危機と人類(上・下)

危機と人類(上)

危機と人類(上)

危機と人類(下)

危機と人類(下)

上下2冊でボリュームがありますが、一気に読んでしまいました。
ココナッツグローブ大火の被害者や遺族へのケアの中から経験的に編み出された「危機理論」(リンデマン)や「危機療法」の研究の知見をもとに、個人的危機の帰結にかかわる12の要因を著者は挙げ、その12の要因を個人ではなく国家にもあてはめて、危機を経験した「国家」の比較研究を試みた、という本です。
取り上げられている国家はフィンランド、(幕末~明治維新期の)日本、チリ、インドネシア、ドイツ(特に第二次世界大戦後)、オーストラリアですが、これらの国を選んだ理由は、著者自身滞在経験があったりして比較的よく知っている国だからということで、客観的な基準はないようです。だからといって、よろしくないとか、つまらないとかいうことは全く思いませんでした。数多くある「国家」について、経験した「危機」について客観的な基準で選ぼうとしたらそれだけで膨大な手間ですので、その手間を省いて執筆にかけるほうがよほど有意義だと思います。
さらに、現在進行中の「危機」とその対処についての考察を、日本とアメリカ、そして世界全体について書かれています。

日本についてはともかく、フィンランドやチリなど今までよく知らなかった国の(危機とその対処について焦点を当てた)歴史を読めたのは、非常にわくわくしましたし、まあまあ知っているつもりの国(例えばドイツ、アメリカ)についても新たな視点が得られたのはよかったです。

当初、「危機」とタイトルにあり、目次をざっと見ると「国家」についてのケーススタディと見えたので、本書を読むことで逆に個人的な危機とその対処法について何か新たな視点が得られないかと思って読んだのですが、「モザイク」と「選択的変化」というキーワードについて読めたのは、それに適うものでした。

p.13
だが、どんなに順調にみえる人であっても、彼らの人格は、大火後の新しいアイデンティティとその前からあった古いアイデンティティとが混ざり合ったモザイク状になっており、何十年も経った今も変わらない。本書では、この「モザイク」という比喩表現を用いて、異質な要素がぎこちなく混在する個人や国家を表現していく。

pp.15-16
外圧でも内圧でも、それにうまく対応するためには、選択的変化が必要である。それは国家も個人も同じだ。
 ここでのキーワードは「選択的」である。個人も国家も、かつてのアイデンティティを完全に捨て去り、まったく違うものへ変化するのは不可能であり、望ましいわけでもない。危機に直面した個人と国家にとって難しいのは、機能良好で変えなくてよい部分と、機能不全で変えなければならない部分との分別だ。そのためには、自身の能力と価値観を公正に評価する必要がある。どれが現時点で機能し、変化後の新環境でも機能するか――つまり現状維持でよい部分を見極める。そして、新たな状況に対応すべく、勇気を持って変えるべき部分も見極める。これを実行するには、残す部分と能力に見合った新しい解決策を編み出す必要がある。同時に、アイデンティティの基礎となる要素を選び出して、重要性を強調し、絶対に変えないという意思を表明する。
 これらは危機に対する個人と国家の類似点の一部である。