私の日本地図6 瀬戸内海 II 芸予の海

”女子供”というものについて。へえそんなことがあったんだねと。
大雑把というか,猥雑というか,でもゆるいことがやさしい面もあったかもしれないね。

  • メシモライ

p.8
メシモライというのは,船の中で大きくしてもらうのである。夫婦で船に乗っている場合には自分の子もいっしょにのることがあるが,男ばかりで乗っている場合には自分の子をのせることはない。しかし他人の子をもらって船にのせることがあった。たいした理由はなかったが,「気の毒だ」という程度のことであったらしい。何人かの仲間で漁船にのっているような場合は,メシモライをのせていることがあった。少し大きくなればカシキ(炊事)をさせるようになるのであるが,それまではただ船の中であそばせておいた。あるいは,船の中に子供がいることで気持がほぐれてきたのかもわからない。

「船の中に子供がいることで気持がほぐれてきたのかもわからない」>ペットかよ!(笑)

  • 昭和8年有村さんという帆船船員から聞いた話(pp.121-122)

チョロ*1に乗ってきた若い遊女と一夜のちぎり→女にほれてしまってそのまま船から陸にあがってその女の家に転がり込んだ→船員が陸に上がっても仕事がなくやることがない→結局女にやしなってもらう→愛する女に身を売らせるのはたまらない→かとってどうすることもできない。煩悶の末,だまって出ていき外国航路の船に乗った。
それから20年たって,船がまたその港に寄港した際に,その女のことを聞きにいった→この港の裕福な家に嫁いで,今は幸福に暮らしているそう。

  • チョロ船の遊女の話(pp.124-125)

土地の女,付近の島の女たちもここにかせぎに来た。そして嫁入支度をととのえてかえっていくものも多かった。そんな女を誰が嫁にするのだろうと,他の地では考えられるだろうが,内海の島々の男の中にはそんな女の方がよいというものも多くて,嫁入口には困らなかったばかりでなく,そういう女の方が所帯もちはよかったともいわれる。すべての女がかならずしもそうではなかっただろうし,悲惨な運命にもてあそばれたものも多かったはずだが,若い無垢な女たちを引きつけるほどの魅力をこの港はもっていた。

性モラルというのは地域や時代によって全く異なってくることの好例。

*1:港に船が入ってきたら,チョロ船と呼ばれた小さい船に乗って遊女が寄ってくる。

私の日本地図4 瀬戸内海 I 広島湾付近

瀬戸内海I 広島湾付近 (私の日本地図 4)

瀬戸内海I 広島湾付近 (私の日本地図 4)

lionusは生まれたのは広島市で,その後千葉県市川市に移ってそこで小1の1学期までを過ごしました。
私が住んでいたあたりは,かつて葛飾の一部に含まれていたそうで,昔からの風情がところどころに残る地域でした。
そこから,再び広島市に戻ってきて,大学に入るまでを過ごしたのですが,広島に戻ってきて衝撃を受けたのが,
「(同級生の)男の子が自分のことを”ワシ”と呼んでいる」
ことでした。
えっ,ワシ?,ぼく,とか,おれ,じゃないの?こどもなのにおじいさんとかおじさんみたい・・・*1
広島に生まれ育っているのにどうにも広島に馴染めないまま10年以上を過ごしたのですが,本書の次の記述のところで,ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けました。
そうそう!そうなのよ!そうなんだ!そういうことなんだ!と。
長くなりますけれども端折る気持ちになれませんので,貼ります。

pp.50-52
人が一定の場所に住み,そしてそこが次第に大きくふくれあがってきて,その周囲の景観や生活条件をかえていくことは,かならずしもわるいことではない。だが,一つの町が成長していくにあたって,その周囲を無秩序に荒らしていくようなことがあるとすれば,それは荒らす方も,荒らされる方も不幸なことである。私は広島をおとずれるたびにそう思うのである。いったい,広島のような大きな町ができたからといって,広島人の築いた文化というものがこの町にあるのだろうかと思ってみる。大きなビルがたちならんだからといって,それが一般人にとってどれほどのかかわりあいをもっているのだろうか。そこに勤めているものはそれでよいとしても,一般人にとっては,ほとんど意味をもたない。文化が高いということは,一般人にまず何よりも精神的なゆたかさを与えるものでなければならないと思うのだが,広島にはどういう高さがあるだろうか。
広島の人は「原爆を食いものにする」といわれることをいやがるけれども,事務的なこと以外で広島をおとずれる者の大半は,原爆の町であり,原爆ドームや記念館に心をひかれて来た者ではなかろうか。それ以外に,いったいこの町に人の心をひき,人の心にのこるようなものがどれほどあるであろうか。広島はおだやかで美しい環境にめぐまれている。そういう環境をより美しいものにしてゆくことも文化というものではなかろうか。あるいは,人びとの心をゆたかならしめる公共の施設をより多く持つことも,こうした地方中心都市の任務ではなかろうか。ところが空から見て,「まだ荒れきってはいない」という何とない安堵はおぼえるにしても,この環境をより美しくしようとするような努力は,空の上からはどこにも見えないのである。そして,やがては空も水も山もうすよごれた町になるのではなかろうかという不安さえおぼえる。
私の目には広島は実に若い町としてうつる。長いあいだ城下町であったし,またそのあと軍都として栄えた。そういうものを終戦を境にして,かなぐりすてて再出発した。もう,もとの広島ではなかった。それだけに,広島が広島であるための文化を生み出していく努力がなされていいのではないだろうか。そういう努力がないのではない。むしろ非常につよいのではないかと思う。広島カープという弱い球団を支持し続けているのも,単なる地方的劣等感だけからではないと思う。広島に根をおろしたテレビや新聞の活動を見ても実に意欲的である。しかし,それらがなかなか一つに凝集しない。しかも周囲の人たちは,広島がより広島的であってくれることをのぞんでいるのではないかと思う。交通網が発達して,広島への通勤区域がひろがってくることによって,山地の人も広島への通勤がふえた。つい10年たらずまえはずいぶん奥深いところだと思ったところも,近頃おとずれてみると,時間は何ほどもかからない。さらにその奥の地帯では,いままで山間の小さな町で買物などしていたのが,みな広島へ出るようになり,山間の町はさびれはじめたともきく。このようにして,広島の吸引力は急に強いものになってきて,村とのむすびつきは大きい。
ところがさらにその奥,広島との交渉の比較的少ないような山地では,急速な人口減,さらには廃村さえも目立ちはじめている。もし,広島の繁栄が,山村の廃絶ともつながるものであるとするならば,悲しいことである。広島の繁栄が山地の繁栄にもつながることにならないものかどうか。またそういう対策はたてられないものであるだろうかどうか。
大きな町がその接続する地区を食い荒らすような形で発展していくことと,山村の荒廃との間には大きな関連があるように思えてならない。山村の荒廃は自然現象であるとして投げ出すのは,あまりに能のない話であり策のない話である。ほんとうは僻地山村はそこにつながる地方都市が何らかの形で,僻地の支えになってくれることをより強くのぞんできるのではなかろうか。そしてそのような対策も真剣に検討してゆけば不可能ではないと考える。本来,地方文化はそうした発想と努力の中に生まれ育ってきたように思う。地方都市の衰弱は周囲の村々から地方中心都市のエネルギーを吸収しつつ,そこに返すべきものを十分持っていないことに原因がありはしないだろうか。

同じシリーズの『京都』で,京都より北の丹波やさらに敦賀など日本海側とのつながりが深いと言っていたのとは対照的です。
食い荒らすような形で発展,というのは,戦後の物事のスピードが速すぎることも一因なのかもしれません。
周囲の山地との関係では,飛躍しすぎかもしれませんが,2014年の広島豪雨災害=広島通勤圏の拡大に伴い,郊外の山地をゴリゴリ開発して家を建てたところの水害,も想起しました。

*1:いやおじいさんとかおじさんが嫌なわけではなくて,こどもなのにすでにある種のおっさんがもつ傲慢不遜な雰囲気が漂ってしまっているような印象を受けたのです。広島男子ごめんなさい。あくまでも当時の記憶ですので。

2017年新年のご挨拶と12星座占星メッセージ。

あけましておめでとうございます。
本年も引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

さて元日の今日は,初詣と恒例の元日西宮ガーデンズセールに出かけてきました。
日の出時刻=7時に合わせまずはご近所の門戸天神社にご挨拶,次に門戸厄神護摩札と御幣をいただき,そのまま廣田神社西宮神社に詣でました。
そのまま元日恒例のガーデンズセールに移動,あればいいなあと思っていたアイテムを狩ることができ,満足です(^^)
ああ今日も楽しかった。

ところで,2016年末にちょっと思い立って12星座別の占星メッセージなど書いてみました。ご笑覧いただければ幸いです(笑)。

***

牡羊座
ここ数年来,???の嵐に翻弄され続け,2016年はそれがピークになった年では。ともかく前進ありきの牡羊座書物やら先人の知恵による理論武装を突破口の拠り所にしてきたのかもしれません。2017年も逆風圧迫強い中,対人関係がきっかけで,そこからイイ!と思えることも出てくるかもです。いずれにしても周囲に人一杯で賑やかな1年になりそうです。
牡牛座
2016年はアクセルとブレーキ,弛緩(リラックス)と緊張,寛大さと厳格さ,オフィシャルとプライベート,ネガティブとポジティブ,など,互いに相反して極をなす性質の微妙なバランス混合だったかもしれません。2017年はエネルギー注入する先を明確化して突き進む感じに。でもとっても忙しくなるので体調注意です。
双子座
ここ2年くらいなんか,何だか調子悪いな~と思ってきたかも。物事も身体も歯車がかみ合わない,どうにもちぐはぐな。でも2016年夏頃からちょっとはましかな?そして人生(or自分)もなかなか捨てたものじゃないかも?と思うようなこともあったのでは。ただし,幸運の女神は前髪しかないと言われているように,あっと思った瞬間に掴まないともう二度と来ませんのでご注意を。2017年は夏までが勝負です。
蟹座
いや~2016年は大変でしたね。華やかな公開処刑とでも言えそうな,注目も浴びるけれども義務もプレッシャーもすごいという感じではなかったでしょうか。2017年もその華やかな公開処刑は続きますし,さらに“見物人”は増えそうです(爆)。しかし2017年の秋以降はややプレッシャーも薄れ,状況が味方してくれるようになるのではないでしょうか。
獅子座
2016年は「自分」がテーマの年だったのでは。若い人ならこれからどうする,どうしたいのか,現役世代なら自分は何ができる,何をすべきか,そしてシニアは自分が何をしてきたのか,何を残してゆけるのか。内省・掘り下げの1年。外形的には大きな動きはなくても,内面の大変容があったかもしれません。2017年はそれが具体的実体的な目にみえる形で浮かび上がってくる年になるのかも。
乙女座
ここ2年くらいしんどかった中,2016年は頑張りましたね。それなりに成果を得られた面もあったのではないでしょうか。2017年もまだまだ1年間しんどいですが,そのしんどさはとりあえず2017年末でひと段落します。2017年末が終わり,明けて2018年からは目上の人,組織からの,今まで求めても得られなかった支援が徐々に得られるようになる流れになってくるかも。あきらめないでね。
天秤座
2016年は栄誉なこと,注目を浴びることもあったでしょうが,ともかく,忙しい!想定外のことががが!ああ自分がもうひとり欲しい!と思う感じではなかったでしょうか。2017年もプレッシャーは相変わらずですが,天秤座の年が来ます。桃太郎がイヌ,サル,キジを従えて鬼が島に鬼退治に出発するようなイメージ。チャンスは夏までとあまり時間はないので仕込みはスピーディーに。
蠍座
ちょっと前になりますが,2013年から2015年はアレでしたよねえ。2016年はアレな時期で傷んだ心身の“リハビリ”的な時間を過ごしてきたのではないでしょうか。でも,2017年はそろそろ眠りから覚めるというか,重い腰をあげるときがやってきましたですよ。2017年秋から1年間の“幸運期”に花を咲かせるべく,2017年初頭から幸運の種まきをしていきましょう。
射手座
この2年くらい,ああ苦しい苦しいの連続ではなかったでしょうか。2017年も引き続きしんどいですが,そのしんどさに堪えている姿は,周囲の人に何らかの感慨を与えているようです。あなたの存在自体が有形無形のメッセージを伝えている・・・ような。2017年末をピークに,ひと息つける時間がやってきます。2018年秋の“解放”あるいは“射手座イケイケの時間”を笑顔で迎えられるために,もうひとふんばりです。
山羊座
ここ数年,過去の実績を踏まえたスクラップアンドビルドが続いてきましたが,2016年は次第に発展の可能性が見えてきたのではないでしょうか。ゴールはまだ見えてないし,難しさは相変わらずですが,2017年は混沌の中に一本背骨が通るような,道具がそろってくるような感があります。2018年からはそれを現実に落とし込む困難がやってきますが,もともと苦労性で努力が身についている山羊座さんですから大丈夫OKでしょう。
水瓶座
2016年は色々楽しかったですよねえ。特に夏以降はイケイケドンドン面白い面白い,な時間が多かったのでは。持ち前の知的好奇心がいかんなく発揮・満足された感があります。2017年も大体その気持ちよさは続きそうです。自分が楽しむだけでなくて,何かをコーディネート,組織化して周囲の人を巻き込む(もしくは,周囲に貢献する)ような動きがあるとより発展的ではないでしょうか。
魚座
ここ2年くらい,「壁」がテーマな時期ではなかったでしょうか。自分と他人との壁,自己実現を阻む壁等々・・・そして,その「壁」は真正面からぶつかって壊すものではなく,むしろ近寄って一体化してそして内側から融かしてゆくのがある種の“極意”であることも徐々に判明してきたような感も。2017年はその“極意”がようやく現実化実体化されて動き出し始める頃のようです。

***

数理法務概論

数理法務概論 -- Analytical Methods for Lawyers

数理法務概論 -- Analytical Methods for Lawyers

  • 作者: ハウェル・ジャクソン,ルイ・キャプロー,スティーブン・シャベル,キップ・ビスクシィ,デビッド・コープ,神田秀樹,草野耕一
  • 出版社/メーカー: 有斐閣
  • 発売日: 2014/03/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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まずはAmazonのページのカスタマーレビューをお読みください。lionusが書くまでもなくそこに本書の素晴らしさが的確に述べられています。
それにしても,決定木分析,ゲーム理論ファイナンス理論,ミクロ経済学,法の経済分析,といったそれぞれの分野の要点について,数式を使わず言葉と図表だけで示されているのは本当にすごい。
さすがに,終わりの2章「統計分析」と「多変量統計」についてはものすごーく遠慮がちに数式を出してきましたが*1
本書で個人的に収穫だったのは次の点です:

  • ナッシュ均衡について文書のみで読め分かった気になった。
  • 逆選択についても同様
  • ロナルド・コース「企業の本性」The Nature of the Firm(という論文)の内容について読めたこと(ピコーン!と来た,やばい)
  • バーリー=ミーンズ『近代株式会社と私的財産』(所有と経営の分離問題の端緒,これだったのか!)
  • 独占的競争(monopolistic competition)の概念(以下引用)→所謂士業の各種の業務を考える際に応用可能っぽい

pp.322-323
独占的競争(monopolistic competition)」とは,「企業の数は寡占の場合よりも大きいが(例えば,ある市内におけるすべての理髪店),各企業は何らかの点において他社とは異なった生産物を生産しており(各理髪店は固有の所在地に店を構え,おそらく散髪の方法にも独特のスタイルがある),自社の行動に対して他社がどのように反応するかをあまり気にしていない市場」を意味する言葉である。独占的競争で重要なことは市場参入の問題であり,競争により超過利潤が失われるまで企業の市場参入が続くという特徴がある。独占的競争下にある企業はいずれもある意味で小さな独占企業であるが,相次ぐ新規参入によって各企業が直面する需要曲線は左にシフトするので,いずれの企業も大きな利潤を得ることはできない(例えば,各理髪店のサービスには少なからぬ独自性があるとしても,その大半の利潤が消滅するまで新規理髪店の参入は続くであろう)。

*1:p.464で「この式をみてやる気を失くさないでほしい。」と書かれているところで吹きました。

11番,甲戌の解説

「青龍館」という算名学(多分)のサイトがあります。
青龍館&青龍塾
以前,別のところにあったときの60干支それぞれについての解説が,素晴らしくて,特に,自分の干支=甲戌=日座中殺についての記述を,たまに思い出したように読みたくなります。
もうすでに存在しないページなのですが,archive.orgから引っ張り出してきました。
ごめんなさいですけれども,折々の心の支えになっているので,サルベージコピペお許しください。

6月1日(月)

さて、これまで1−10番を見てきました。
これで、5行の陰陽10種類(下一桁1-10)は一巡したことになります。

でも、12支は2個残っています。
木陽 木陰 火陽 火陰 土陽 土陰 金陽 金陰 水陽 水陰
子   丑  寅   卯   辰  巳   午  未   申  酉   戌  亥

12支というのは地上の時間区分であって、
森羅万象は10干が元になって創られています。
10干が基準。1−10で一区切りです。
そうなると、この1−10のグループは
戌と亥という時間区分がないことになります。

実はこれが天中殺の原理なのです。

こう考えるとわかりやすいですよね。
1−10のグループには戌と亥という12支がない。
でも現実の世界では12支で区分けされている。
このグループの人は戌亥という時間区分を
もともと持っていないことになります。
このグループにとって、戌・亥は虚の時間です。
それが天中殺の意味です。

日番号が1−10グループの人は
戌年亥年、戌月(10月)亥月(11月)の時間帯が天中殺になります。
また、大運と呼ばれる10年運でも、戌・亥の10年が来ると
20年間(続いてくるので)も天中殺の時期が続きます。
これが大運天中殺と呼ばれるものです。

宙に浮いた状態の2つの12支

12支というのは地上で言うところの時間区分ですが、
これまでみてきたように
その中にも10干の一部が組み込まれています。
というよりは、地上の10干の一部に、
動物の名前を当てはめたものが12支
といったほうがいいでしょう。

地上の10干とは現実の気のことです。
その上にのる10干とは精神の10干です。
この精神の10干は実は宇宙の10干と呼応しているのです。
いわば、アンテナのような働きをします。
天から送られてくる情報をキャッチして12支に伝わります。
このアンテナがない状態が干のない支と考えてください。
つまり、天中殺のときの状態です。

実際の時間は干のない支はないので
なんらかの干が乗ることになりますが
それは本来なら乗らない干であって
アンテナとして正しく機能するものではありません。
天中殺が不安定であることの理由はここにあります。

天中殺の説明はまたいずれ、ということで、
10干のない戌亥はどうなるのか?

10干の順番では木陽・木陰・・・と再び木性からの流れになります。
すると、空白だった戌・亥という12支の上には木陽・木陰という干が乗ります。
木陽 木陰
戌   亥

番号でいうと、11番と12番です。
この番号は次の十干のサークルになります(11−20グループ)

11番と12番は前のサークルの残りの12支に
新たに始まる木性からの干が乗った番号です。
この木性の干は前のグループの天中殺時間の支の上にのるので
アンテナはあってもそれにつながる現実の時間区分が虚であることを意味します。

人は、時間フレーム(12支)の中で存在することになります。
12支がなければ「存在」はありえません。
よって、11番と12番の干支は
存在を支える時間フレームが
生まれたときから天中殺状態にあることを意味します。

別名日座中殺と呼ばれるのが11番と12番です。


11番は木性陽と戌という12支から成っています。
戌は秋の終わりと冬の始まりをつなぐ12支です。

戌の説明からはじめます。
戌を持つ番号は 11・23・35・47・59
23と35番は異常干支(才能干支)と呼ばれるもので
戌という支はそれほど安定感のあるものではありません。

季節調整役ですから、秋をまとめて冬に備えるのが戌です。
夏の終わりから秋にかけては穀物が実るときです。
秋にはコメや酒としてその穀物が姿を変え
秋の終わり(戌)はそれを財に変えて冬に備える役割をします。

ですから、戌を持つ番号(11・23・35・47・59)の人は
自ずから、財運が強かったり、蓄財の才を与えられています。

また、戌の中の干は、金陰・火陰・土陽
金性の正義感、火性の几帳面さ、土性の情がミックスされます。

まじめで誠実な人が多いです。責任感も強い。
役割には敏感で、与えられた職責はきちんとこなしていきます。

義理人情には厚く、主義主張はきちんと通す。
いいかげんなことは好まず、頑固に自分の道を貫く強さがあります。

この頑固さはマイナスにでると、カタクナさになり
融通の利かない身勝手さにもなります。
自分に対する、自信と固執が人生を生き難くしているともいえます。
あれこれ弁解を嫌うので、損をするタイプです。
妥協よりも孤立を選択する意固地な部分もみられます。

概ねはまじめな努力家になるので、成功者も多い。
対人関係さえうまくやっていければ
豊かな人生を歩める資質の持ち主です。

以上は 11・23・35・47・59 に共通の説明です。


その戌と木性陽の組み合わせが11番です。
今回は長くなってしまったので、日座中殺の説明は来週にしましょう。
これは11番も12番も同じなので。
それを別にした、11番の特徴です。

木性の陽 と戌の中の干 金陰・火陰・土陽 との関係は
金剋木・・・プライド
木生火・・・繊細な感性・表現力
木剋土・・・経済活動・愛情

剋が二つはいるので、自意識は強まります。
人に従属することはこのまないので
何事においても自分自身が中心的な立場をとるようになるでしょう。

そのための合理的な精神と豊かな生活の知恵があります。
木陽→火陰という感情の流出があるので、
合理性をもちながらも、クールにというわけにはいきません。
内面は情に流されやすい気質。

情に流されやすい人は、周りに人がいるほど情的になってしまい
いつのまにか自分の道を見失うことになります。
集団の中にいると能力は発揮しにくいでしょう。

できるだけ、単独で動ける環境にあったほうが力を出しやすい。
孤独な状況のほうがより力を発揮できます。

生家の中に長くいると、
身内思いなので親兄弟の犠牲になったり
婚期を逃したりすることもあります。


結婚したらしたで、家族の犠牲になったり、
なぜか、家庭がうまくまとまらなかったり
そうした現象を体験することもあります。

11−20グループは現実社会へと向かっていくのですが
11番は正面勝負に弱い。
勢いの割にはもろさがでます。
ここに最大の難しさ(矛盾)があります。

何かに熱中すると、完全を目指してがんばるのに
完成させることが難しく、仕事社会に向かうのに
そこでも完全燃焼できない不条理さがある、
その上、家庭も安住の地にはなりそうにないとなると・・・

11番のキーワードは、「自分を無、虚にすること」です。
ある種の悟りが必要なんですよね。

虚心を持って有(財または名誉)をつかむ人。
これを会得すれば怖いものなし。
すばらしき人生が待ち構えています。

6月8日(月)

「木性陰+亥」が12番です。

前回、11番の説明で、
11,12番の「戌亥」は1-10グループのあまりの12支の上に
11−20グループの始まりの10干が乗ったものといいました。

そのために、11,12の戌亥は虚の時間枠になります。
占いでいう「時間」とは日常の時間をイメージしないで下さい。
これは、存在を有らしめているフレームというような意味です。

日番号の12支は自分(日干)の下にあるので「座」と呼ばれています。
座布団とかいう座ですね。
自分を支える大事な部分で、
家庭とか物事の結果などを意味する場所です。

その「座」の12支が虚の構造になっているのが11番、12番。
このふたつの番号は日座中殺と呼ばれています。

自分を支える場所が天中殺状態にある。

しっかりとした座下(家庭、結果)をつくれない可能性があります。

占いでは、ひとつの答えにとらわれずに
いくつかの方向からみることが大事です。
*しっかりとした家庭が作れない
↓家庭を作らなくてもいい
↓作るなら変則的な家庭をつくる
*変則家庭でもやっていける

家庭の2要素は生活環境と家族環境です。
このふたつのどちらかが変則になる可能性があるのが日座中殺です。

結婚して家庭をもつときの生活環境が変則とは何か。
一番解りやすいのが、外国で家庭をもつことです。
占いでは外国は異常な環境と定義されているので
11番12番は国際結婚に向いています。
また、日本人同士でも海外で結婚生活を送れば、
普通の家庭を築くことができます。

養子を迎えるとか
年の差が大きく離れているとか
女性が年上とか(占いではこれも変則に入ります)
こうした結婚に向くのが日座中殺者です。

また、変則でない結婚生活環境とは
親子が仲良く同居することでしょう。

ですから、変則生活環境として、親子がばらばらで暮らしたり
長い単身赴任や別居生活や子供は祖父母が育てるなどなど
通常では問題がありそうなケースが、逆にうまくいくことになります。

家族環境の場合
通常は父・母・子供 が家族の単位です。
このうちの、どれかひとつを変則にすることで、成立します。

わかりやすいのが、子供のいない夫婦。
これは変則家庭に入ります。
あるいは、夫婦が何らかの理由で離別して、父子、母子になるケース。
こうした状況であっても、問題なくやっていける
運勢的にはむしろそのほうが望ましいという特殊性があります。

夫婦がばらばらで、子供はどちらかの親につくような形や
夫婦は仲良しで、
子供が海外留学や家庭にいつかない状況になるようなケースも
日座天中殺(11番12番)にとっては、悪くない環境といえます。

もうひとつ、座下には「結果」という意味もありました。
結果が天中殺状態になる、とはどういうことか?

座とはフレームです。そこが天中殺状態(虚)になる。
例えば、底のない箱をイメージしてください。
結果の場所には、通常、自分が行った行動や創りあげてきたものが蓄積されます。

その蓄積される箱の底が抜けているのですから
明確な過去をもてない。
明確な実績の蓄積をできない。
やったことにこだわれない。
やったことを頼れない。

などなどの現象を生まれ持つことになります。
はなはだ生き難い人生が想定されますよね。

過去ややったことにこだわらないことが一番です。
それと、実績が問題になるようなサラリーマンにはならないことも方法でしょう。
そのために、この生まれの人は一芸、一学に秀でた人が多いです。

結果というのは、まとめでもあります。
まとめることもあまり得意ではありません。

そのかわり、何かを始めることは得意です。
企画、計画、実行、なんでもやってみる実践力
イデアもいっぱいに、
さまざまな分野でスタートリーダーとして活躍します。

持続力は若干問題はありますが、
こと始のリーダーシップは見事なものがあります。

ただし、なぜかまとめがうまくいかない・・・

まとめることは他者に任せて、スタート時に力を発揮する。
こうした特徴を活かす生き方が日座には必要なのです。


さて、12番。12支は最後の「亥」です。
亥をもつ番号は、12、24、36、48、60
12、24、36、48は異常干支(才能干支)と呼ばれるもの。
どこが異常かというと、これらの番号は霊感のある番号です。

亥は霊的な12支といってもいいでしょう。
亥がある番号だからすぐに霊感というものでもないのですが
何かのきっかけで、霊性に目覚めたり、霊的体験をしやすい番号です。

イノシシのイメージ通りに、一徹なところがあります。
猪突猛進するか、頑固に守るか。
純粋なんですよね。そのために思い込みも激しい。
目標に向かって猪突するかと思えば、
急に方向を変える気分屋のところもあります。
気持ちが定まり難く、ゆらゆらするのも特徴です。

目標が大事ですね。
それに向かっていくパワーが最大なので
常に目標が生きる上での前提です。

理性で感情をいかに統御するかも課題でしょう。
融通が利かない。
思い込みが活動源になるので
感情が走るとあちこちで問題を起こすでしょう。

木に激突するイノシシっていますよね。
常に、そうなる危険性をもっています。
好き嫌いもはっきりしていて、それが表にもでるので
人間関係も自分を好む人避ける人がはっきりとしそうです。

思い込みは諸刃の剣。
大きな成功も収めるし、人とぶつかることもある。

才能を持った人が多く、一芸に猪突すると
霊感も味方して
専門分野で開花することも可能です。

寛大さと客観性を身に付けることが課題になるでしょう。

その「亥」に木性の陰が乗ったのが12番です。
亥の中には、木性陽と水性陽のふたつの陽干があります。

木性陰(自分)からみると
木性陽は兄弟・仲間であり
水性陽は母親です。

12番はまず生家の人間関係に大きな影響を受けます。
母と兄弟との関係によって、
自分の人生が左右されることがあります。

特に母親の存在は大事です。
配偶者よりも、自分を支えてくれる存在であり、
また、自分が母を支えるようなこともあるでしょう。

兄弟姉妹との関係は、微妙なものがありますが
縁はあるほうです。
身内で何かやってもうまくいく可能性があります。

また、このふたつの気は知性と仲間を意味するので
理知的な人が多く、周りと争わずに仲良くやろうという意識が強いでしょう。

霊感のある知性なので、相当の才能を発揮できます。
頭の回転は早く、切れ味もあります。
予知能力的先見性ももっています。

「亥」の説明にあった猪突性は12番では内向して
守りと地味な忍耐力に変質するでしょう。
それでも、怒ると怖い、ことは特徴のひとつあげられます。
長期的な戦いでも、ひるむことなく向かっていく激しさは潜在します。

日座であげた傾向は当然持っていて
親子三位一体にはこだわらないほうがいいでしょう。

運勢の波はかなり荒い。
大波小波が押し寄せてきますが
キモは座っているので、なんとか乗り越えていく。
波乱万丈型の人生になる人が多い。

エネルギー数2点に座するものとしては
かなり強いほうだと思います。
とはいえ、霊感も発達しているので、どこか持病をもったり
精神面でのもろさはあります。

若い時は、生家環境の影響があるので
晩年に強い番号。中年以降でも本領発揮が可能です。

http://web.archive.org/web/20100510073553/http://park3.wakwak.com/~seiryu/kimagure0906.htm

不正会計と経営者責任―粉飾決算に追いこまれる経営者―

不正会計と経営者責任 ‐粉飾決算に追いこまれる経営者‐ (創成社新書56)

不正会計と経営者責任 ‐粉飾決算に追いこまれる経営者‐ (創成社新書56)

出版社サイトの紹介文には「不正に走らないための経営哲学と,職業倫理観の必要性を説いた。」とあります。当初,本書を手に取ったときは,東芝の不正(不適切)会計について分析しているのかな?という印象を受けたので,読みはじめのしばらくは,自分がどこに連れて行かれようとしているのか見えなくて,ちょっと苦しかったのですが,途中からああこれは企業が正直に会計処理をやり財務情報を出すことの大事さと,その企業会計をチェックする公認会計士の職業倫理のあり方について論じておられるのだな,と感知した時点で面白くなりました。

p.1
「善」と「悪」,その違いは「心の強さと弱さ」にある。世の中から「不正」と「犯罪」はなくならない。どのような不正防止策を構築したとしても「ヒトの悪の心(弱さ)」を封じこめることはできないからである。そして故意・作為による不正行為は後を絶たない。

p.155
「信頼できる財務情報」なくして適切な企業運営はできない。会計がすべてではないとしても,適切な財務情報を基として初めて「適切な経営判断」ができるのである。不正会計の蔓延はひと(企業の関係者全般)の心情から「善(良心)の心」を蝕んでいき,「悪(非改革)の心に対する免疫」を少しずつ減退させていき,最終的には麻痺させてしまう。会計の歴史を顧みれば「不正会計の世界は一種の麻薬の世界」である。一歩足を踏み入れると生半可なことでは厚生(更正)できない世界である。

問題とすべきことは「公認会計士の職業専門家の専門性(職人的技能,感覚)の埋没化(没個性化)を結果し,異常性取引,非経常的取引への研ぎ澄まされた察知感覚の喪失を生んでいる。」という事実にある。監査手続のマニュアル化は「監査手続の標準化」を促進し,効率的監査の実施を促し,一定レベルの「監査の品質の確保」を維持することができるとしても,それ以上の監査技能の向上を抑止してしまう危険性がある。それを十分に理解した上で,利用すべきである。

本書で引用されている,著者先生の過去の著作も手にとってみたくなりました。
ベテラン会計士の自論はいかなるものかと。

密着 最高裁のしごと――野暮で真摯な事件簿

密着 最高裁のしごと――野暮で真摯な事件簿 (岩波新書)

密着 最高裁のしごと――野暮で真摯な事件簿 (岩波新書)

新着図書の棚で目について読んでみました。
著者は,最高裁に”密着”して取材する新聞記者で,文体も軽妙なのでスラスラスラスラとしかも面白く読めてしまいました。
素晴らしい,新書らしい本だと思います。

iv
最高裁って,下世話で知的で,ロジカルでウェット。
それが,司法のトップに密着した僕の結論です。
最高裁はエリート中のエリートたちが,むずかしい法律論を飛び交わせながら,ものすごく通俗的なトラブルの解決を導き出そうとしているところです。

v
でも,そうした最高裁の面白さが,世間にあんまり伝わってないんじゃないか。

著者は,”しくみ”がある程度分からないと対象の面白さは味わえない,として,最高裁の”しくみ”について,民法分野での親子関係不存在確認と夫婦別姓裁判員制度の下で行われたいくつかの裁判例を通じて,最高裁って,こんな仕事をしてるんだよ,と説いてくれます。
読みながら「へぇ~」ボタン連打だったのですが,特に印象に残ったのは,裁判員裁判では,裁判員にも量刑判断を求めるのは,なかなかの重荷なのでは的な記述でした。
確かに,アメリカでの陪審制は有罪・無罪の判断だけだし。
何で,日本の裁判員制度では有罪無罪の判断だけでなく量刑判断まで求めるようにしたんだろう,とその背景が知りたく思いました。

p.183
裁判員に選ばれた方たちが担う仕事は大きく2つ。まずひとつめは,被告が本当に有罪かどうかを見極めること(有罪無罪の判断),そしてもうひとつが量刑の判断です。

pp.183-184
ただ,このうちの前者,有罪無罪の判断については,比較的とっつきやすいでしょう。「法廷に立つ被告人が真犯人なのかどうか」は,ふつうの人でも意外に日常感覚に基づいて考えることができるからです。
被告の言動に信頼を置けるか。検察側が示す証拠が信用できるか。そうした問題は,シロかクロか,あるいは「疑わしきは罰せず」という無罪推定の原則から考えても,クロと言い切れるか……という話です。プロの裁判官でも,アマチュアの裁判員でも,最終的には心証(裁判で感じた印象や確信)が決め手となります。

p.184
手こずるのは後者,量刑の判断です。
罪の重さという,もともと定量的に測ることができないものを数値化する作業ですから,誰もが納得できるような公式があるわけではありません。それでもプロの裁判官には,過去の経験にもとづく量刑相場がありますが,市民から選ばれた裁判員には,そんな職人的な量刑相場観もありません。

まー心証形成についても,そんなに単純なものかな?とも思いますが,二者択一の問題だから,量の判断に比べればずっとましでしょうね。