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江戸東京の聖地を歩く

江戸東京の聖地を歩く (ちくま新書1244)

江戸東京の聖地を歩く (ちくま新書1244)

lionusは「少彦名命」という神様に親近感をもっていて,その少彦名命をがお祀りされている神社をぼちぼちお詣りするという”追っかけ”をしています。
しかしそれは「少彦名命」という神様を巡る「物語」が自分の中にこそあれば,の話で,そういうことがなければ,わざわざ関西から愛媛県の山の中にまで行ってすっころぶなんてことはしませんよね(笑)

「物語」あればこその「聖地」,そして「聖地」の流動性と主観性について,江戸東京の「聖地」を通じて展開している本でした。なかなかよかったです。
(山中弘「作られる聖地・蘇る聖地」*1より,聖地へのアプローチは①実在論,②場所論,③構築主義の三つに整理できるとの引用を示した上で:)

p.301
本書が依拠するのが③構築主義論アプローチである。場所に対する人間の語りや振る舞いに注目するのだ。本書では,聖地にまつわる物語を調べることで,ある場所がいかに聖地として語られるようになったのか(あるいは,語られなくなったのか)を明らかにしてきた。
そして,近世以降,急速に都市化した江戸東京の聖地を考える場合,自然環境よりも街をとりまく社会文化的変容に注目するのが有効だ。街の変化の速さが多くの物語を生み出し,それゆえに江戸東京には多くの聖地がある。時代ごとに聖地に紐づけられる物語がしばしば入れ替わるのも特徴である。

pp.145-146
ある人々にとって普遍的価値がある場所も,異なる歴史観を持つ人々にとっては無意味に感じられることがある。場所の意味は,そこを訪れる人が持つ世界観・価値観・倫理観といった主観的要素に依存する。どこがダークツーリズムの対象かは客観的に定義できない。残された物と訪問者の主観が合わさることで,その場所は初めて意味を持つのである。
したがって,ダークツーリズムの下位類型である慰霊や追悼の聖地は,他の場所以上に流動的である。いったい誰が誰の死を思い出し,そして悼むのか。慰霊や追悼の聖地においては,主観が果たす役割は大きくなる。震災・政変・戦争などの結果,江戸東京は数々の悲劇の舞台となり,無数の物語が蓄積してきた。寺社はそうした記憶の保管庫として機能してきたのである。

*1:星野英紀ほか編『聖地巡礼ツーリズム』弘文堂,2012