武士道(新渡戸稲造)

武士道 (PHP文庫)

武士道 (PHP文庫)

日本人が英語で書いた本を、訳書で読むという不思議な感覚。
こなれた現代語で訳されているせいもあるのでしょうが、大昔に書かれた本とは思えない古くて新しい内容でした。
電子書籍で読んだので、以下引用ページの代わりに、該当ページの行番号?を示します。

284/2357
この宗教―というより、宗教が表している民族的感情といったほうがより正確だろうが―神道は、とりもなおさず武士道の中に主君への忠誠と愛国心を徹底的に吹き込んだのだ。これらは教義というよりむしろ情念として作用している。したがって、中世のキリスト教の教会とは異なって、神道は信者になんの信仰上の約束も命じず、むしろ直截で単純な行為の基準をあたえたにすぎなかったのである。

  • 日本人の”知性軽視”な雰囲気、なるほどね。こういうところから来ているかもしれない。

309/2357
武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。したがって知識はそれ自体が目的とはならず、あくまでも智恵を得るための手段でなければならなかった。単に知識だけをもつ者は、求めに応じて詩歌や格言をつくり出す”便利な機械”としか見られなかったのだ。

1085/2357~1095/2357
武士道の枠組みを支える三つの柱は「智」「仁」「勇」とされ、それはすなわち「知恵」「仁愛」「勇気」を意味した。なぜならサムライは本質的には行動の人であるからだ。そのため学問はサムライの行動範囲の外におかれた。彼らは武士としての職分に関係することにのみ学問を利用した。宗教と神学は僧侶や神官にまかされ、サムライはそれらが勇気を養うのに役立つ場合に限って必要としたのである。あるイギリスのしじんがいったように、サムライは「人間を救うのは教義ではない、教義を正当化するものは人間である」と信じていた。また哲学(儒学)と文学は武士の知的訓練の主要な部分を形成してはいたが、これらの学問でさえ、追及されたのは客観的事実ではなかった。文学は暇をまぎらす娯楽として求められ、哲学は軍事問題や政治問題の解明のためでなければ、あとは品格を形成する実践的な助けになるものとして学ばれた。
以上述べたことから、武士道の教育科目が、主として剣術、弓術、柔術もしくは「やわら」、乗馬、槍術、戦略戦術、書道、道徳、文学、歴史などだったとしても、驚くに値しないだろう。

  • カネ勘定、カネはキタナイという感覚について:

794/2357
日本では商業は士農工商の職業分類上でもっとも下の地位に置かれていた。武士はその所得を土地から得ていたし、その気になれば素人農業に従事することもできた。だが、銭の勘定ごとと算盤は徹底的に嫌っていた。
なぜこのような配慮がなされたのかを私たちは知っている。それはモンテスキューが明らかにしているように、貴族を商業から遠ざけておくことは、富が権力者に集中することを防ぐための誉められるべき政策だったからである。権力と富の分離は、富の分類をより公平に近づけることに役立った。

なるほどね~

さて現代の日本人に「武士道」は生きているのか?
もしそれらしきものが生きていたとしても、その姿はかつてのようなものだろうか?
何度か折にふれて読み返してみたい古典と拝見しました。