ゼロからわかる日本経営史

ゼロからわかる日本経営史 (日経文庫)

ゼロからわかる日本経営史 (日経文庫)

本書のカバー裏にあるPoint紹介にある
「幕末開港、明治維新から平成までの日本企業の歩みを解説する入門書です。日本経済の軌跡を企業と経営者が織りなすストーリーとして描きます。」
「現在企業が直面している課題に向き合っている人のヒントにもなります。日本の未来に向かってどのような経営が必要かも解説します。」
といった通りの内容でした。
本文中の引用文献は明確に示されていますし、もちろん巻末にも「参照文献」一覧があるので、ここからさらに広げる・深めることもできます。
日経文庫は、基礎知識のない素人でも分かりやすく、ある程度の知識をサクッと眺められるので便利なシリーズだと思っています。

老いた家 衰えぬ街

先日読んだ
lionus.hatenablog.jp
この本と同じ著者による続編です。

こちらの方は、親が亡くなって空き家となった実家をどうするべきか?!とか、自分が死んだ後相続人に迷惑をかけないようにするためにはどうしたらいいか(住まいの終活を!)といった視点から実用的に書かれているのですが、本書の根底にあるのは、”あなたが損しないように・困らないように・関係者に迷惑かけないように”、のための対策を示すというよりも、そういった問題に関わる情報を幅広く提供することで、日本のあちこちで進行しつつある、地域(ひいては国土)の荒廃につながる空き家問題をできるだけ少なくしたい、といった思いだと拝見しました。

p.200
 今あるまちを、将来世代が使いたいときに使えるような身綺麗な状態でバトンタッチできるようにするためには、「住まいの終活」に取り組むことに加え、国土全体の保全や管理に必要となる負担を「みんなで分かち合う覚悟」が必要不可欠なのです。

危機と人類(上・下)

危機と人類(上)

危機と人類(上)

危機と人類(下)

危機と人類(下)

上下2冊でボリュームがありますが、一気に読んでしまいました。
ココナッツグローブ大火の被害者や遺族へのケアの中から経験的に編み出された「危機理論」(リンデマン)や「危機療法」の研究の知見をもとに、個人的危機の帰結にかかわる12の要因を著者は挙げ、その12の要因を個人ではなく国家にもあてはめて、危機を経験した「国家」の比較研究を試みた、という本です。
取り上げられている国家はフィンランド、(幕末~明治維新期の)日本、チリ、インドネシア、ドイツ(特に第二次世界大戦後)、オーストラリアですが、これらの国を選んだ理由は、著者自身滞在経験があったりして比較的よく知っている国だからということで、客観的な基準はないようです。だからといって、よろしくないとか、つまらないとかいうことは全く思いませんでした。数多くある「国家」について、経験した「危機」について客観的な基準で選ぼうとしたらそれだけで膨大な手間ですので、その手間を省いて執筆にかけるほうがよほど有意義だと思います。
さらに、現在進行中の「危機」とその対処についての考察を、日本とアメリカ、そして世界全体について書かれています。

日本についてはともかく、フィンランドやチリなど今までよく知らなかった国の(危機とその対処について焦点を当てた)歴史を読めたのは、非常にわくわくしましたし、まあまあ知っているつもりの国(例えばドイツ、アメリカ)についても新たな視点が得られたのはよかったです。

当初、「危機」とタイトルにあり、目次をざっと見ると「国家」についてのケーススタディと見えたので、本書を読むことで逆に個人的な危機とその対処法について何か新たな視点が得られないかと思って読んだのですが、「モザイク」と「選択的変化」というキーワードについて読めたのは、それに適うものでした。

p.13
だが、どんなに順調にみえる人であっても、彼らの人格は、大火後の新しいアイデンティティとその前からあった古いアイデンティティとが混ざり合ったモザイク状になっており、何十年も経った今も変わらない。本書では、この「モザイク」という比喩表現を用いて、異質な要素がぎこちなく混在する個人や国家を表現していく。

pp.15-16
外圧でも内圧でも、それにうまく対応するためには、選択的変化が必要である。それは国家も個人も同じだ。
 ここでのキーワードは「選択的」である。個人も国家も、かつてのアイデンティティを完全に捨て去り、まったく違うものへ変化するのは不可能であり、望ましいわけでもない。危機に直面した個人と国家にとって難しいのは、機能良好で変えなくてよい部分と、機能不全で変えなければならない部分との分別だ。そのためには、自身の能力と価値観を公正に評価する必要がある。どれが現時点で機能し、変化後の新環境でも機能するか――つまり現状維持でよい部分を見極める。そして、新たな状況に対応すべく、勇気を持って変えるべき部分も見極める。これを実行するには、残す部分と能力に見合った新しい解決策を編み出す必要がある。同時に、アイデンティティの基礎となる要素を選び出して、重要性を強調し、絶対に変えないという意思を表明する。
 これらは危機に対する個人と国家の類似点の一部である。

もしも刑務所に入ったら - 「日本一刑務所に入った男」による禁断解説

サブタイトルに「日本一刑務所に入った男」による禁断解説、とありますが、これは少々煽り気味で、刑務所に視察に(恐らく)日本一入っている大学の先生が書かれた本です。
けれども、刑務所ってどんなところ?入ったらどんな生活?など、総合的に垣間見られて面白かったです。
実のところ、本書を書かれた裏目的には、刑務所をめぐる制度や政策についてもっと一般の人も知ってもらいたい・考えてもらいたいというところがあるように思いました。
「第5章 刑務所が抱えている問題」には、刑務所に何度も出たり入ったりする累犯者の存在と、さらには累犯者の高齢化問題、無期刑囚はすべからく死ぬまで刑務所に入れておくべきなのかといった問題提起がなされています。
「最終章 出所後の生活」では、第5章でも述べた受刑者の高齢化問題とともに、

p.197
 罪を犯して出所しても、その犯罪者が若くて健康で体力があれば就職口がある。しかし、高齢者や障害者の受刑者は就職口がなかなか見つからないということが、犯罪を重ねることにつながっている。
 彼らは刑事政策と地域社会の狭間の問題に陥っていると言える。民間企業の受け入れが絶望的な老人受刑者は、もはや面倒を見る場所が刑務所しかないのである。

薬物によって刑務所に入った人をどうするか問題も書かれています。

p.198
 老人や障害を持つ受刑者の更生と並んで困難を極めているのが、薬物で刑務所に入った人たちである。

p.198
高齢受刑者が就職するのは難しいが、薬物依存症者においては年齢が若い人が多く、薬物を断ち切ることができれば、就職口も見つかり、再起できる可能性は高いと言える。

p.199
 刑務所の役割は、あくまで罪を償う場所であって、犯罪者の復帰支援のために存在しているわけではない。再犯防止の命題は、むしろ受刑者たちを受け入れる地域社会に委ねられている。

新型コロナの科学―パンデミック、そして共生の未来へ

基礎系(元)医学研究者による、新型コロナウイルスについて迅速広汎なまとめ本です。
いやいやすごいです。
きっちり膨大な資料を調べ上げた上で、その情報量にも溺れることなく、一般的な読者(新書読者)に対しての2020年10月23日時点(11月23日再校時の追記情報もあり)での新型コロナまとめを示してくれています。

amazonレビューでも書いている人がいますが、本書で一番衝撃的だったのは、厚労省PCR検査のネガティブ・キャンペーンをはっていたという指摘です。

p.175
 日本のコロナ対策の最大の問題は、PCR検査を制限したことである。民間臨調の表現を借りれば、PCR検査は「日本モデル」の「アキレス腱」であった。

p.176
驚いたことに、PCR検査が少ないのは、専門家会議と厚労省の確固たる方針であったのだ。
 症状のはっきりした患者と濃厚接触者にPCR検査を行うという方針である。症状がない人は健康であり、病気でもない人に検査をするのは、健康保険の方針に反するからである。

これに関し、「行政検査」というキーワードが出てきます。

p.177
 行政検査は、たとえば、建築、食品などの安全性などのために、行政が行う検査である。方法、手続きなどが決められている行政検査は、信頼性が高く、われわれの生活の安全性を保証してくれる。確かに、新型コロナに対しても行政検査で完全に対応できれば問題はなかった。しかし、無理と分かった後も、厚労省は行政検査に固執し、そのためにPCR検査は著しく制限され、逆にわれわれの安全性が脅かされることになった。

p.178
 行政検査は、行政上必要な検査であり、公的資金で行われる。このため、むやみに検査を増やすわけにはいかないと考えた厚労省結核感染症課は、「受診の目安」を発表した(2月17日)。

後に撤回されることになった、37.5度以上4日間というやつですね。

pp.180-181
 最大の問題は、厚労省が政治的に動いて、国民の目の届かないところで、自分たちの主張を通そうとする態度である。公務員としての意識が欠如しているとしか思えない。さらに、厚労省と外郭団体の中には、「行政検査による検査権と既得権益の維持を優先」する人たちがいたと、民間臨調の報告書に書かれている。これも驚くべき事実である。厚労省が「行政検査」に固執していたのは、「検査権と既得権益」のためだったのだ。コロナ禍という国家的大事件の下で、司令塔である厚労省がここまでの弊害を残していたとは信じられない。

「検査権と既得権益」を守るため、と言われれば、そうかそうかそうなのか!ひどい!と思えなくもないのですが、これだけで、あんな固執につながるものなのかと、自分としてはまだ十分な納得はできません。これが書かれているという民間臨調の報告書をあたってみればもっとあれこれ書かれていて納得できるのかな・・・?
これについては、以下のような構造もあるのかな?と本書読みながら思いはしました。

pp.181-182
 一般的に、本質を理解している人の方が、頭が柔らかい。法律や行政を専門にしている官僚に比べると、医系技官は他分野からの参入だけに、より官僚的になりやすいのではなかろうかと危惧する。新型コロナ対策ではあらゆるところで、行政のかたくなな態度が目につき、それが。いわゆる「目詰まり」となっているのではなかろうか。御厨貴が指摘しているように、「官僚がうまく回っていない中で一番の問題は、やはり、厚生労働省」の問題である。特に医系技官は自分たちの専門に自負心を持っているが故に、他の人たちの意見を聞かず、自分たちで処理をしていく。御厨は厚労省が医系技官の存在を見直さないと今後大きな問題になり得ると指摘する。

上記は、医学部出て医療行政の世界に入っている彼らに一定の敬意を示した上で書かれている内容です。

最後に、本書の章立てを示しておきます。

  • 推薦の言葉(山中伸弥
  • はじめに
  • 序章 人類はパンデミックから生き残った
  • 第1章 新型コロナウイルスについて知る
  • 第2章 新型コロナ感染症を知る
  • 第3章 感染を数学で考える
  • 第4章 すべては武漢から始まった
  • 第5章 そして、パンデミックになった
  • 第6章 日本の新型コロナ
  • 第7章 日本はいかに対応したか
  • 第8章 世界はいかに対応したか
  • 第9章 新型コロナを診断する
  • 第10章 新型コロナを治療する
  • 第11章 新型コロナ感染を予防する
  • 第12章 新型コロナと戦う医療現場
  • 第13章 そして共生の未来へ
  • おわりに
  • 再校時の追記
  • 引用資料

老いる家、崩れる街

自分の近所で、人気住宅地の駅チカ(徒歩数分)なのに、空き家になったままの一戸建てがちらほらある一方、同じ市や隣接市の山の上に新たな宅地分譲がまだまだどんどんされているのを見て、何だか不効率というかこれでいいのかなあと、ぼんやり思っていました。
そういったぼんやりな疑問について、やっぱりヤバイよねと都市政策的・住宅政策的な視点から警鐘を鳴らし、いくつかの提案をしている新書です。
興味深かったです。

中学受験(岩波新書)

中学受験 (岩波新書)

中学受験 (岩波新書)

本書は中学受験の”光”と”影”のうち、どちらかというと後者に焦点を当てています。
amazonユニクロに労働者として実際に”潜入”してルポ*1を書いた著者による新書です。
私自身は、高校までは公立、大学は私学に通ったクチで、ちゃんとした”中学受験”は経験していません。
けれども、近年の中学受験ブームとともに、「教育虐待」という言葉をちらほら聞くようになって、そのあたり現状どうなっているんだろう?とはうっすら疑問に思っていました。
本書は、そういったうっすら疑問に応えてくれるような本だと思います。

本書のアマゾンレビューを読むと、高評価・好意的なレビューの一方で、☆1つで否定的な内容もみられます。
著者が本書の中で自分の体験をかなり率直に述べているとおり、実は息子が(中学受験を目指して)小3から塾に行ったものの、頑張り過ぎてか4年秋から心身の調子を崩してしまい、結局”いち抜けた”、という背景もあります。
ようは”落伍者”による悔し紛れの書じゃないか、偏りがありすぎるのではないかとかいう感じの批判です。
まあそういった面もあるかもしれませんが、でも本書でふれられている、世間に流布する中学受験をよいものとする雑誌や本の”偏り(もしくは欺瞞)”の背景があるとすると、こういう本が一冊くらいないとバランスがおよそとれないじゃないか!と思います。

さてこれは、2013年に書かれた本ですが、
以前、その他にも基本的には中学受験はいいものだという立場をとりながら、最近の動向はこんな感じ!とレポートしている本も、ちょっと前(2018年)に読んだことを思い出しました(これはこのブログには書いていませんでした)。
メモ代わりに貼り付けておきます(内容は中学受験以外の”受験”もあります)。

*1:どちらも未読ですが。