NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ/ニーチェとの対話―ツァラトゥストラ私評

NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ

NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ

  • 作者:西 研
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2012/03/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
NHK「100分de名著」ブックスのニーチェツァラトゥストラニーチェツァラトゥストラは単語だけしか知らない人間には,ニーチェの生涯や,「ルサンチマン」「ニヒリズム」といった言葉の意味をくだけた表現で読めたのは有り難いです。

pp.35-36
ルサンチマンの根っこにあるのは,自分の苦しみをどうすることもできない無力感です。そして絶対認めたくないけれども,どうすることもできないという怒りの歯ぎしり。そこで,この無力からする怒りを何かにぶつけることで紛らわそうとする心の動きが起こる。これがルサンチマンです。

p.36
 このルサンチマンがなぜ問題かというと,ぼくなりの言い方をすると「自分を腐らせてしまう」からです。よりニーチェに即していいますと,悦びを求め悦びに向かって生きていく力を弱めてしまうことがまず問題です。そして「この人生を自分はこう生きよう」という,自分として主体的に生きる力を失わせてしまうことが二つ目の問題点です。ルサンチマンという病気にかかると,自分を人生の主役だと感じられなくなってしまうのです。

近年よく言われている「無敵の人」を連想してしまいます。
ニーチェの書いていることは,まさに現在の日本社会をも的確に射貫いているとびっくりしました。

p.50
「神は死んだ」とは,直接にはキリスト教の神が信じられなくなっていくことを指しています。しかしそれは同時に,これまで信じられてきたヨーロッパの最高価値すべてが失われてしまい,人々が目標を喪失してしまうことをも表しています。
 このような事態をニーチェは「ニヒリズム」という言葉で呼びました。

「神は死んだ」,そうなんだ。

p.55
 末人とはツァラトゥストラにとって最も軽蔑すべき人間のことですが,一言でいえば「憧れを持たず,安楽を第一とする人」です。神が死んだニヒリズムの世界では,憧れや創造性を抱くことなく,安全で無難に生きることだけを求める人間が出てくるだろう。ツァラトゥストラはいいます。

どきっ。今時の大学生とかこんな感じだし。
この点については自分も人のこと言えないし。
色々と読んでいてつらくなるところもありますが,以下は明るい気持ちになります。

p.111
文化というものは単なる消費財ではなく,ほんらい,作品をめぐる語り合い(批評)を含み込んでいるものだとぼくは考えます。
 なぜ「この作品はすごい」のか,なぜ「この考えはいまひとつダメなのか」。こうやって互いに語り合われることを通じて,人生に対する態度や,他者に関わる態度,社会に対する姿勢など,自分がいままで無自覚につくってきた「よい・わるい」の感覚が,他者の感覚と照らし合わされ,検証されていく。そのプロセスを経て,「やっぱりこれはいい。これはよくない」という価値観の軸ができあがっていく。こういうことが文化の本質でしょう。

語り合い確かめ合う空間の重要性。

続いてニーチェツァラトゥストラに関する新書を1冊,読みました。
ニーチェ研究の大家が,ニーチェツァラトゥストラ(と他の著書からも)を引きながら,自身の感想を語っている本です。
こちらも面白かった。1978年初版ですが,書かれていることは40年あまり経った現在でも通用する新鮮さと鋭さがあります。
例えば,
自由という名の自己喪失

p.117
いかなる時代でも,いかなり社会でも,個人の仕事がなにかの新しさを発揮できるとしたら,長期にわたる訓練や修行を積んだあとで,はじめて新しさが可能になるのである。それも努力してやっとわずかばかりの新しさが出せるにすぎない。そういう経験は,今日でもなお実社会を動かしている現実の法則である。

p.117
しかしどういうわけか学校教育だけが,このような法則を避けて通ろうとする。いわく児童や生徒の自主性を育てるという。いわく学生の自由な判断を尊重するという。個性をたいせつに扱うという。しかし結果的に,青少年は無原則,無形式の中で自分を見失い,自己形成の契機をつかめず,かえって古くさい既成の観念にもたれかかり,ステロタイプの枠の中に閉じこめられてしまうことが多いのである。前衛や変革を気どった青年の新しがり,無形式の自由の行為が,日本では意外と古風な浪花節的仁侠道を一歩も出ていなかった,というような実例にもわれわれはたびたびお目にかかっている。

笑い。アクティブラーニング・・・