教師の資質・能力を高める! アクティブ・ラーニングを 超えていく「研究する」教師へ ― 教師が学び合う「実践研究」の方法 ―

「研究する」教師へ,というタイトルが気になったので手に取ってみました。
「研究」とは教育実践研究のことであると了解できました。
「専門職」としての初等中等学校教員,それらの専門性とはどこにあるのかということを時々考えます。
児童生徒への指導力だ,教科の指導力だ,色々挙げられると思いますが,勉強すること,向上することを忘れてしまった(止めてしまった)教員はもはや教員ではないとlionusは思っています。
確かに,本書では初等中等の教員が学び続ける実践について様々な事例が読めました。
そして,そのような実践の基礎には,日本の教師たちの実践研究文化があったことが「第1章 日本における教師の実践研究の文化 ――「研究する」教師たち」を読むと分かります。

p.11
斎藤喜博大村はまといった著名な実践家の一連の著作は,実践記録という域を超え,いわば「求道者としての教師」の道を説く側面をもち,良質の教育思想や教育理論のテキストでもあった。

「求道者としての教師」,なるほど。
しかし,最近の「実践的指導力重視の教師養成改革」→「即戦力重視へと矮小化」→「自らの実践の意味を,学習指導要領などからの借り物の言葉でしか語れなくなってしまってはいないだろうか」(p.11)とも,現在~未来についての懸念も表されていました。
その懸念については,「第4章 研究する教師を支える組織やシステム」の「3 行政による研修とネットワークのデザイン――和歌山県教育センター学びの丘の取り組みから」という事例において,「人口減少」と「年齢構成の変化」を背景にした問題意識・・・採用数が少なかった世代→少数派,少数なのに採用後10年目に入ると,中堅役割負担は変わらないので一人当たりの負担感大,世代間伝達の断絶,という問題を乗り越えようとする取組みを読んでより実感をもって迫ってくるような気がしました。
かつては現場の教師間で機能していたインフォーマルな”学び合い””助け合い”の文化が崩壊しつつあるのではないか,何かしらそれを復活・促進するための仕組みを作っていく必要性があるんだろうな~と拝読して感じました。