飼いならす――世界を変えた10種の動植物

書名にある「10種の動植物」とは、イヌ、コムギ、ウシ、トウモロコシ、ジャガイモ、ニワトリ、イネ、ウマ、リンゴ、そしてヒトです。
主に考古学と遺伝子学の知見をひきながら、「10種の動植物」がいかに人間に飼いならされていったかが書かれています。
さらさらと読める本ではありませんが、特に遺伝子学分野の知見は興味があったので、面白く読めました。
また、イヌやウマはもともと社会的な動物だけれども、同じように社会的な動物は他にもいる(ミーアキャットなど)のに、なぜイヌやウマが家畜化された(飼いならされた)のかとか、色々はっとする記述がありました。
本書の内容のまとめ的なところをひいておきます。

pp.379-380
 多くの場合、飼育栽培化は意図せぬプロセスとして始まったのではないか。種と種が出会い、ぶつかり合い、近しくなり、ついには進化の歴史が絡まり合ったのだ。われわれは、自分が主人で、ほかの種は自発的な僕(本文ふりがな:しもべ)か奴隷だと当たり前のように考えている。ところが、われわれが動植物と結んだこうした契約関係は、それぞれに異なる複雑なもので、共生や共進化の状態へと徐々に進展した。最初にこの協力関係が築かれたとき、背後に思慮深い意図はほとんどなかった。人類学者や考古学者は、動物の家畜化に至る道筋を主に三つ示している――そして家畜化は、ひとつの「出来事」ではなく、むしろ長期にわたる進化のプロセスなのだ。ひとつめの道筋では、動物がヒトを選び、われわれから資源を手に入れた。距離が縮まると、その動物はわれわれと共進化しだし、ヒトの仕向けた選択――過去数世紀におけるイヌの品種の作出など――が始まるずっと前に飼いならされていた。イヌとニワトリは、このようにしてわれわれの協力者になった。ふたつめの道筋は、獲物からの家畜化だ。この場合も、当初は動物を家畜化する意図はなかっただろう。あったのは、ただ動物を資源として監理しようという思惑である。この道筋は、ヒツジやヤギやウシといった中型・大型の草食動物がたどったようだ。初めは獲物として狩られ、それから食用肉として監理され、やがて家畜として飼養されたのである。三つ目の道筋は一番意図的であり、ヒトが最初から動物を捕獲して家畜化しようとした場合だ。通常、こうした動物は、食肉以外にも使い道が考えられた。その最たる例が、乗用に飼いならされたウマである。

ところで、本書ではヒトも「飼いならす」もの、すなわち家畜化の対象に入っていますが、人間も特別なことはない動物であるという立場から書いていますよということを書いているのが、欧米人(著者はイギリスの人らしい)らしいなと思いました。