理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!

「8割おじさん」こと、西浦博先生の新型コロナウイルス流行初期から「第一波」収束までの体験を、ライターさん(川端裕人氏)との合作でまとめられた本です。
科学者としての矜持と政治家・官僚に感染症疫学の立場からアドバイスをする「専門家」の狭間で苦労されたことがよく分かる本でした。
読むだけで何だか読んでいる自分まで胃が痛くなりそうな内容もあり、当時の西浦先生は寿命が縮むようなプレッシャーとストレスだったろうなと思います(決して感情的な語りではなく淡々とお話されている様子なのですが)。
最後に、西浦先生・川端氏の対談がシメとして収録されていますが、それは2020年10月初旬時点のことで、2021年8月現在からみると、あの頃は一旦落ち着いたと思っていたが、全然認識が甘かったな(ご両人ではなく、自分自身=lionus)と思います。

印象的なところをいくつか、長くなりますが抜き書きします。

  • 政治家は責任を取りたがらない

(最初の緊急事態宣言末期の頃)
p.215
 政治家さえ、もう責任を取ることが難しいぐらいダメージが大きいのだ、と。今でも経済優先の政策を決断する時に「専門家に政策実施の判断をいただく」と言って責任転塚しつつ有識者会議の役割について言及しています。気付いていただきたいのですが、この「ご判断いただく」のは正常ではないのです。というよりも、情けなくて仕方ない。考えてみてください、「政策の判断をする」のが政治家の仕事です。専門家が判断するのではなくて、専門家が専門的知見を出し、その上で政治家が判断するのです。総理でさえそう取れる発言をされてきました。自分が腹をくくって決めているという事実を、誰も明確に言えないくらい政権は責任を取れない構造で弱々しい。それで、専門家に批判がのしかかるという事態が続きます。

  • 経済対策の大臣が感染症対策をするおかしさ

pp.217-218
 今ならもう言っても大丈夫だと思うのですが、経済対策を担当する大臣が感染症対策の大臣を兼ねているために問題が生じているんだと率直に感じました。感染症対策と経済政策が背反するコンセプトである中でそれを同一者が担当している、というのは脆弱な政策的距離感を生み出してしまい、経済産業省の意思が強めに効いた安倍政権は、次第次第に経済重視に傾くことになります。

  • 一線を越えないポリシー

p.216
 専門家会議のメンパーは有志の会のミーティングなどで、基本的には医学や公衆衛生の外の話には足を踏み出さないということを決めていました。どういうことなのかというと、「夜の街」がレッテルを貼られてひどい目に遭っている時に、尾見先生がカメラの前で、「とにかく手厚く休業要請を打ってもらいたい」と言えば、もしかしたら、すぐ動いてくれるかもしれません。
 でも、一線を越えてそういう話をするのはやめようと、武藤先生を中心に最初からポリシーとして明確に決めていました。経済的な補償は感染症の専門家の領分を出てしまうので、それは一線を越えていると。しっかりお金を準備して出す甲斐性や決断力は明らかに政治の範囲です。だから、政策の提言書では、極力、感染症以外のことに言及するのは控えていました。

p.227
 どれだけ政府の補償がのろくても、心の中で泣くぐらいしかできないというのは、僕たちにとってはものすごくフラストレーションです。僕たちが見殺しにしているように思われますので。

p.270
有名な大規模歓楽街での伝播が、全人口に波及する流行でのリザーバー(伝播が維持される機構)のような役割を担っているということです。ですので、いわゆる夜間の接待飲食業については、被害者である一方で、人口全体にとっては、場合によっては感染源になってしまうこともしっかり覚えておく必要があるんですよね。

p.271
 もちろん、問題はあります。一つは、だからと言ってどうするのか、ということです。彼らが社会の犠牲になることを是認するのなら、政治家に責任を持ってもらい、話をしっかりしてもらわなくてはいけない。どんな補償を行うのかも含めて、話しておかないといけなくて、それはその業界の人たちすべてが同意できるものでなくてはならない。でもこれは、なかなか厳しい道のりですよね。

  • 感染症数理モデルについて、他分野の数学が達者な方々から色々言われたことに関係して(必ずしも嫌な気分ではない;興味を持ってくれる人が増えるのは嬉しいという感じ):

p.199
 一方で、物理学や情報科学の心得のある人たちが、自分でモデルをフィットして予測をし始めていました。そのこと自体が、僕にはとても嬉しいことでした。僕自身は感染症数理モデルを研究してきて、日本ではなぜこんなにマイナーなんだというフラストレーションをずっと持ってきたので、常微分方程式を扱える人たちが自分で計算しようとしているのはものすごく嬉しかったんです。

学者としてはそりゃそうだろうな~

pp.199-200
 でも、対策への信頼が損なわれるのは困るので言っておきますと、やはり、みなさんのモデルは、最初にこういうのでフィットしてみた、という時点でリリースしているのではないかと思うんです。でも、僕たちプロの立場としては、それはまたリリースできる状態ではない。観察データにはもう一癖、二癖あって、それをある程度解決してからでないと健全な結果にはなりません。それは一般論ですが、この感染症について言うと、1人当たりが生み出す二次感染者数が裾の長い分布を持っているので、予測をしたいなら、その点を考慮して、低いリスクの伝播と高いリスクの伝播が分けられるような定式化をしたほうがいいんです。さらに、感染者が少ない間は、「人口学的確率性」というんですが、確率的なゆらぎを加味したモデルで定量化したはうがうまくいきます。こういったことは、日本でも数理生物学や人口学で数理モデルをやっている人たちにとっては当たり前のことで、感染症数理モデルでも同じです。でも、即席で分析された方は常徴分方程式の解をとにかく当てはめることに必死になっておられました。
(中略)
p.200
 一つは、僕らが扱えるデータが限られているということです。
(中略)
p.200
 もう一つ、僕たちのやり方を再現できない最大の理由だったと思いますが、「感染時刻を逆生産して推定する」という作業をした上で、実行再生算数を計算していたんです。
(中略)
pp。202-203
多くの場合、確定日で患者発生が報告されているじゃないですか。それは、随分前に感染した状態が潜伏期間を経て、また、診断までの遅れを経て、さらに報告の遅れを経て、やっと見られるデータです。感染時刻から起算してカウントするとおよそ2週間程度、遅れているんです。それじゃいけないからということで、発病日をちゃんと全員に関して推定して、その上で既知の発病日と推定発病日の両方を合わせたものを基に感染日を推定する、ということをやっていました。そのために、再現したい人が自分では再現できないというフラストレーションを生む結果につながっていたのです。

数式は分からないけれども、上記忸怩たる感じ、何か分かる気がします(笑)。

  • 本書終わりの対談部分で西浦先生の最後の言葉:

pp.284-285
 最初は政治家もどうしたらいいのかわからないし、一つの方向に向かっていくと反対側の方向からどよめきが起きる、というのが、緊急事態の中での感染症対策でした。その中で皆が厳しい目を寄せながら進んできているので、これからもそれが続けば大きな心配はいらないと思っています。日本の流行対策の特徴は、国民が監視をする中で進んできたということなんですよね。
 ただ、第一波以降の反省も踏まえてやっておかなければいけないのは、この後、流行をどんな方向で制御するのか、国として明示的な意見と言いますか、コンセンサスを出しておくべき、ということです。このままゼロに近いような状態をいつも目指しなから、のらりくらりと上がったり下がったりというのを続けながらなんとかして3月か4月のワクチンを待つんだという方針にするのか、多少流行が大きくなることを是認しつつ経済政策を優先的に打つ方向を目指すのか(たとえ、それが科学的に見れば、流行をしっかり制御した場合と比較して決して経済優先の結果を生まなかったにしても)。明示的に自己矛盾のない方針を述べたほうが、国民の動揺や意見の乱立を防げるでしよう。制御が健康的でポジティフな方向に進んでいくよう、切に願っています。

う~んう~んう~ん。
結局2021年夏、緊急事態宣言下でかつ感染者数うなぎのぼりの東京で、オリンピック・パラリンピックをやった(やっている)ということで、「明示的に自己矛盾のない方針」とは全く逆な方向にいってしまっていますよ・・・