無防備な日本人

こちらも昔の日記を見たら,再読でした。
最初に読んだときの記事:
lionus-old.hatenablog.jp

p.16
 1995年は,はっきりとした戦後日本人の,意識変化の潮目をかたちづくっている。日本人に関する安全神話は,時間がこの境を越えたときに崩壊した。

1995年は,阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件があった年です。

pp.16-18
この劇的変化は,私たちが行ってきた世論調査の結果にもあらわれている。日・米・仏で1992年から93年にかけて全国規模で行なった世論調査では,米・仏の過半の人びとは,社会が危険ならば,自分たちの私的生活も危険になるとはっきり意識していたのに対して,日本人の多くは,仮に社会は危険でも,自分たちの私的領域は堅固に守られていると確信していた。
 その後,毎年のように,首都圏や全国で実施してきた世論調査の結果を見ると,1995年を境にして,日本人のリスク観は,大きく変化している。阪神・淡路大震災と地下鉄サリン・テロという二つの大災厄を経験した後で,社会の危険はすなわち自分自身への危険だと感じる人びとが過半に達するのである。リスクに敏感に反応する人びとが,世論の中心に座を占めるに至ったのである。

しかしながら,タイトルにあるように「危機対応が下手な日本人」,心理学的にみてリスク認知バイアスが強く”鈍感”であると本書では説明されています。
さらに,日本人の危機対応下手の例として,エイズ薬害や,学校給食などで発生したO-157集団感染があげられています。

pp.113-114(2003年の社会調査結果を引用して)
 政府や省庁が発表するリスク情報の信頼度は,3番目に高く評価しているが,その反面で政府や省庁の情報が信頼できないという回答は,割合で比較するとその2倍以上に達している。政府や省庁の情報は,政治的思惑や行政的な配慮が働いて不正確な情報であるおそれがあること,意図的に情報を歪めたり,隠して伝えるおそれがあることに,アンケートの回答者である国民は不安なのである。
 注目されるのは,新聞社やテレビ局が独自に行なう取材・調査に基づく報道への信頼性が高くないことである。特にテレビ局に関しては,政府・省庁に次いで信頼できないとする回答が多い。このことは注目すべきだろう。マスメディアが,いわゆる独自取材に基づく報道をあまりにセンセーショナルに行なってきたツケが,このような形で不信感となってあらわれたのである。

p.123
食の安全を担う国の機関として,この時のO-157の集団感染の多発に関して,徹底した科学的な原因追及を行なうべきであった。
 マスメディアの側にも問題があった。マスメディアは,独自の批判的な視点を持ち込んで,厚生省のリスク対策をチェックすることが少なかった。結局のところマスメディアは,潔癖,清潔好きの国民に過大な恐怖心を引き起こして,O-157恐怖症におちいらせることで感染症の拡大阻止をはかるという,古典的な防疫体制の一翼を担うことになったのである。

(上記太字はlionusによる)これはO-157集団感染(1996年のカイワレ騒ぎのアレ)についての記述ですが,今回の新型コロナウィルス問題にもそっくりあてはまるかも・・・
10年以上前から進歩してない・・・