内部告発の時代

内部告発の時代 (平凡社新書)

内部告発の時代 (平凡社新書)

ジャーナリストの山口氏執筆の第1部と,オリンパス事件第一通報者の深町氏執筆の第2部に分かれた構成です。
第1部は,主に日本企業における内部告発の現状と問題点等が書かれていて,第2部は,オリンパス事件の概要と当事者としての意見が書かれています。
新書ですが,なかなか読みごたえのある内容です。
非常に印象に残ったのが,第2部の深町氏の書きぶりです。オリンパス事件は粉飾決算の方法が複雑で何があったのか理解するのが難しいと思うのですが,経緯を淡々と平易に整理して示し,また,当事者としての意見も抑制がききつつ,要点を鋭くついている印象を受けました。
非常に頭のよい,そして意志の強い方であるとお見受けしました。

なお,オリンパス事件関連については今まで以下2冊があり,こちらも読みました(旧はてなダイアリー読書メモにリンク)。

  • 同じく山口氏による『サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件』
  • 粉飾決算に関与し続けた経営陣からCEOを「解任」されたウッドフォード氏による手記『解任』

沢山の重要なポイントがある本ですが,ふたりの著者が挙げられていた日本企業(組織)の特徴が気になりました。
まず,第1部の山口氏:「いい人」が多い組織ほど要注意

p.37
筆者の勝手な想像だが,化血研の役職員には「いい人」が多かったのではないか。一人ひとりが優秀でまじめで,人柄に角張ったところがない。周囲の人々の気持ちをよく読み取り,汲み取れるから優しくもある。当然周囲との摩擦も起きにくい。恐らく「自分の良心にのみ忠実で,放っておくと何をしでかすかわからない人」や「周囲との衝突を恐れない人」は少ないだろう。

p.38
「いい人たち」が口をつぐんで不正に加担してしまう背景には,彼らなりに「会社のため,自分を支えてくれる皆のため」という善意で彩られているから,不正は組織ぐるみになりやすく,その分発覚しにくい。しかも利己心でやっていることではないから,人によっては罪の意識が小さい。だから部下が「それは法律上,問題です」と反対意見を唱えると「上司の俺が私心を捨ててこんなに一生懸命やっているのに,部下のお前がなぜそれを理解しようとしないのか」と,怒りの矛先を部下に向けて排除してしまう。こうして気がついたときには問題は取り返しがつかないほど深刻になっており,その不正は排除された部下の内部告発によって発覚するから厄介だ。

この「いい人」論は,『失敗の本質』の「集団主義」に通じるところがあると思いました。
(以下『失敗の本質』p.222から)

日本軍の組織構造上の特性は、「集団主義」と呼ぶことができるであろう。ここでいう「集団主義」とは、個人の存在を認めず、集団への奉仕と没入とを最高の価値基準とするという意味ではない。個人と組織とを二者択一のものとして選ぶ視点ではなく、組織とメンバーとの共生を志向するために、人間と人間との間の関係(対人関係)それ自体が最も価値あるものとされるという「日本的集団主義」に立脚していると考えられるのである。そこで重視されるのは、組織目標と目標達成手段の合理的、体系的な形成・選択よりも、組織メンバー間の「間柄」に対する配慮である。

次に,第2部の深町氏です。企業統治について書いているところです。

pp.218-219
欧米,その中で特に英国や米国は,「株式会社は株主のものである」と明確に規定し,株主総会で選ばれた株主の代理人である取締役が経営陣を監督・指導し,株主価値の最大化を目指す構造となっている。
それに対して,日本では,「企業は社会のものである」という意識が強く,それは株式会社にも適用される。社会とは,顧客,取引先,行政,従業員,債権者,株主などから構成される。

ここを読んだとき,日本「企業は社会のものである」ならば,なぜ企業不祥事≒反「社会」的行為を犯すのか?と思いましたが,ああそうか,「社会」の範囲の設定の問題なのだなと,上に挙げた山口氏の「いい人」論と『失敗の本質』の「集団主義」,つまり,当人が「社会」と認識する範囲が狭すぎるところに問題があるということです。