不正会計と経営者責任―粉飾決算に追いこまれる経営者―

不正会計と経営者責任 ‐粉飾決算に追いこまれる経営者‐ (創成社新書56)

不正会計と経営者責任 ‐粉飾決算に追いこまれる経営者‐ (創成社新書56)

出版社サイトの紹介文には「不正に走らないための経営哲学と,職業倫理観の必要性を説いた。」とあります。当初,本書を手に取ったときは,東芝の不正(不適切)会計について分析しているのかな?という印象を受けたので,読みはじめのしばらくは,自分がどこに連れて行かれようとしているのか見えなくて,ちょっと苦しかったのですが,途中からああこれは企業が正直に会計処理をやり財務情報を出すことの大事さと,その企業会計をチェックする公認会計士の職業倫理のあり方について論じておられるのだな,と感知した時点で面白くなりました。

p.1
「善」と「悪」,その違いは「心の強さと弱さ」にある。世の中から「不正」と「犯罪」はなくならない。どのような不正防止策を構築したとしても「ヒトの悪の心(弱さ)」を封じこめることはできないからである。そして故意・作為による不正行為は後を絶たない。

p.155
「信頼できる財務情報」なくして適切な企業運営はできない。会計がすべてではないとしても,適切な財務情報を基として初めて「適切な経営判断」ができるのである。不正会計の蔓延はひと(企業の関係者全般)の心情から「善(良心)の心」を蝕んでいき,「悪(非改革)の心に対する免疫」を少しずつ減退させていき,最終的には麻痺させてしまう。会計の歴史を顧みれば「不正会計の世界は一種の麻薬の世界」である。一歩足を踏み入れると生半可なことでは厚生(更正)できない世界である。

問題とすべきことは「公認会計士の職業専門家の専門性(職人的技能,感覚)の埋没化(没個性化)を結果し,異常性取引,非経常的取引への研ぎ澄まされた察知感覚の喪失を生んでいる。」という事実にある。監査手続のマニュアル化は「監査手続の標準化」を促進し,効率的監査の実施を促し,一定レベルの「監査の品質の確保」を維持することができるとしても,それ以上の監査技能の向上を抑止してしまう危険性がある。それを十分に理解した上で,利用すべきである。

本書で引用されている,著者先生の過去の著作も手にとってみたくなりました。
ベテラン会計士の自論はいかなるものかと。