ヤクザになる理由

ヤクザになる理由 (新潮新書)

ヤクザになる理由 (新潮新書)

フィールドワークの好例としてどこかで紹介記事を見かけて、読みたいなあと思っていたら、図書館の新着棚にあったので読んでみました。
本書の最大の特徴は、著者自身も(ヤクザにはならなかったが)グレていた、ということでしょう。
”向こう側”の人を”こちら側”から眺めるのではなく、”向こう側”にちょっと足を踏み入れていた仲間目線でインタビューをしているといるという体です。
その”向こう側”の視点は、グレ続けて暴力団に入る要因の分析についても十分にその力を発揮しているようにも見受けられます。
例えば、暴力団経験者に指摘される個人的要因の分析にあたっての前置き部分で、

p.154
社会的要因と個人的要因とは一本の縒り合わせられたロープのようなものにたとえることができます。オギャーと生まれた時から,暴力団に加入するまでに至る個人の社会化の過程を時系列的に見れば,まず社会的要因の存在があって,そこから個人的な要因が生じるのです。両親いずれかの不在や放置が指摘される機能不全家庭という社会的な前提があるから,その家庭において社会化された少年はマナーが悪く,学業成績が悪いわけであり,学業成績が悪いから機能不全家庭に生まれた訳ではない。これは自明のことです。
こうした社会的傾向から産み出された個人的な特性ゆえに,発達とともに新たな帰属社会(集団)は決定され,その社会(集団)における社会化の質が決定されるのです。したがって,社会的,個人的な要因のいずれが欠けても結果として暴力団への加入はなかったと考えられるのです。そうした各要因は有機的に関連し合いながら少年を暴力団加入へと導いていった,と見ることができます。

個人的要因、言い換えれば本人の”資質”は生まれながらのものではなく、本人の育った環境がその萌芽を作り、個人と環境の相互作用により「暴力団経験者に指摘される個人的要因」が形成されていく、ということを「一本の縒り合わせられたロープ」という巧みな比喩を使って表現されているのが印象に残りました。
本書の前半は暴力団経験者のインタビューを中心に、後半では先行研究を参照しながら分析を展開しており、新書で読みやすいながらなかなか硬派な印象を受けました。

以下は読書メモから:
著者提示の、暴力団加入メカニズムの仮説

p.182
〈社会的・文化的資本が撤収された家庭で発達した者が,非合法的な機会構造内で地位を求めるとき,暴力団に加入する傾向がある〉

p.182
〈一般社会において自尊心の低下を経験した者が,新たな帰属集団において自尊心の回復を希求するとき,暴力団に加入する傾向がある〉

暴力団離脱についての著者仮説

p.195
〈成員のボンドが強い家庭や安定した仕事,近隣社会関係といった社会関係資本から生じるインフォーマルな社会コントロールが,従来の犯罪傾向の差異とは関係なく,暴力団からの離脱を説明する〉
つまり,若いころからグレ続けた人も,結婚し,父親となり,安定的な仕事に就き,近隣社会が受け入れてくれたら,グレることから卒業する可能性があるということです。