自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか

自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか

自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか

lionus.hatenablog.jp
以前読んだ↑の中で,「ヒトの脳には,生物を認識するための専用の情報処理系が備わっている」ということが書いてある,と読んで,どういうことか知りたくて読んでみました。
そのこと自体も面白かったのですが,もっと面白いことが沢山あってよかったです。
本書では「環世界センス」という言葉がキーワードになっています。
「環世界(Umwelt)」とは:

p.16
Umweltは「環境」とか,「周囲の世界」を意味するドイツ語だが,動物の行動を研究する科学者は,その単語を特別な意味で使っている。それは知覚された世界,すなわち動物が感じる世界,個々の種に特有の感覚や認識能力によって捉えられた世界,という意味である。

p.17
イヌやハチだけでなく,あらゆる動物には独自の環世界センスがあり,それは人間も同様である。わたしたちはそれを現実と呼ぶかもしれないが,それは人間の環世界センスであり,人間独自の知覚によって周囲の世界を捉えたものなのだ。

そして,リンネにはじまる”体系化された”分類学は,人間に生来備わっている「環世界センス」にしたがって動植物を分類したものだ,と衝撃的なことを述べています。
つまり,「環世界センス」≒主観で分類したものであり,所謂「科学」ではない,と言っているのです。
しかし,ダーウィンの進化論をきっかけに始まった進化分類学→形質の統計処理による分類=数量分類学→タンパク質の組成やDNAで分類する分子生物学→へニックの『系統体系学』に基づく二者択一強引分岐な分岐学,と「科学的」な度合いが高まってゆくにつれ,従来の「環世界センス」に基づいた分類学とは乖離の度がましてゆき,ついには「魚類」という分類はありえない,という結論を分類学の世界では出すようにまでなった,と本書では記述しています。
そして,分類方法が生の生きものからどんどん乖離していくのと並行して,分類学は一般人(アマチュア)から遠く離れ,そして一般人も生きものの種類など気にしなくなり,生物の多様性といった問題には全くの無関心となっている現状がある,とも述べています。
最後の点は少々つなげ方が強引かなあ(私のまとめ方が乱暴なだけかもだけど)とも思いますが,まあ言いたいことは分かります。
最新の分類学では「魚」という分類は存在しない,とまで言われてるし,生物学徒だった頃の私(=著者)も,科学的な分類ではその通りだ!と考えてたけど,本当にそれでいいの?ということです。
科学論として読んでもなかなか面白い本ではないでしょうか。

ところで,本書ではいきなり日本の「初生ひな鑑別師」の話が出てきてびっくりします。
ニワトリのメス=卵生む用,オス=トリ肉にする用,に分けるために,雌雄判別困難なひなの見分けをする専門職です。

p.326
環世界センスのもつ威力はまれではあるが専門的見地から見て役に立つこともある。

p.327
カンを頼りに雌雄判別しているとしか言いようがない。マニュアルもなければ,ガイドラインもない。あるのは,熟練した初生雛鑑別師による訓練だけだ。

本書の「環世界センス」とは,「官能」の指すところとかなりかぶるところがあるのではないかと思いました。
ひな鑑定師もだけれど,日本人は「環世界センス≒官能」が世界的にみても随分すぐれた一群かもしれません。
あれやこれやのガラパゴスも,研ぎ澄まされた「環世界センス≒官能」の持ち主を主たる顧客にした結果かもしれません。