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精神療法面接のコツ

精神療法面接のコツ

精神療法面接のコツ

精神療法の技法論を教育(学生指導)へ援用する(しすぎる)のはどうかと思いますが,「厄介な学生」を掌に置いて眺めて自分が冷静になるためのヒント,のようなものを得られることもあるかもしれませんね。
ピンとして抜き書きしたものの中からいくつか以下コピペします。

  • 精神療法理論はその為しえた結果によって自身量られる仮説

p.24
この姿勢で接すると,まず,精神療法の世界で理論と呼ばれているものは,せいぜい仮説の地位に置かれるほどのものに過ぎないことが,見えてくるであろう。
※この姿勢=仮説をたて実験で検証する自然科学のやり方

pp.24-25
理論の価値は新鮮な行動プランや新鮮な視点を生みだしうるか否かにあるのだ,と考えるようになるだろう。それら新鮮な行動プランや視点は,その時点ではただのアイデアに過ぎない。試行され,生じる結果によって行動プランや視点の価値が量られ,それによって基盤となった理論の価値が定まるというのが正しい道筋である。こんにち,仮説と呼ばれるのがふさわしい程度の精神療法理論が,あたかも物差しのごとく用いられ,精神療法の場の外でもてはやされているのは,精神療法と精神療法家にとって不幸なことである。外の世界でくっつけられた虚飾の価値で重みを増した理論が,精神療法の現場に再流入すると,理論が教条の働きをするようになる。結果として,精神療法の現場は不毛の場となる。理論の働きについては,後の章でも何度か触れるが,いまは,精神療法理論は物差しのような他を量る基準ではなく,その為しえた結果によって自身量られる仮説なのだという点だけ,銘記しておいて欲しい。理論に圧倒されないためには,一見よく整っている論旨に対して,「本当だろうか」と疑ってみる能力をもつのがよい。信じるに由来する知恵と疑りに由来する知恵とは,知性にとって車の両輪であり,ともに欠かせない。ただしこの二つの知恵は,終いには「観の目」のなかに統合される。

  • 「厄介は能力である」

p.144
「厄介な症例」の能力を指摘する場合,理の当然として,「厄介は能力である」ということがスタートとなる。厄介であるとは重症の極みではないことでもある。

p.144
「患者が立ち直っていく力の主要部分は,病状を際立たせている部分,例えば厄介さを作っている要素,にしかない」という信念

pp.144-145
「厄介は能力」と言っても,厄介を生みだす特徴は患者ごとにさまざまであるから,能力の指摘も患者ごとにさまざまである。しかし,つぎのことを基本として述べることはできる。
すでに本章の見立ての部分で述べたすべての特徴のうち,負の意味を付与されがちな特徴はすべて「能力」という言葉をくっつけて連想したり解析したりしてみるとアイデアが湧く。各自ためしていただきたい。なかでも,最も重要な「関係を錯綜させる能力」は次章のテーマである。
なお,厄介を能力として話題にとりあげるさいは,その特徴がまず「厄介」として治療者の目に映ったのだという経過を伝えてからスタートするのが定石である。治療者の思考過程を可能な限りガラス張りにするのは,抱え環境の強化のコツである。