テキストマイニング入門:ExcelとKH Coderでわかるデータ分析

10年くらいぶりにKH Coderを使うので、リハビリのために手に取ってみました。
以前KH Coderを使ったのはいつだっけと、旧日記を探してみると
lionus-old.hatenablog.jp
2009年3月頃だったようです。
当時は、KH Coder作者先生によるオフィシャル本もまだ出ていなかったし(赤い方=初版は2014年)、なかなか苦労していた記憶があります。その過程で、作者の樋口先生から直接(日記への)コメントをいただいたのも貴重な思い出です。

さて、リハビリのために手に取ってみたこの『テキストマイニング入門』、類書をほとんど読み比べていませんが、あまり調査に詳しくない人にも読んですぐKH Coderを使って”テキストマイニング”ができるくらい(多分)、分かりやすく書かれていると思いました。
自分的に特にいいな!と思ったのは、

  1. Case1 1つの文章データのみ分析対象とする場合
  2. Case2 複数の文書をまとめて分析する場合
  3. Case3 「文章」+「文章に対応する変数」を同時に分析する場合

の3つの場合に分けて、それぞれ分析に使うデータファイルの作り方と、分析の仕方を指南してくれているところです。
その他、付録で参考図書がコメントつきで紹介されているのもいいな!ポイントです。

とりあえず10年あまりのブランク(とその間のKH Coderのバージョンアップ)は、本書のおかげで意外とサクッと乗り越えられそうです。よかったよかった。

学生のためのデータリテラシー(FOM出版テキスト)

2021年2月発売。最近データサイエンス(の初歩?)を大学(特に文系学生)で教えないと!との動きが盛んで、それに対応したテキストとして作られています。
半期14回の授業で使うことを想定されているようで、FOM出版らしく手堅くまとまっている印象です。
個人的には独立したサンプルのt検定をする前に、F検定で等分散性のチェックをしないのはもやもやしたりしますが。
本書については色々意見は分かれそうな気がしますが、えっ?データサイエンス?何かやらなきゃ?とりあえずExcelで!という用途には便利な本だと思います。

ビッグデータと人工知能 - 可能性と罠を見極める

2016年初版で、自分が読んだのは2019年8版(8刷ではなくて?)です。
人工知能に関係する情報科学の事項をあれこれ解説しながら、著者先生の人工知能に対する意見を述べておられます。
この分野の知識が乏しくても、人工知能というものの理解に必要(と著者が考える)周辺知識から説き起こしてくれるのと、たたみかけるように同じような内容を表現を変え繰り返し提示してくる書き方*1なので、頭が迷子にならず読みやすかったです。
技術的なことには深入りしないのも、世間の大多数を占める文系人間にはやさしいです。

本書のキモは、「生物と機械のあいだの境界線とはいったい何か?」(p.105)で、「実はこれが本書をつらぬく基調テーマなのである。」(p.105)と書いている通り、自分は一番面白かったところです。
やはり、生物(人間)と機械(人工知能)は本質的に異なるものだから、所謂シンギュラリティ仮説はおかしいというのが書かれています。

*1:大事なことは何度でも言い方を変えながら提示しつつ、文章としておかしなことにならずまとめてくるというのは、非常に頭のいい人じゃないとできない技ではないかと、本書を読んで感じました。

「顔」の進化―あなたの顔はどこからきたのか

はじめに口ありき
pp.19-20
 そもそも、植物や菌類には口がないが動物には口があるのは、植物は光合成により自分で影響をつくり出し、菌類は菌糸で外部の栄養をこっそりと吸収できるが、動物は自分では影響をつくれず、菌糸もないからにほかならない。そのため、ほかの生物体を暴力的に体内に取り込んで栄養とする必要があり、その取り込む部分として口ができたのだ。つまり、「口を持つこと」が動物の本性であり、それを活用するための選択肢の一つとして「移動する」という属性を身につけたといえよう

p.20
 消化管の入り口である咀嚼器としての口が、身体の前端に形成されれば、そこが外界や食物に最初に遭遇する場所となり、その周辺に視覚、味覚、聴覚などの感覚器が集中するのは当然のことだったろう(尾や尻に感覚器が集中してもあまり役に立たないはずだ)。このようにして「顔らしさ」の条件が整ったのだろう。そして、そのすぐ近くに、それらを統御する脳も発達した。また、顔のなかでもとくに目立つ眼と口は、顔が顔としてほかの個体から認識される際にも重要になった。

前半は生物学っぽい話が続きますが、後半はヒトの顔の話になっていき、顔の話なんだけれど初期猿人から新人ホモ・サピエンスへの進化、そして日本人の起源についての話になっていき、読み進めるごとに面白くなっていく本でした。

色々面白いポイントはあるのですが、
こういうスケール感覚をもって考えるのはいいね、と印象的だったところです。長くなりますが抜き出します。

大きさの影響は深刻
pp.65-67
 そもそも、動物の身体の構造は、大きさの影響を強く受けている(スケール効果)。かりに、ある動物が同じ形のままで2倍の大きさになったら、体表面積は4倍になり、体重は8倍になる。このとき、四肢の骨の断面積は4倍にしかならないので、8倍になった体重を支えるのは難しい。そこで、身体を支持して移動するために必要な強度を得るには、まず骨の断面積を8倍にする必要がある。しかし、そうすると骨格全体が重くなりすぎるので、実際には6倍程度で妥協せざるをえない。筋力も筋肉の断面積に比例するので、骨と同じ4倍にしかならないが、運動範囲を制限したり、四肢の筋肉構造の多くを羽状筋にするなど工夫したりして(図1-21)、6倍程度に高めている。だから、大型動物は絶対的には頑丈な骨格と強力な筋肉を持つが、じつは相対的には見かけ倒しで非力なのである。
 栄養を吸収しエネルギーを発生するための消化器官や呼吸器官も重量が8倍になるが、実際に働く粘膜の面積は4倍にしかならない。つまり、エネルギーは4倍しか生産できない。しかし、体表から失われる熱は体表面に比例し4倍なので、体重のわりには、熱の消費は少ない。一方、体を動かす筋肉のエネルギー消費は体重に比例するので、8倍も必要になる。しかし、エネルギー生産は4倍なので、大型動物は小型動物のように活発には行動できない。
 ところが、感覚器および中枢神経系は情報を扱うので、体重に比例して大きくなる必要はない。つまり、大きな動物ほど、身体のわりに感覚器が小さいという傾向がある。

なぜ起こる鉄道事故

なぜ起こる鉄道事故 (朝日文庫)

なぜ起こる鉄道事故 (朝日文庫)

Twitterか何かで本書について言及している記事を見て、単行本を借り出して読みました。
以前のはてなダイアリーを見ると、既読だったようです。
lionus-old.hatenablog.jp
以前の日記では、鉄道はまず停まることが安全の基本というところに反応していたようですが、
今回はATS(自動列車停止装置)の至らない点、具体的には、国鉄(当時)には色々な車両が走っているので、危険だからここで車両を自動的に停めてしまうと一律に決めることができない、したがって停止せよ警報を出すだけで、しかもその警報は運転士が確認ボタンを押すと鳴り止む仕組みのため、警報が出た後、運転士がうっかり停まるべき所で停まらなかったらアカンことになるというところに非常にぞーっとしました。
そのようなATSの欠点をなくした進化版のATCが新幹線に採用されている、という(著者の)記述も読むと、なるほどと思います。
その他には、業務上のルールと現場の実情が違う場合をどう考えるべきか、具体的なエピソードを通じて書かれているところや、現場の一種の”人情”から事故隠し(かばいあい)が起こっていた旧国鉄の状況とか、旧国鉄労働組合問題と絡めて書かれているところは何とも言えない気持ちになります(著者は当時労働組合と対決する立場にあり、最後はJR東日本会長になられた方)。

入門 人間の安全保障 増補版―恐怖と欠乏からの自由を求めて

図書館の新着コーナーで背表紙のタイトルを見て、何だか知らんけれどもこれは読むべきだと直感して手に取りました。
(自分にとっての)その直感は正しかったです。
国際社会とか国連とか、地域武力紛争とか、自分は非常に疎い分野ですが、本書はそのような知識ゼロの人も読めるように、
「第1章 国際社会とは何か――成り立ちと現況」
「第2章 紛争違法化の歴史と国際人道法」
という2つの章を割いて基礎的な知識を提示した上で、本題である
「第3章 「人間の安全保障」概念の形成と発展」
に入るという構成になっています。どうも大学の授業での経験をベースにされている本のようで、それがかなり反映されているのではと思いました。

さて本題の「人間の安全保障」とは、本書で示されている定義によると

p.83
 「人間の安全保障」(human security)とは、「人びと一人ひとりに焦点を当て、その安全を最優先するとともに、人びと一人ひとりに焦点を当て、その安全を最優先するとともに、人びと自らが安全と発展を推進することを重視する考え方」(緒方貞子)です。「世界社会開発サミット」(1995年3月開催)に向けて、1993年から94年にかけて国連開発計画(UNDP)によって打ち出され

たもので、さらに

p.88
「人間の安全保障」の主要構成要素として、「恐怖からの自由(freedom from fear)」と「欠乏からの自由(freedom from want)」の二つを挙げました。

ということです。「基本的人権」の考え方と共通しているところがあるな~と読みながら感じましたが、

p.109
「人間の安全保障」は人権保障とイコールではありません。しかし、両者は密接に補完しつつ関わり合っているのです。この関係を象徴的に示す概念として「尊厳(dignity)」があります。
 日本では1998年12月の小渕総理演説において「人間の生存、生活、尊厳を脅かすあらゆる種類の脅威を包括的に捉え」る概念として「人間の安全保障」を提示するなど当初から意識され、先に引用した国連文書にも明記された概念です。本書でも恐怖と欠乏からの自由に加え、「人間の安全保障」が実現しようとする三つめの自由・価値として、「尊厳をもって生きる自由」を位置付けていきます。

ということで、さらに一歩踏み込んだというかひと味違うところがあるのかなと思いました。
本書では「人間の安全保障」を軸に、それに関連するいろいろな問題をさらに解説しています。
災害に興味ある自分には、心理学とか社会学とはまた別な角度から災害救援や防災(災害被害の予防)を考える視点を教えられた本でした。

本田宗一郎―やってみもせんで、何がわかる

「ミネルヴァ日本評伝選」のひとつです。
以前、同シリーズで、ソニー創業者の井深大の評伝を読みましたが、
lionus.hatenablog.jp
ホンダ創業者の本田宗一郎のもあると知り、

p.14
宗一郎は三回の起業をいずれも成功させたが、宗一郎の戦後の成功が、ホンダの成功である。その戦後の宗一郎の経営者人生にはいくつかの句読点があるが、それらがすべて以下に説明するように戦後の日本経済の句読点と不思議に一致している。その意味で宗一郎は、戦後日本経済の復興と高度成長を象徴する経営者なのである。

「戦後日本経済の復興と高度成長を象徴する経営者」という点で、ソニーとホンダは私の頭の中では同じようなカテゴリに入っているので、じゃあこちらも読もうかということです。
本書は宗一郎本人やホンダに特に関係が深いというわけではないが、出版社から依頼を受けたベテラン経営学者の先生によるもので、創業者・経営者としての面に焦点をあてています。
最後、「お礼の会」(社葬は故人の遺志でしなかった)のくだりはジーンときました。なかなかいい読後感でした。
「思想の人、理念の人」

p.265
「私の哲学は技術そのものより、思想が大切だというところにある。思想を具体化するための手段として技術があり、また、よき技術のないところからは、よき思想も生まれえない。人間の幸福を技術によって具体化するという技術者の使命が私の哲学であり、誇りである」(『私の手』54頁)

技術は手段であって、目的化してはならない。