勉強の哲学―来るべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

図書館新着図書だったか,ふと見かけて借りました。To大Kyo大生協書店でよく売れているとかいう本らしいです。
大学新入生とかが読んだら,おお!と思うかもしれないな~と思いました。
Amazonレビューを見ると賛否両論のようですが,他の勉強本にも書かれていることを薄くチャラくお話しているところが,冗長だという印象を与えるのかもしれません。
「勉強」とか「哲学」とかいう言葉を気にせずに,軽くカルく読んだらいいのにと思います。そんな本です。
LINEとかで何重にもつながりあって,楽しい”同調圧力”に流されがちな今どきの若者へ,そんな流れに棹差すことの意義を語っている,一種の応援本だと感じました。

p.123
わざと問題を立てることが,勉強です。問題を見ないようにしたければ,勉強することはできません。繰り返しますが,勉強とはノリが悪いことなのです。ときにそれは不快なことかもしれない。でも,わざとそれをやるのです。勉強というのは「問題意識をもつ」というスッキリしない不快な状態をあえて楽しもう,それこそを享楽しようとすることなのです。

p.130
直接的分野であるマーケティング論の先に見えてきた社会学や経済学は,自分の現状をメタに捉えるための間接的分野でもある。
社会学や経済学,哲学とか数学のような基礎的で歴史の長い「学問」は,いまの環境で何かをうまくやろうとする,それにわざと自己ツッコミを入れる,という相反する方向のどちらにも関わってくる。
歴史ある学問は,環境に「いながらにしていない」ような思考を可能にする。
いまの環境内での生き方を改良するという道筋,あるいは,いっそ外に出てしまおうという道筋,という相反する可能性を総合的に考えさせてくれるという意味で,歴史ある学問は,ひじょうに柔軟で役立つものなのです。