悲しみから人が成長するとき―PTG

悲しみから人が成長するとき―PTG

悲しみから人が成長するとき―PTG

PTGとは,posttraumatic Growth,トラウマになるような出来事の後の成長,という概念です。
日本では2000年代に入り,災害や事故,がんサバイバーなどの研究からぼちぼち出ていているようです。
本書は日本でのPTG研究の第一人者(多分)がPTGについて一般向けに書いたものです。
なるほどつらい体験の後に”人が成長する”ってあるよな~と思いますが,そもそもその人が”成長した”ってどうやって操作的に定義・測定できるんだろうと思いました*1。いや本人が”自分は成長した”と思えばそれが成長なのかな。あくまでも主観的な感覚,体験として扱うべきものなのだろうと思いました。

*1:もちろんPTGIというPTGを測る尺度は開発されていて,本書でも扱われています。

Catastrophe and Social Change

Catastrophe and Social Change

Catastrophe and Social Change

グーテンベルクプロジェクトによるウェブ電子書籍でも読めるようです。
www.gutenberg.org

ハリファックス大爆発の社会学的研究で,
ja.wikipedia.org

災害の社会学的研究としては初めて(最初期)のものといわれています。
図書館のオンライン電子書籍で読めることが分かったので,pdfからGoogle翻訳やDeepLの助けを借りてぼちぼち読んでみました*1
大昔の研究だけれども,指摘されていることは今にも通じることはあるなと思いましたが,最も印象的だったのは,この大惨事は保守的な軍港の街ハリファックスを大きく変え,進歩(progress)へと向かわせることになった,的なことが繰り返し,表現を変えながら書かれていることでした。
最後の方では,'beauty out of ashes' 灰の中から美しさを引き出す(p.140)とまで書かれています。

私たちは災害が起こると,その災害により破壊されたもの,失われたものを惜しみ悲しみ,いかにそれらの損失から回復(復興)するかを考えると思うのですが,災害を奇貨とした地域社会の進歩?のような考え方は新鮮でした。

*1:ちなみに,この2つを比べるとぱっと見DeepLの方が読みやすい(自然な?)訳文ですが,よく見ると原文の一部を豪快に飛ばして訳をまとめていることもあり,ぎくしゃくしていてもGoogle翻訳の方が逐一真面目に訳してあるのかなと思いました。

静かな時限爆弾 アスベスト災害

広瀬先生の本は見つけたらぼちぼち読んでいて,その一環で読みました。
アスベストじん肺訴訟」とか,ニュースで聞いてたな~と思いましたが,人類のアスベスト利用の歴史(石器時代にまでさかのぼるらしい;大量利用されるようになったのはこの百年あまりらしいが)や,アスベストとはどんな物質か,そして人体への恐るべき作用(害)まで,しっかり書き起こしてあり,無知って恐いなと思いました。

でも一番ぞっとしたのは,「あとがき」の記述でした。
「私事にわたるのをお許し願いたい。著者の住むアパートでの話である」からはじまるエピソード。
そのアパート,建設後10年以上経ったということで,「建物の健康診断を依頼した」ところ,設備のあちこちにアスベストが使用されていて,しかもそれがボロボロで飛散するにまかせている状態だとわかったそうです。

pp.189-190
しかし,一番驚いたのは,クーリング・タワーであった。クーリング・タワーの先端には,消音のためと高熱に堪えるため,アスベストが大量に使われていた。ところが,写真に見る,わがクーリング・タワーには,アスベストがほとんど残っていないのだ。そこで,その理由を問い質してみた。
「カラスがつついてもっていってしまうのです」というのが答えであった。アスベストを貼り付けた,皿のような形の先端部分は,直接外界に接している。カラスがその気になれば,ちょっと変わったおみやげとして,持ち帰ることもできなくはない。巣作りにでも使ったのかもしれない。
(中略)
それにしても,そのカラスはどうなったであろうか。

うへぇ~現代の怪談?

マンガ・アニメで論文・レポートを書く―「好き」を学問にする方法

大学図書館でなく,公立図書館で見かけ,あれ?と思ってざっと読んでみました。

「はじめに」より

 専門研究としての「マンガ学」「アニメ学」ではない領域で,マンガ・アニメで研究するとはいかなることなのか。本書は学生や教員の必要性に応えるべく,卒論あるいは修論のサンプル論文集となるように編んである。

p.6
「マンガ研究」「アニメ研究」で重視されてきた「表現論」「作家論」「作品論」に踏み込むことを,あえて避けるようにした。それらはマンガやアニメを研究するには,欠くことができないものであり,それぞれの専門家によって深く研究されているので,その方面の書物や論文を読んでほしい。マンガ・アニメの専門外の立場からは,「表現論」「作家論」「作品論」に深入りしないことで拓きうる展開があるのではないか。先に述べたように,それが本書の刊行の母体になった研究会の基本姿勢であった。
 本書に収めた論文はすべて,具体的な作品を思考のベースとしている。そのうえで,作品の内部へと深く探っていくのではなく,作品が生まれ,流通し,受容された社会・文化へと考察を開いていくベクトルを持っている。

文学研究のようなノリでマンガやアニメを研究するのが,既存の「マンガ学」「アニメ学」なんでしょうか。
そのあたり全然詳しくないので,よく分かっていないのですが,少なくとも本書掲載の論考は,特定のマンガやアニメ作品を題材にして社会学とかをやっている感じでしたね。

それはそれで,アリだと思うのですが,なぜそのマンガやアニメ作品をとりあげるのか?その作品でなければならない理由は何か?といったことが曖昧になっているのではないか?とは一部思いました。
あと,こういったマンガ・アニメを材料にした研究をする際に,マンガやアニメのアーカイブが未整備なのではないか?と思いました。
小説などを対象とした従来の文学研究ならば,あちこちの図書館,最悪でも国会図書館でその現物を手にすることができますし,そもそも書誌情報のデータベースがきちんと整備されています。
一方,マンガやアニメの網羅的な図書館とか,データベースの整備度ってどんな具合なんでしょうか*1
自分が”好き”なマンガ・アニメを論文の題材にするとしても,その他の(論文を読んだ)第三者がそのマンガ・アニメ作品そのものに容易にアクセスできる状況がなければ,”学問”にはなり得ないのではないでしょうか。
”好き”だから論文にしますた!はいいのですが,その扱っているマンガ・アニメを他の人が広く確認(批判的検討)できる状態でなければ,”学問”にはならないだろうと思うのです・・・

*1:まーマンガについては単行本や雑誌などの”書籍”として出版(市販)されていれば国会図書館に所蔵されデータベースにも入っているはずですが,所謂同人誌などはそれには入ってないですよね?!

埋もれた都の防災学―都市と地盤災害の2000年

京都大学学術出版会のサイトの紹介文より

半分だけ倒壊したコロッセオ大阪城の堀跡に生じた凹み,年々高さを増す天井川……。これらはいずれも,“やり過ぎてしまった”開発に対する自然からの反撃である。地下に埋もれた災害の痕跡は,人々がその地で自然と対峙してきた歴史を伝え,現代に続く災害リスクを教えてくれる。私達の暮らす町の下には,どのような歴史が眠っているのだろうか? 地盤災害と人間の関係を探る防災考古学への招待。

https://www.kyoto-up.or.jp/books/9784814000425.html

いや~面白かった!
まず,近畿,特に京都や滋賀に多く見られる「天井川」について,その形成と形成の背景にある当時の人的活動について読めたのがよかったです。

p.121
天井川は,砂礫の堆積により川床が周囲の平面地よりも高くなった(河床が上昇した)川である。通常の河川地形とは異なり,その形成には,人間が大きく絡んでいる。つまり,天井川は,半分自然,半分人工の地形であると言える。

NHKの「ブラタモリ」でも「天井川」についてちらほら出てきていましたが*1,「天井川」なるものがどうしてできて,さらにはそんな危険なもの(大雨や台風で川の水があふれたらエラいことになるじゃない!)がどうして長らくそのままにされてきたのか疑問でした。
本書を読んで,農民が耕作に励む→耕作用の牛馬の飼料や肥料にするために里山の草を刈る→はげ山傾向が強まり大雨の際など土砂流出増加→河床が上がるのでそれにあわせて堤防かさ上げ→天井川形成,だけど普段は天井川から周囲の田畑に容易に水をひけるのでメリットあり

pp.140-141
悪水・うち水による被害はあったにしろ,トータルとして見れば,農業生産性は向上したのである。すなわち,洪水・土砂災害は,受忍しなければならないコストのようなものだった。農業を基盤とした社会では,天井川の発達は,悪い面もあれば,良い面もあったのである。

ということで,まずまず納得できました。

さらに,最終章では「防災考古学」という言葉から連想する以上のことが提示されびっくりしました。
まず,わが国では江戸時代までは崖崩れや地すべりなどの斜面災害の記録が少ないが,これはどうしてか?ということについて,当時の土地制度が背景にあると指摘しています。

p.188
江戸時代まで,土地所有は公有が原則(厳密に言えば,全国の土地は将軍のもの)であって,私有財産権は制限されていた。

しかし例外はあって,

pp.188-189
都市部,例えば江戸市中などでは,町政に参加するような有力町人達は,沽券と呼ばれる土地譲渡契約書をかわし,土地の権利(占有権)を売り買いすることができた。

けれども,自分が権利をもっているからといって,さらに細切れにして売り買いするなどはできなかったようです。

p.189
さらにもし,崖下の住宅で災害が起きれば,地主(有力町人)や藩(幕府)の役人の責任が問われた。行政の責任が今よりずっと重い時代であったので,最悪の場合は,職務怠慢のかどで死罪(切腹)になるかも知れない。すなわち,危ないところには住まない,住まわせないという合理的な都市作りが,制度的に可能だったのである。

ほうほう。

けれども,明治維新で江戸時代が終わると,土地の私有制が認められるようになり,土地は自由に売り買いできる”商品”となりました。
その結果,山を削ったり谷を埋めたりして住宅を建て売りするといったことが,あちこちでみられるようになり,結果として斜面災害の多発,といったことにつながっていきます,という話なのですが,著者先生はそこで止まらず,冷戦構造と斜面災害の関係にまで言及します。いやびっくりしました。

pp.197-198
 戦後,わが国の都市計画の前提となったのは「持ち家政策」である。童謡の施策は,冷戦構造下の西側各国においても強力に推進された。米国では,ウィリアム・レビットが始めた,プレハブ住宅による郊外型ニュータウンの開発がその代表である。後に「郊外(サバービア)の父」と呼ばれるようになるレビットは,安価な住宅を多くの退役軍人に供給する理由として,”誰でも自分の家と土地をもっていたら共産主義者にはなれない”と述べている。実際,レビットタウンの一戸建てに住む専業主婦は,資本主義陣営の戦略兵器であったとも言われている。
 以上のように,現在そして将来,わが国の都市で頻発する(であろう)宅地谷埋め盛土地すべりの背景には,「冷戦」,「甘いリスク(防衛)認識」,「土地の錬金術」という戦後レジームの三段論法が存在する。それから脱却し,この難しい問題の解決への第一歩は,「人に個性があるように,それぞれの土地の地盤条件は異なるので,どの場所にどのように住むのかを決めるのは自分自身の責務である」と言う,当たり前のことを確認し合うことであると思う。

*1:私の記憶にあるのは第142回「京都御所」や第65回「神戸の街」

怪談に学ぶ脳神経内科

怪談に学ぶ脳神経内科

怪談に学ぶ脳神経内科

  • 作者:駒ヶ嶺 朋子
  • 発売日: 2020/04/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
図書館で偶然見かけ手に取ってパラパラとめくってみたら,「怪談」という言葉から連想するような興味本位な感じではなく医学として真面目に検討されている様子だったので,読んでみました。

本書は奈良時代から大正時代にかけて「時間留学」し,当時のひとびとにはオカルトもしくは超常現象と思われたであろう現象を,冷静な脳神経内科医の眼で見つめ直している。疾患についての現代的知識を整理して,その疾患についての理解を深めるとともに,病歴を深く読み取ることの大切さを改めて教えてくれる。

『今昔物語』など昔の文学にある”お話し”を,脳神経内科の立場から症例検討しています。文献もしっかりひいてあって,医師向けの業界雑誌のコラムとして連載されてそうなイメージでした(笑)。
医師でない私には分からないところも多々あるのですが,多少は精神科系の知識があったので,興味深く読めました。

読み進めて最終章「第10章 あの世からの来訪—看取り,その先のこと」で,予期しない出会いがありました。
「悲嘆幻覚」についてです。

p.158
 悲嘆幻覚とは親しい者を亡くした後,その者の気配を身近に感じたり,姿を見たり声を聞く現象である。1970年代の調査では,配偶者を亡くした293人への聞き取り調査で,46.7%が亡くなった配偶者の幻覚やそこにいるような錯覚があると答えた。

p.159
 2011年の東日本大震災後,霊体験がちらほら出ていることが言われ,いくつかの本が出た。それは悲嘆幻覚のまとまった数の報告だろうと思い,読んでみると,ここに引用できないほど悲しく胸が締め付けられる事例が並んでいた。

この「いくつかの本」とは,

呼び覚まされる 霊性の震災学

呼び覚まされる 霊性の震災学

  • 発売日: 2016/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
などを指していますが,↑の本の編者の金菱清先生の放送大学授業「災害社会学」をこの夏視聴学習したので,こんなところで出会うとは!と思いました(放送大学テキストだけで↑の本は読んでないのですが)。

pp.159-160
 幻覚などと呼んでは,まるでそうした現象の本質が「幻」かのようなすり替えになりかねない。本質は,残された者からの亡くした者への思いであり,そこまでの時間に,亡くなった本人と残された者との間に築かれた確かな時間が,その現象をそこにあらしめている。残された者一人の問題ではなく,双方向の,あるいは社会全体のつながりが,そこに死者を現前させ得る,医学が,学問だからとその尊い領域に土足で踏み込むことは避けたい。
 しかし社会学的調査の本が上梓され,話題になった時に,真偽が言われたり,震災の地で起きている「精神疾患の例」として,薬でなんとかしたほうがいい,といった論調で取り上げられることがあるのを見かけた。悲嘆幻覚には向精神薬抗うつ薬は無効で,また治療が必要であるどころか悲嘆幻覚があることで精神的な安定が得られる可能性さえ指摘されている。皆で思い出も悲しみも共有すること,一人で抱え込まないことはさらに,苦しみを緩和するだろう。そうであるのに,むしろ話の信ぴょう性が疑われ,疑われないように秘匿され,個人に閉じ込められていく,あまりにも知られていない,ということが歯がゆく,この場で述べさせていただくことにした。
 幻覚を来たす疾患の鑑別として挙げられる統合失調症うつ病双極性障害は的確な治療で改善が期待できる。だから早期発見を,ということには大賛成であり,治療をためらうべきではない。また「悲嘆幻覚は本物の幻覚なのか?」という考察をしている精神科からの報告では,合併した抑うつに対して薬物治療を要していた。

医師なんだけど,一方的に医学的にビョーキだよねといって片付けていいものか?!と,物申しておられる姿勢が素敵です。

なお,こんな文学×医学,それも両方それぞれきっちり書ける著者先生ってどんな人?と奥付を見ると,
「2000年早稲田大学第一文学部卒」の詩人で,「2006年獨協医科大学医学部卒」の「医学博士」だそうです。
わお。

NHK気象・災害ハンドブック/気象予報と防災―予報官の道/予測の科学はどう変わる?人工知能と地震・噴火・気象現象

待ち合わせまでの時間つぶしに,市立図書館にふらっと寄ったところ,災害・防災をテーマとした特集で本が集められているコーナーがあって,目についたものをつい3冊まとめて借り出してしまいました。

気象と災害に関する基本的な知識をコンパクトにまとめてあり,さらには「お天気」関係の用語(単語の使い方)についてNHKニュースでどういう風に使うのかといったことも補足されており,日頃の生活で手元においてときどき参照したいような一冊です。
2005年の出版で,もう10年以上経っているので,新しい版がそろそろ出て欲しいなあ。

気象予報と防災―予報官の道 (中公新書)

気象予報と防災―予報官の道 (中公新書)

「第1章 天気のしくみ」は,「天気」なるものが発生する地球のメカニズム的なことが説明されていて,物理学とかの知識がない自分には難しかったのですが,その他のパートは,気象庁のなかの人≒予報官としての経験から,「天気予報」ってどんなもの,どんなプロセスで作られているのか,などなどが書かれていて面白かったです。
また,本書のサブタイトルには「予報官の道」とありますが,予報官になるにはどうしたらいいのか,というよりも「予報官」つまり予報官としていかにあるべきかということも書かれていて,著者の真摯な人柄がうかがえるのは読み物としても大変面白かったです。

pp.49-50
 天気予報の原理は,「現在の状態を知り,それに何らかの法則を適用して将来の状態を推し量る」ことである,と前章で繰り返し述べた。現在の状態を知ることは天気予報の第一歩である。いまどうなっているのか,現在晴れて(くもって,降って)いるのはなぜなのか,それがわからなければ,予測の見通しは立たない。ところが,それを知るのは案外むずかしいのである。我々はいまどういう状態に置かれているのか,過去から未来への変遷のなかで現在がどういう段階にあるのかを正しく理解することは,鋭い洞察力なしにはなしえない。天気予報において,現在の状態を正しく知ることができなければ,どんなに優れた予測法をもっていても高精度の結果は期待できない。

最後の文章,柳田邦男の『空白の天気図』を思い出しました。
戦後混乱期で観測データの欠損傾向,さらには巨大台風で観測データ取得不能状態で現在状態が皆目分からなければ,予報しようにも手も足も出ない。

p.53
 結局,予報官にとって,「いまどうなっているか」は決して自明ではない。今後を予測するのと同じくらい,いやそれ以上に,現在を知ることは重要であり,むずかしい。
 考えてみると,現在を知るのが容易でないのは気象に限らないようにも思える。世の中のあらゆること,人生のすべてについて,「いまどこにいるのか」を知るのは容易でない。時間がたってから振り返ると,ああ,あのときはこうだったのか,こうすればよかったのかと気づくのだが,現在進行形のその時点では容易にわからないものである。

人工知能ってどんなもの?という入門として読めるだけでなく,地震・噴火・気象現象の予測に人工知能を活用できるか,活用するとすればどういう方向性があるのか,といったことを平易に解説されている本でした。面白かったです。

p.2
 経験的な予測と演繹的な予測は実際には明確に分けられないことも少なくありませんが,方法や内容には明確な違いがあります。比較的簡単にできるのは経験的な予測ですが,予測内容は定性的であり,主観的になりがちです。それに対して,演繹的な予測は数理的な解析やコンピュータによる計算が必要であり,基盤となる理論ばかりでなく,計算に用いるプログラムや入力するデータなどの準備も必要です。しかし,予測結果は定量的であり,客観的でもあります。
 2つの予測方法の大きな違いは予測の及ぶ範囲です。経験的な予測は,予測する人の経験や知識などに限定されて,想像力が及ぶ範囲を超えられません。それに対して,演繹的な予測は人間の想像できる範囲とは無関係に推論を進め,時には予想外の真実を導きます。この違いから,基盤となる理論が整っていれば,演繹的な予測の方が優れており強力です。

p.3
 科学の進歩につれて,経験的な予測は演繹的な予測に順次置き換えられてきました。しかし,実際の自然現象の多くは複雑で多様性に富み,演繹の基礎は簡単には築けません。たとえば,地震予知や噴火予知は相変わらず経験的な予測の枠から出られません。ところが,最近,予測に人工知能(AI,artificial intelligenceの略)が参入してきました。人工知能による予測は,データの学習に基づく経験的な予測ですが,学習できるデータは膨大であり,予測内容は自動的に得られて客観的です。

人工知能の入門書”みたいなものは,近年多数出版されていると思うのですが,こういう感じで説かれているのが,自分的にはすごくぴったりする本でした。