絵でわかるネットワーク

かわいいペンギンのイラスト(説明図)がふんだんにあり、まさに「絵でわかる」通りの内容です。
けれども、かわいいだけではなく、類書(初心者向けのネットワーク入門書)にはあまり書いていないような細かい、というか実用的(と思われる)内容まで、さらりと分かりやすい口調で書かれているのはいいなあと思いました。
例えば

p.185
 通信と保存では使われている単位が異なります。通信で使われる「100メガ」の後には「ビット」が隠れています。100Mbpsは、1秒間に100メガビットの情報を送れる、の意味なのです。
 一方、容量で使われる100メガの後には「バイト」が隠れています。

も、盲点だった・・・

p.186
 800メガビット(ファイルの大きさ)÷100メガビット(回線が1秒間に送れる情報量)=8(秒)

一汁一菜でよいと至るまで

雑誌連載をまとめられた本です。
料理のレシピなどはのっていません(笑)。土井善晴先生が「一汁一菜でよいと至るまで」の人生の軌跡を語っておられる本です。
面白かったです。
もとが雑誌連載ということで、ひとつひとつの話題の区切り(まとまり)がそんなに長くなく、そしてエッセーというかご自身のお考えを平易な言葉で読みやすく語っておられるので、大学入試とかの国語問題として出題されてもおかしくない(lionusおすすめ?!)と思いました。
少々長くなりますが、こんな調子のことがあちこち書かれていて、ほほうほうほう、と読ませてしまうのですよ。

pp.145-147 バブル時代の頃、茶事の仕事を手伝っていたときに使っていたとある高麗茶碗が、うん千万は下らないという話を聞きショックを受けました。値段自体の驚きもありますが、私にはその茶碗の価値がわからなかった。自分の目にはその違いが見えなかったのです。
 例えば、5000円の器と50万円の器の違いはなんであるのかがわからない。誰かが「これはええな」と言った途端によく見える。後年そういうことがなくなったとき、その理由がわかりました。人の言葉に影響されて感情の変化が起きるうちは未熟なのですね。いいものは話を聞く前からいいものなのです。
 そんなことがあって、自分の目は「見えない」ことを知るのです。何も見えていないと自覚したと言っていい。二十四、五歳の頃でした。
 結局のところ「これはいいものだ」と決める人がいます。ですから、「見えるか/見えないか」の基準は、よいものだと「わかったもんの勝ちや」と思いました。見えないうちは話にならない。見えるようになりたい。で、どうすれば見えるようになるかといえば、それは、ひたすらいいものを見るしかない。とにかく、最高のものを見るという経験が必要です。
 「そのためには買わんとあかん」「失敗せんとあかん」と、教えてくれる人がありました。また、「自分は嫌いだけど、これはいいものですね」「これはあまり良くないものですが、自分は好きだ」という「好きなもの」と、実際に「善いもの」とを、区別して見ないといけないこともわかってきました。とにかくいいものを見ないといけない。しかも、雑多なものよりも、一級品のいいものを見ないといけません。
 それからというもの、時間があれば、大阪中之島の東洋陶磁美術館、天王寺大阪市立美術館、京都の国立博物館などに通い始めました。美術館の会員証を持って、少しでも時間があれば、とにかく見る。

上の文章なんて、「見える」とはどのようなことだと筆者は言っているのか、文章中の言葉を使って〇〇字以内で書け、なんて出題をできそうじゃないですか。

宮本常一 人間の生涯は発見の歴史であるべし

ミネルヴァ書房の評伝シリーズです。
今まで「私の日本地図」シリーズを何冊か読んだことがあり、
lionus.hatenablog.jp
なかなか面白かったので、この評伝も読んでみました。
宮本常一に直接師事された方がお書きになったので、人柄がいきいきと伝わってくるような感じでした。

pp.250-251
常一がこの研究所の所長になったことに批判があったらしい。なぜ「観光」にかかわるのかということである。観光地、観光化された、大勢の観光客など、あまりよくない意味に取られていることから、学者が観光にかかわるのをよしとしないことだったようである。
 「観光」の二字は中国の『易経』にある「観國之光 利用賓于王」に由来するとされる。これを現代風に訳すと、「その国の光のような、繁栄や賑わいを観ることで、訪れた人々が自分たちを国の王様に招かれた客のように感じ、その地域のためになることをする」ということ、簡単にいうと、「観光とは国の光を観ること」となる。ここでいう国は日本国の「国」ではなく、町、村、あるいは集落、組内を指している。
 常一がこの「国の光を観る」を声高にいうことはなかったが、理念に基づく指導でやって来る若者たちを「国の光を観る」ことのできる人間に育てたのは確かである。

今や「観光学部」なんて大学にできる時代なんだよなあ。

災害文化を育てよ、そして大災害に打ち克て:河田惠昭自叙伝

資料等も含めると、500ページ近い分厚い自叙伝ですが、炎のような筆致でその分厚さを感じさせませんでした。
災害研究の第一人者の著者先生ですので、自叙伝と銘打ちながら、災害研究の個人史として読みごたえがあります。
色々と印象深いところばかりなのですが、中でも読んでいて思わずほんとに「え?!」と声が出てしまったのが、第2章「16 1983年日本海中部地震津波災害調査」の現地調査2日目にして、一緒に行った先輩の助教授が「明日、飛行機で帰る」と言い出したというところです。

p.86
理由は、今日一日の調査で、自分なりに理解できたので、帰ることにしたというわけである。突然の発言にあっけにとられ、しかも車の運転は君と技官が交代でやればよいから、自分は不要だろうというわけである。

全然他人事ながら、はああああああああ?ですよね~

p.86
喧嘩をすることもできたが、その結果、彼が一緒に来るようになっても、今度はあまりの身勝手さを知ってしまうと、むしろ不安定要因になりかねないのである。

かわたせんせい、冷静だ・・・

p.86
結局、彼は翌朝、さっさと鳥取空港から帰った。

さようなら~

と、こういうことだったようなのですが、続けて書かれていることに唸りました。
なるほど。途中でブッチする奴もいるということとかを学ぶこともありか。
最近大学でもPBLとか現場で学ぶとか盛んにやられているのは、”最近の若い者”にとっては大事なのかもしれないな~
(以下太字はlionusによる)

p.86
 大学では現地調査をいかにして実施するのかというような講義はない。しかし、私たちが土木工学科三回生の時、75日間の測量学実習があった。当時の建設省の地方事務所や都道府県土木部に実習に行くので、そのとき現地調査を経験できる。75日間というのは、夏休みと春休みのすべてということである。しかも、無単位必修科目となっていた。今では、このような課目は無くなり、期間を短縮して選択課目になっている。この実習で学んだことは大きい。要はデスクワークであれ、フィールド調査であれ、目的を目指して複数の関係者が協力して仕事をするマナーを学習できるからである。現在、インターンシップという名前で行なわれているのがこれである。

廃墟からの歌声 原爆投下後の傷害調査にたずさわった遺伝学者の回想

原爆投下の人体への影響を調査するために、アメリカが設置した調査研究施設であるABCCに、1949年に遺伝学者として赴任し、以来何度かの帰米・来日をはさみながら、ABCCが放射線影響研究所へと改組された後も長年運営にたずさわってこられたシャル博士の回想録です。
www.rerf.or.jp
戦後間もなくの日本が、朝鮮戦争特需をきっかけにどんどん復興し、そして繁栄していく、その時々の回想と、本書が書かれた1990年あたりのご本人の日本に対する感慨や、日本社会や文化に対する見解が書かれていて、なかなか面白い内容でした。
アメリカ人から見た日本人の”生態”が淡々と詳細に記述されているところ、例えばABCC(広島)がある比治山での毎年の花見どんちゃん騒ぎの描写などは、ただありのまま詳しく詳しく記されているために、ある種のおかしみまで漂う感じで、何ともいえません。真面目な方なのだと思いますね・・・

p.314
 いくつもの集団が特別狙撃対のように公園にやって来て、それぞれがゴザ、弁当、そしてたくさんの日本酒やビールなどを運び、魅力的な場所、できればたくさんの桜が咲いている枝の下に、場所をとってゴザを敷きます。

(その後、数ページにわたって日本人の花見どんちゃん騒ぎの描写が続く)

p.316
このようなことが起こっている間、ABCCにいる私たちは歯を食いしばって、次の日の宴会のために心の準備をするのでした。そうしているうちに、桜前線がさらに北へ進んで行き、この騒ぎもまもなく終わり、静けさがもどってくると、私たち自身を慰めるのです。

その節は、ほんま騒がしくてすんませんでした(汗)

広島ご城下 歴史たび

WCCE2022という国際会議が広島市であり、それに参加して4泊5日間広島市に滞在しました。
広島市原爆ドーム厳島神社(宮島)という2つの世界遺産で有名ですが、市内を6本の川が流れるデルタ街であり、川辺の景観もなかなかいいものです。
そのデルタ街がどのように形成されてきたか、広島城の城下町としての成立前~現在までの流れを図表とともにまとめている貴重な本です。
著者は元広島テレビ放送記者で、歴史の専門家ではありませんが、よくここまでおまとめになられたものだと感銘を受けながら読みました。
本書を読むと、豊臣秀吉が天下人になり、戦国時代が終わりつつある時期に、これからは山の中の本拠地ではなく河口の水運至便なところ=広島湾頭に本拠地(城下町)を作り商業第一にしないと毛利家が発展しない!と、毛利輝元が頑張って太田川河口の砂州干拓してガンガンやり始め、広島城と城下町を建築し、それを福島正則がさらに拡張、発展させ、福島氏が改易された後に入った浅野氏が平和な江戸時代に干拓地をもくもくと拡げた結果が、ほぼ現在の広島市なんだな~とよく分かりました。
さらに、近代都市になるための宇品湾の築港や、水害対策のための太田川放水路の整備まで、現在の広島市になるまでものすごい労力がかかっていることも分かりました。

広島デルタ、と何度も聞いてはいたものの、三角州(土地)があってその間を川が流れているというイメージであったのが、本書を読むと、そうではなく、海(河口)に三角州が浮かんでいるくらいのイメージだったんじゃないかとまで感じます。
それくらい認識がまるきりシャッフルされる本でした。

平和都市として世界に知られる大都市・広島。実は戦国時代の終わりごろまで、現在の広島市中心部は、ほとんどが海の中にありました。

https://www.nhk.jp/p/buratamori/ts/D8K46WY9MZ/blog/bl/p3BZoRyyd3/bp/pAmvkKXRGa/

某WebメールからEML形式でメールをエクスポート、デスクトップ版Outlook経由で365のOutlookに取り込むまで。

タイトル通りのややこしい方法で、職場で提供されているWebメールシステムのメールを、EML形式でエクスポートし、それをPST形式のファイルに変換して、デスクトップ版Outlookに取り込み、同時に365のWeb版Outlookに入れ込むまでの過程です。
備忘録として書いておきます。

まず、なぜとあるWebメールシステムのメールをどうこうする必要があったのかといいますと、当該システムのメールボックスサイズが、500MBと、なんとも古式ゆかしく奥ゆかしい(?!)仕様だからです。
この4月に就職して現在まで4ヵ月余りで7割近くを使用してしまい、年度末までまずもちません。
メールボックス溢れを防ぐためには、古い不要なメールから削除して整理する必要があるのですが、数ヵ月前くらいのメールを消すのはちょっと・・・
そこで、別途職場から提供されているMicrosoft365のアカウントのOutlook(Web版)を、アーカイブ用として活用することを思いつきました。
職場Webメールから、職場365Outlook(Web)に転送すれば、現在以降の受信メールのバックアップ(アーカイブ)はできますが、今までの受信メールはどうしよう・・・
盆休みに思い立って手をつけ、以下のような試行錯誤をしました。

  • Webメールから、ちまちまとEML形式でエクスポート→4n6という試用版のフリーソフトでPST形式に変換し、365Outlook(Web)にドラッグ&ドロップしてみる

→ダメでした
色々調べると、デスクトップ版のOutlook経由で、365Outlook(Web)に取り込む方法ができそうなので、
nasunoblog.blogspot.com
support.microsoft.com

  • デスクトップ版のOutlookに、取り込みたい365Outlook(Web)のアカウントを設定した上で、4n6で変換したPSTファイルをインポート→365Outlook(Web)にも入っているか確かめる

→OKでした。
→しかし、4n6は無料の試用版だと、一度に10個までしかEML→PSTファイルの変換ができないことに気づいたので、800通余りのメールを10個ずつちまちまちまちま作業すると考えると、うんざりしますし、そんな単純作業の繰り返しでは絶対どこかでミスをするおそれがあるので、有料版にアップグレードするか、また別な方法をとるか、考えました。
さらに調べると、同様なフリーソフトでMailStore Home というものを見つけ、これは制限がなさそうだったので試してみました。
forest.watch.impress.co.jp

  • (デスクトップ版のOutlookに、取り込みたい365Outlook(Web)のアカウントを設定した上で)、一つのフォルダにWebメールからダウンロードした800通余りのEMLファイルをまとめ、そのフォルダをMailStore Homeに読み込ませ、デスクトップ版のOutlookにインポート→365Outlook(Web)にも入っているか確かめる

→成功しました。EMLファイルが入ったフォルダごと、選んだアプリ(システム)にそのまま取り込まれるのでとても楽でした。取り込まれ方は、受信フォルダではなく、別立てのフォルダ(EMLファイルを入れていたフォルダ名が利用されている)になっていますが、まあアーカイブと思えば、それでヨシ!という感じです。