なぜ働いていると本が読めなくなるのか

本が大好きな文学少女が大学院修士まで文学を修めた後、就職したのだが・・・

気づけば本を読んでいなかった社会人1年目
本を読む時間はあるのに、スマホを見てしまう
本を読む余裕のない社会って、おかしくないですか?

という問題意識から、明治~最近までの日本人の労働と読書の関係について、様々な分野の文献をひきながらまとめた本です。
視点が独特だ。
タイトルの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」について、端的にいえば、「労働に忙殺されているから」ということを説得力をもって示している、スゴい本でした。

p.182
 就職活動や転職活動、あるいは不安定な雇用のなかで成果を出すこと。どんどん周囲の人間が変わっていくなかで人間関係を円滑に保つこと。それらすべてが、経済の波に乗り市場に適合すること――現代の労働に求められる姿勢である。
 適合するためには、どうすればいいか。適合に必要のない、ノイズをなくすことである。
「片付け本」がまさに現代で示す「断捨離」が象徴的であるが、ノイズを除去する行為は、労働と相性がいい。自分自身を整理し、分析し、そのうえでコントロールする行為だからである。
 コントロールできないものをノイズとして除去し、コントロールできる行動に注力する。それは大きな波に乗る――つまり市場に適合しようと思えば、当然の帰結だろう。
 だとすれば、ノイズの除去を促す自己啓発書に対し、文芸書や人文書といった社会や感情について語る書籍はむしろ、人々にノイズを提示する作用を持っている。
 知らなかったことを知ることは、世界のアンコントローラブルなものを知る、人生のノイズそのものだからだ。
 本を読むことは、働くことの、ノイズになる。
 読書のノイズ性――それこそが90年代以降の労働と読書の関係ではなかっただろうか。

「読書とはノイズである」と著者はいいますが、?と思われたらぜひ本書を一読して確認していただきたいです。
私は、たしかに、と思いました。
さてでは、どうやったら働きながら本が読めるのか、読書を楽しめるのか?ということについては、仕事への全身全霊コミットメントをしない「半身社会」を提唱しておられるのですが、それをどうやって実現するのか、実現可能なのかについては「私にもわからない(p.265)」と述べておられます。
あくまでも提案レベルなのですが、個人が頭の隅に置いておく考えとしては、それなりに有益なのかなと感じました。

組織不正はいつも正しい ソーシャル・アバランチを防ぐには

アバランチ」とは avalanche、「雪崩」のことだそうです。

p.190
個々人が「正しさ」を求めるがあまり、それが積み重なることによって、個人のみならず、組織や社会などの全体が沈んでいく現象があります。本書では、これを社会的雪崩(social avalanche)と呼んでみたいと思います。

積み重なる、という表現でもいいのかもしれないけれど、それぞれの「正しさ」が衝突するとか食い違うとかいう感じのように、本書で挙げられている事例では感じられました。

p.37
〈第三者〉は「正しさ」の下で「不正行為」を訴えかけていますし、組織としても「正しさ」の下で「不適切行為」であると表明しているように見えます。
 したがって、この場合にはどちらか一方が正しく、もう一方が間違っているのではなく、「正しさ」がせめぎ合うものとしても考えることができるようにも思います。

本書は(それぞれが信じるところの)「正しさ」を軸にして、組織不正についての見方を提示しています。
かなり面白いななるほどと思えるところも多いなと思う一方で、第6章で取締役(会)を監査役を(会)が監視、それがダメなら第三者委員会、第三者委員会も完全ではないので「第三者委員会報告書格付け委員会」というものが出てきて・・・と書いてあるなど、「正しさ」の牽制(?)はきりがないなあ・・・と、もやもやした読後感となりました。
けれども本書で示されていたような「正しさ」を軸として考える視点は有用だと感じたので、読んで損はないと思います。

日本の近代 猪瀬直樹著作集8 日本人はなぜ戦争をしたか 昭和16年夏の敗戦

現在放映されているNHKの朝ドラ「虎に翼」にハマっています。
その中で、主人公寅子の再婚相手となった星航一が、かつて「総力戦研究所」にいて、昭和16年にすでに日本の敗戦を予測していたのにも関わらず、当時の東條首相を動かせずそのまま戦争に突入してゆき(予測通り)敗戦を迎えたことに非常な責任を感じているという心情を吐露する場面がありました。
それをきっかけにその「総力戦研究所」について扱った本書を読んでみました。
ドラマの星のモデルとなった三淵乾太郎については、名前がちらっと出てくるだけでしたが、期待通り「総力戦研究所」について読めたので満足です。

p.74
 吉田元総理が出席して「七士之碑」除幕式が公然と行われたのは、絞首刑から約十年後の昭和三十四年四月十七日である。
 しかし、占領軍の危惧に反して、東條らを殉教者としてあがめる風潮は生まれなかった。
 むしろ、逆であった。教科書を含めて、あの戦争は「軍部の独走」として片付けられ、国民はすべて被害者であった。悪いのは一握りの軍国主義者、という図式ができあがったのである。戦後の右翼の間でさえ、東條は人気がなかった。

そうなんですよね。上記のように、戦後のわれわれは被害者意識に凝り固まっていたということを、「虎に翼」では星航一の後悔の念に集約して示しているなと思いました。

ChatGPT「超」勉強法

ChatGPTをどう使うか、ということも当然参考になるのですが、LLM(大規模言語モデル)とはどのようなものか、例えばシンボル・グラウンディング問題とはどういうことかなど、野口先生なりに解説しておられるのが自分にとっては面白かったです。

pp.52-53
 LLMは「エンコーダー」と「デコーダー」から成る。エンコーダーは大量の文献を学習し、様々な言葉や概念をベクトルで表し、言葉の意味を、他の言葉との関係で理解する。そして、デコーダーが利用者の質問や要求に応じて答えを作成する。その際、エンコーダーが作ったデータを用いて、ある言葉のつぎに来る言葉の確率を計算している。
 この過程においてLLMが分析しているのは、あくまでも言葉と言葉の間の関係だ。数学の法則や論理法則を(人間と同じように)理解しているわけではない。その意味で、正しく理解していない。そのため、数学や形式論理学などの法則の適用で、誤ることがあるのだと考えられる。

pp.53-54
 「シンボル・グラウンディング問題」とは、人間やAIがシンボル(言葉、数字、画像など)を実世界の具体的な対象や概念にどのように結びつけて理解しているかという問題だ。
 前項で述べたAIの理解は、人間の理解とは異なるものだ。人間は、生まれたときからの様々な実体験や観察を通じて、言葉や概念の意味を理解している。
(中略)
抽象的な概念もそうだ。例えば「無限」という概念の意味は、長い海岸線を歩き続けたというような体験と関連づけて理解している。
 ところが、AIは身体を持たないため、このような理解をすることができない。AIの理解は、すでに見たように、言葉と言葉の関係を理解するというものだ。

国鉄――「日本最大の企業」の栄光と崩壊

国鉄について、終戦前後から分割民営化までの歴史がまとめられています。技術史や経営的な側面そして労働組合についてもまとめられているのが、国鉄ならではという感じがしました。
自分は国鉄労働組合運動についてよく知らないですし、何か駅にアレコレ貼ってあったような気が・・・とうっすら幼時の記憶があるようなないような程度ですが、とても異様な印象を受けたことは残っています。
そういったことも含め、あちこち「ほうほう」と興味深く読める内容でしたが、特に驚いたのは「分割民営化の基本スキーム」でした。
ご存じの通り、国鉄は北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州にブロック分割されましたが、いわゆる「三島会社」=JR北海道JR四国JR九州は、大都市圏のある本土三社に比べ経営基盤が弱いと当初から分かっているはずなのに、何で単独分割したのと(素人としては)感じていました(例えば四国と九州は西日本に入れてもよかったのでは?とか)。
しかし、分割民営化当時は、それなりの算段はあったんだなと、本書を読んで了解しました。

pp.300-301
このような人員削減をおこなっても、旅客会社の鉄道事業は、本州3社がかなりの黒字基調、三島3社が赤字基調になる。そこで、発足時点での経営試算をおこない、各社の経常利益が、同じ比率でごくわずか黒字になるくらいに、収益調整をおこなうことにした。収益調整策(イコール・フィッティング策)として、本州3社には、それぞれ黒字額に見合う額の運用金利(7.3%になる債務(国鉄長期債務の一部)をつけた。一方、三島会社には赤字相当額に見合う運用金利になる「経営安定基金」をつけた。本州会社は経費に債務金利額を加え、三島会社は収入に基金運用益を加えて、ほぼ収支が均衡するようにした(図8-5~6)。

貯金の金利で赤字を埋めるイメージかな?
しかし・・・

pp.301-303
旅客6社は、かなり経営規模と収益性に差があり、だいたいにおいて本州3社は三島3社の10倍以上の経営規模であるので、債務合計は約5兆4000億円、経営安定基金合計は1兆2781億円になった。いかにも、官庁らしい、理になかった方式のようにみえるが、ここに金利暴落という大問題が発生したのである。運用金利、運用益計算の金利が7.3%であったが、これは昭和60年度(1985年度)より過去10年間の国債利回りの平均値で、当時、金利のようなものはあまり変動しないものという常識だった。ところが、周知のように平成3年(1991年)にバブルが崩壊してしまい、国はその修正をしなかったので、支払利息が減ったことから本州3社はますます黒字が増える一方で、三島会社はますます赤字が拡大するという悲劇が起こった。

バブル崩壊で当初の想定金利が暴落し、当初の算段も崩壊。
ぎゃ~

その他、新幹線貨物とか、言葉だけ聞くと「えっ?」と思うようなことですが、読めばなるほどと思われる著者の提言なども興味深い良書でした。

猫社会学、はじめます

lionus.hatenablog.jp
こちらに続けて似たようなタイトルの本を読んでみました。

「猫社会学」と銘打っておられ、猫カフェのフィールド調査や、漫画『サザエさん』に登場する猫の描かれ方など、具体的で読んで楽しい内容でした。
ちらりちらりと社会学(理論)は引用されているのですが、肩肘はらず読めるネコチャンファンブックという印象です。

〈猫〉の社会学

『〈猫〉の社会学』と題しているけれども、社会学の理論的なことはあんまり出てこず(多分、もしかしたら自分が分かっていないだけかもしれないけれども)、どちらかというと歴史学民俗学的な印象を受けました。
「序」にて「〈猫〉は精霊である」と題し、浮世絵や招き猫、各地に残る”猫塚”、演劇や文学作品など、猫にまつわる事柄を幅広く扱っておられ、これだけのボリュームのものを緻密に調査し、まとめておられる腕力に感銘を受けます。
印象に残った(おもしろかった)点は、

  • 猫=養蚕の敵である鼠よけ、から養蚕神に関連
  • 根古・根子・根来=台地等周囲に比べ小高くなっている麓にその土地の有力者が居城を構える→有力者の記憶、その「ねこ」が転じて「猫」に→各地の猫塚など〈猫聖地〉は過去の有力者の記憶をとどめる場所

p.298
 ただし、〈猫〉が聖なるものであるといい、〈精霊〉であるといっても、それは人間にとってそのように感じられるにすぎず、現実の猫は、人間の思いなどにほとんど忖度することなく(彼らの利益にかかわらない限り)、彼らの〈生〉を生きているにすぎない。その意味で、〈猫〉はまさに、人間にとって〈他者〉のままに留まっていながら、人間との〈関係〉も維持しているという、境界(あわい)的役割を果たすのである。この役割によって、私たち人間は、〈猫〉を媒介として、人間というあり方を相対化し、自分自身の〈生命の根源〉にまで遡る契機とすることができるのだろう。