中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年

白川元日銀総裁が,タイトルの通りのことを書かれたご本です。
本,といってもこれは辞書か?!と思えるほど,分厚い(「あとがき」まで738ページ)本でした。
1972年の日本銀行入行から,2008年~2013年の日銀総裁としてのご経験,日本経済の問題など,多岐にわたる内容だし,書き始めたこんな結果になっちゃったのねという感じです。
当然読むのも大変でしたが,さくさくした無駄のない文章で,内容は(経済学の知識がない自分には)それなりに難しいけれども,言わんとすることはするする頭に入ってくる本でした。そもそも,こんな分厚い本を破綻なくまとめておられるし,とんでもなく頭脳明晰な方なのだと思いました。

本書を読むと,日本銀行とはどのような存在か知ることができるだけでなく,自分にとっては「バブル」や「デフレ」について,そして「日本経済の真の問題点」について新たな知見(見方)が得られたことが大きな収穫でした。

p.336
 これまで述べてきたように,残念ながら日本経済の真の課題は必ずしも正しくは認識されなかった。最も影響力を持った議論は,「日本経済の最大の課題はデフレであり,何よりもデフレからの脱却が不可欠である」というものであった。このような認識は国会での総理大臣の所信表明演説でも,財界首脳の公式挨拶でも,新聞の社説でも頻繁に登場したが,ひとつの「ストーリー」になっていた。このような「ストーリー」を英語では「ナラティブ」(narrative)と表現することも多いが,ストーリーあるいはナラティブは非常に大きな威力を発揮した。

pp.336-337
ナラティブとして定着するためには,人々の感情に強く訴えるものでなければならない。その点で,デフレという言葉は恐怖心を搔き立てるうえで十分な効果を持っていた。また,ナラティブは現状の描写として共感を呼ぶものでなければならない。その点で,不満足な経済の状態(就職氷河期という言葉に代表される新卒者の就職難,非正規雇用の増加,所得格差の拡大等)が続く中で,デフレという言葉(言葉の厳密な定義は別にして)は多くの人の抱く現状への不満を代弁していた。そして,ナラティブはわかりやすいものでなければならない。その点で,犯人はお金の供給増加に慎重な日本銀行であるという,貨幣数量説にたった説明はわかりやすい。
 過去20年間,日本経済を語る際に最も頻繁に使われ,現在も使われている言葉は「失われた10年(20年)」であったと思うが,これも典型的なナラティブのひとつである。日本の政府,企業経営者,内外のエコノミスト,マスコミの常套句であったと言っても過言ではないだろう。

p.689
 人々が感じている不満は最終的に政治に反映される。バブル崩壊以後日本経済が経験した困難は,一時的な需要の減退によるものというより,高齢化・少子化,日本企業のビジネスモデルの不適合等,より構造的で中長期的要因にもとづくものである。これらの問題に本格的に対処するためには,「構造」自体を変える取り組みが必要となるが,既存の秩序を変える取り組みには抵抗が大きい。それゆえ,とりあえず誰からも文句を言われない金融緩和政策への依存が強まることになる。

日銀総裁時代に「デフレ」議論に”わるもの”扱いされながら対峙してきた苦悩が,上記抜き書き以外にも,あちこちでうかがえます。
でもそれは,選挙で選ばれたわけでもない”専門家集団”(=日銀)として,国民の理解と支持なしには,国民生活に多大な影響を及ぼす金融政策はできないという意識をお持ちだったからこその苦悩でもあったのだろうなと拝読しました。