取っ組みあいのケンカをしています!

いつの間にか出ていてシリーズの累積数も結構なことになっているなあ・・・と思いつつ,借り出してみました。
ドーム型になっている建物の構造が,ちょうど崖の下に似ていることなどから,野生の鳥が大学の建物に巣を作りまくるエピソードに関連して:

p.78
こういった「人間の生活圏に入りこんで人工構造物を利用する野生動物」という状況も”人間と野生動物との共存の一形態”と考える発想が,特に,イギリスをはじめとした先進国で広がっている。建物や架橋をどのような構造にすれば野生動物が利用しやすいか,を模索する研究も行われている。
このような発想は,従来からの「野生動物が棲む自然豊かな生息地を守る」という典型的な野生動物の保護の考え方とは異なったものである。

へえ~そうなんだ~

pp.78-79
アメリカの進化生物学者C・Kヨーンは,近著『自然を名づける』(NTT出版)のなかで次のような内容を記している。
ヒトの脳には,生物を認識するための専用の情報処理系が備わっているということである。」

その領域が損傷されると生物を生物として認識することができず,混乱した支離滅裂の事物の映像にしか見えなくなったり,場合によってはなんでもかんでも食べようとしたり行動が支離滅裂になることもあるらしいです。
しかし,ここで引っかかったのが,生物が認識できなくなるなら,同じく生物であるヒトは認識できなくなるのでは?それとも例外なのか?
本書での引用からはこのあたり分からないので,原著に当たらないと・・・
あと,上記の『自然を名づける』を受けて,著者先生は,

p.79
人間にとって,生物と触れあうことはとても大切なのである。

と書いておられるのですが,これも少々?と感じました。
というのが,「生物を認識するための専用の情報処理系」が生得的ならば必ずしも「生物と触れあうこと」はなくともその機能は働くのではないか?
その機能が欠けていると生存には極めて不利だと思われるので・・・
まあ,学習によるものか,を確認するのもまず無理でしょうが。なぜなら,ヒトは生まれた時から周囲のヒト=生物に囲まれているし,ヒト以外に限定して考えても,”生物”との接触体験の剥奪状況というのはまず意図的に作らない限り観察されないでしょうから。

もうひとつ,著者先生の所属する鳥取環境大学の建物には甲子園のようにツタをはわせているようですが,管理が大変じゃないかな~と気になってしまいました(笑)。
気になって,ちょっとぐぐってみたページ:
住んでみて初めてわかる、蔦に覆われた家のメリット・デメリット! - NAVER まとめ
恐怖!つたを放置すると…|東京都立川の蔦取り名人
壁面緑化な効果もあるらしいから,いいところもあるんだろうけど,二つ目のリンクはタイトル通り結構恐怖ですね。