工学部ヒラノ教授の中央大学奮戦記

工学部ヒラノ教授の中央大学奮戦記

工学部ヒラノ教授の中央大学奮戦記

2017年の出版です。タイトル通り、東工大を定年退職された後、中央大学に移られた頃のことを書かれています。
東工大のときと同じように、朝6時半に大学に出勤したら門が閉まっていて、開門は朝7時からというのに、ヒラノ教授びっくり。
大学敷地に入れるのが朝7時から夜11時までという、24時間オープンな国立大と違う私大のカルチャーに面食らうヒラノ教授がかわいいです。
当初は国立大と私大のカルチャーの違いに戸惑いながらも、それなりに、いやもしかすると今までの大学で一番居心地よく過ごされたのではないかと思われる述懐録でした。
中央大学でのエピソードでは「え、そこまで書いちゃっていいの??」と思うようなことまでぶっちゃけておられますが、決して中央大学をdisっておられるわけではなく、最後の職場としてかなり中央大学には愛着があり、中央大学にはもっと頑張ってもらいたいと後半は色々応援・提言されておられたのが印象的でした。

その心理臨床,大丈夫?―心理臨床実践のポイント

その心理臨床、大丈夫? 心理臨床実践のポイント

その心理臨床、大丈夫? 心理臨床実践のポイント

公認心理師」の法律が2017年に成立して,2018年9月9日に第1回国家試験が行われたわけですが,公認心理師は医療や地域福祉等の各分野において,他職種や諸組織等との「連携」が必須であると強く強く強調されています。
そのようなことを念頭に,出版された本だと拝見しました。
前半は臨床経験の浅い心理士による事例の提示と,紙上スーパービジョン,後半は心理療法の効果に関する研究レビューと,複数のアプローチを取り上げながら,心理臨床にありがちな「落とし穴」について横断的に解説されています。
若くて経験の浅い心理士だったら(あるいは過去に),心当たりがありすぎて「あちゃー」と冷や汗な内容がふんだんに含まれている印象でした。

天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある

少し前,『東大首席・ハーバード卒NY州弁護士が実践! 誰でもできる〈完全独学〉勉強術』を読みました。
lionus.hatenablog.jp
同じ著者の他の本も少し読んでみたくなり,ご本人の最初の本らしい,本書も読んでみました。
内容がほとんど自分エピソードから構成されているのは『東大首席・・・』と同様でしたが,『東大首席』の方は7回読みメソッドが具体的に示されているのに対し,本書の方は努力をし続けるために行っている工夫集とその工夫の背後にある気持ちが,結構な熱量で書かれていました。”処女作”っぽい内容でした。
以下,本書の目次を示します。

まえがき

  • 第1章 正しい努力のための方法論

方法1 なぜ人は努力することができないのか?
方法2 不得意分野の努力はやめるべき
方法3 たった4分野の評価をすればいい
方法4 それでも苦手なことが歩み寄ってきたときは
方法5 大人になってから活きてくる「ガリ勉」
方法6 東大入試トップ成績と東大首席卒業の違い
方法7 「ミス・パーフェクト」の悲劇
方法8 まず「天才」じゃない自分に気付くこと
方法9 努力でつかんだものだけが心底誇らしいものに

  • 第2章 努力を始めるための方法論

方法10 謙虚になるということは
方法11 教本は1冊にこだわる
方法12 基本所のネット注文はNG
方法13 わからない単語も辞書を引かない
方法14 読書に手間と時間をかけないこと
方法15 毎日に小テストを仕掛けよう
方法16 ひとつの大きな成功より、たくさんの小さな成功を
方法17 努力の「8対2の法則」とは?
方法18 デスクトップは×、パスワードは〇
方法19 朝食は早めに、昼食は遅めに
方法20 朝ごはんと朝シャワー、優先すべきはどらか?

  • 第3章 努力を続けるための方法論

方法21 谷選手とお蝶夫人の名言
方法22 なぜ人は一生懸命選んだ手帳を1ヵ月で使わなくなるのか
方法23 決めたルールを守るには
方法24 努力はまわりに見せること!
方法25 お料理教室よりゴルフが正解
方法26 「自分との戦い」に持って行かない
方法27 ハードルは「質」より「量」
方法28 努力の世界も「二兎を追う者は一兎をも得ず」

  • 第4章 努力を完遂するための方法論

方法29 とりあえず早起きしてみる
方法30 「勝負スポット」を複数作る
方法31 酷使した器官を変えてみる
方法32 道具は「ひとつ」にこだわること
方法33 数字を正当に”偽造”する
方法34 ルールに「抜け道」を作る
方法35 毎晩1分間、同じことをやる
方法36 努力した自分自身を否定してはいけない
方法37 挑戦することから逃げないこと
あとがき

天才 (幻冬舎文庫)

天才 (幻冬舎文庫)

先日『同心円でいこう 田中角栄』(ミネルヴァ日本評伝選)を読みましたが、その記事をきっかけに、友人が石原慎太郎著『天才』を読んだと話してくれたので、こちらも読んでみました。
何の予備知識なく読み始めたので、これ何?と当初面喰いましたが、一人称小説なんですね。

  • 「長い後書き」より:

pp.106-108
彼が証した最も大切な基本的なことは、政治の主体者が保有する権限なるものの正当な行使がいかに重要かつ効果的かということだった。彼は政治家として保有した権限を百パーセント活用して世の中を切り開いた。
特に通産大臣として彼が行った種々の日米交渉が証すものは、彼はよい意味でのナショナリスト、つまり愛国者だったということだ。彼は雪に埋もれる裏日本の復権を目指したように、故郷への愛着と同じようにこの国にも愛着していたということだ。
アメリカのメジャーに依らぬ資源外交の展開もその典型だと思う。
そしてそれ故にアメリカの逆鱗に触れ、アメリカは策を講じたロッキード事件によって彼を葬ったのだった。私は国会議員の中で唯一人外国人記者クラブのメンバーだったが、あの事件の頃、今ではほとんど姿を消してしまった知己の、古参のアメリカ人記者が、アメリカの刑法では許される免責証言なるものがこの日本でも適用され、それへの反対尋問が許されずに終わった裁判の実態に彼等のすべてが驚き、この国の司法の在り方に疑義を示していたのを覚えている。そして当時の私もまた彼に対するアメリカの策略に洗脳された一人だったことを痛感している。
彼のような天才が政治家として復権し、未だに生きていたならと思うことが多々ある。

先日読んだ『同心円・・・』ではアメリカの”虎の尾”を踏んで陥れられた論は否定されていましたが、石原慎太郎氏はこの論に基づいて、惜しい政治家を早くに失ってしまったと惜別しています。

同心円でいこう 田中角栄(ミネルヴァ日本評伝選)

植木等 だまって俺について来い 歌詞

ぜにのないやつぁ
俺んとこへこい

http://j-lyric.net/artist/a000d73/l01db94.html

この曲を思い出しました。
まあ,植木等は続けて「俺もないけど 心配するな」と歌っているのに対し,田中角栄は「俺がやるから 心配するな」となるのでしょうが(笑)。
田中角栄こそ,まさに昭和の高度経済成長期とともに権力の階段を登りつめ,それを体現したひとりの男であったと認識した一冊でした。
最近の「田中角栄ブーム」本は読んでいませんので,それらの本で彼がどのように描かれているのか知りませんが,本書はポジティブネガティブ両面から田中角栄という政治家を丁寧に要約していると拝見しました。
私は田中角栄の”全盛期”は知らず,記憶のかなたにあるのは脳梗塞で倒れた後くらいでしたので,「コンピューター付きブルドーザー」と言われたのもなるほどと思える,驚異的な頭のキレと実行力のある政治家だったのだな~と実感できました。
本書の前半は立身出世伝と頂点に立ってからの転落,そして病に倒れた後の無念と,かなりのエンターテイメントな内容ですが,後半は,著者の考察がゴリゴリ効いていて,前半も後半も読みごたえがあります。
後半の著者考察で印象深かったものをいくつか:

  • 金で”忠誠”を買う?

p.227
角栄にとって,金を受け取った側が恩義を感じてくれなければ,無駄なのである。相手のプライドを考え,負担にならないように渡すのは,相手が確実に恩義を感じるようにするためである。プライドを傷つけると,ありがたさよりも恨みが残る。だから相手に金を「受け取っていただく」。しかも貸した金を返せとはいわない。金は経済的手段ではなく,自分の気持ち(情)を伝える手段なのである。だから見込んだ人物には,頼まれなくとも渡す。
(中略)
p228
金はいくらあっても邪魔になるものではないから,ほとんどの者は受け取る。受け取れば,角栄の気持ちを受けとったことになる。金は返さなくともいいが,恩は返さなければならない。一方的な金銭の贈与が繰り返されれば,恩返しは,忠誠となる。恒常的に金を受け取るものは角栄の家来になる。必要に応じて受け取る者は,角栄シンパとして広大な中間地帯を形成することになる。
このように田中は,皮肉にも貨幣を使って前近代的な人間関係を作り上げたのである。なぜ皮肉かといえば,もともと貨幣経済の浸透を通じて人々は前近代的な身分・地位関係から解放され,近代的な自由にして対等な市民になるといわれるのだが,田中は,貨幣が近代社会であらゆる価値と交換できるオールマイティになったことを利用して,前近代的な忠義関係を築き上げたからである。封建時代において領主は家臣に封土を与え,忠誠を得たが,田中角栄は金銭を与え,忠誠を獲得した。

  • タイトルにもある「同心円」とは

p.246
田中政治が包摂の政治であったといっても,田中に権力欲がなかったということではない。田中に強い権力への意志があったことは言を俟たない。しかし田中の考える権力とは,敵を抹殺する力ではない。田中登が,創政会立ち上げの際に田中邸に挨拶に訪れたところ,田中は「同心円でいこう」と語りかけたといわれるが,同心円こそが田中の考える政治のイメージであり,そして権力とは円の中心から放射され,円を形作るものであった。
(中略)
p.247 円としての権力は,このような境界を設定する主権ではない。むしろ,どこまでも包み込もうとする力である。権力の限界は,光源の力がそれ以上及ばないというだけのことであって,そこに排除の意図は込められていない。光源が強くなれば,それに伴い外縁も広がり,より多くを包摂する。

「同心円」の中心を「光源」と表現しているのは,なかなか巧み。

  • パターナル・デモクラシー

p.253
自由民主主義では,選挙で選ばれた代表が政治的決定を行うが,市民は決定する権利を放棄したわけではない。もし自らのプロパティ(生命・財産・権利)が代表たちの政治的決定によって侵害されたならば,市民はそれに抵抗する権利を持つ。つまり自由民主主義においては,市民は通常政治的決定を代表に委ねるが,いざとなれば抵抗し,決定権を自らに奪還する権利を留保している。したがって市民と代表の間には潜在的な緊張関係が存在する。このような緊張関係から生まれる制約こそが,代表による決定を民意を考慮した民主的なものにする。選挙だけでなく,政治の決定においても,有権者は影響力を行使することができる。
これに対して,田中の考える庶民は,自由な個人というよりは家父長によって庇護される存在である。田中の選挙民主主義は,自由主義というよりは家父長主義(パターナリズム)に基盤を置く。

しかし本書では,上記に続いて「しかし今日自由主義的といわれる国々の政治をみれば,パターナリズムの存在しない国はな」く,それは西欧では「大きな福祉国家」として実現されている,的な記述が続くのですが,なかなか面白かったです。

p.255
田中政治は,リベラル・デモクラシー(自由民主主義)というよりは,パターナル・デモクラシー(家父長的民主主義)と呼ぶのがふさわしい。

  • ポスト田中政治の行方

p..261
もちろん角栄の時代のように,情を金で表す政治はもはや通用しない。しかし手段は違っても,情を重んじる田中政治が,この国ではなお多くの人々の共感を得,愛されている。世にいう田中角栄ブームは,田中の情の政治に対する人々の郷愁に深く根ざしているとはいえまいか。
だが個人の自由を軽視して安心と安全ばかりを求めれば,そこに生まれるのは完全な監視・管理社会であり,民主主義そのものが破壊されてしまう。それが田中の望んだ社会であるとは到底思えない。過度なパターナリズムを抑制し,民主主義を擁護するためには,庶民を権利主体である市民へと彫琢し,彼らの活動=生活を充実させる支店,言い換えれば,個人の自由と自立の可能性を花開かせるような方向へと同心円の政治を発展させる必要がある。これこそがポスト田中政治には望まれるのである。田中政治の遺産を過去から現在,そして未来へと引き継ぐ一筋の道であろう。

満足に食えなきゃそもそも「権利主体である市民へと彫琢」されないし・・・
ああ。

東大首席・ハーバード卒NY州弁護士が実践! 誰でもできる〈完全独学〉勉強術

私は本を読むことは好きですが,試験勉強は大大大嫌いです。
特に,日本史など社会科の試験勉強は何をどうしたらいいのか分からないし,よって最も嫌いで,大学受験時の成績も芳しくありませんでした。
同様に,「○○検定」などのように,テキストがあって,それを覚えないといけないものも大の苦手で嫌いです。
しかし,今回ある試験を受けることになり,そのためには何冊もの本を勉強(暗記)しないといけないため,試験日が迫るもなかなか手がつけられず鬱々としていたところ,この本の著者山口さんの「7回読み勉強法」のweb記事を読み*1,ひたすら7回読めばそれなりに道が開けそうな気がして,web記事をさらっと読んだだけのうろ覚え実践したところ,案外実行できて拍子抜けしながらも,多分成果も上がった気がしています*2
いずれにしても,教科書を覚え込む勉強に対して抵抗感がかなりなくなったのは,自分にとっては大きな成果でした。
先日,偶然立ち寄った書店新刊コーナーで本書を見かけ,webで見たやつだ!ということで,まあ(自分にとって)新しい情報はあまりないかもしれないけれども,(web記事でお世話になったので)お布施する気持ちで購入しました。
改めて書籍で読むと,自伝的な部分も多く,大学受験の「合格体験記」みたいに,こういう人もいるのねと少し距離を置いて参考にするといいかもしれないな,とも思いましたが,なぜ自分がこの人の勉強法にピンときたのかが,実感できるような記述(追加情報)もあったので,読んでよかったと思います。

★なぜこの人の勉強法にピンときたのか?

  • 教科書を繰り返し読んで,どこにどんなことが書いてあるかを叩き込む=視覚的にインプットする方法→視覚優位な人?

私は明らかに視覚優位なので・・・カメラでカシャッと撮影したイメージを焼き付ける,というほどではないにしても,この人のやり方は視覚優位に向くやり方だと思います。

  • でも著者と私の得意な科目は真逆

p.134
私の大学入試センター試験での受験科目は,英語,国語,数学,社会(日本史・地理・倫理),理科(化学)。このうち英語と国語(現代文)の2科目は,7回読み勉強法でも成果に結びつきづらい科目でした。
(中略)
とくに現代文は,教科書をいくら読んでも試験対策になりにくい科目です。
(中略)
はじめて読む文章をベースに「傍線部分で筆者が伝えたいことはなにか」などと問われるのですから,事前の知識はまず役に立ちません。ある意味,現代文は当意即妙の現場判断の要素が大きい科目なのです。ちなみに同じ国語でも古文と漢文は,やったぶんだけ成果に結びつく,私の得意科目でした。

私は国語の現代文,英語が得意でしたが,同じ国語でも古文漢文がイマイチでした。そりゃそうだよね,暗記が大嫌いだからね。古文漢文は単語とか固有のルールを覚えないといけませんものね。
反対に,著者が苦手とする「当意即妙の現場判断の要素が大きい」ものが私は得意なようです。
少し別な表現をすれば,曖昧混沌とした材料から,何か帰納的に引っ張り出すみたいなものが,自分の得意とするところのように思っています。それに加えて,昔の代ゼミグリーンコースの授業で,出口先生の現代文解読方法の流れをくむ?っぽい加藤公堂先生に教わって,文章の構造を把握し,論理的に解答を導き出すノウハウを習得できたのも大きいと思っています。このノウハウは英語長文にも応用できるので,英語も得意科目になりました。
しかし暗記科目の攻略方法は習得できないまま過ごしてしまったので,自分と同じ視覚優位人間だけど暗記科目得意人間のノウハウということで,非常にハマったのだと思います。

  • ノートは一切まとめない

先日受けた試験前になると,SNSにはあちこちの受験生がまとめた「レジュメ」や「手書きノート」「手書き図」みたいなものが飛び交いましたが,私はそういうことは一切しませんでした,というかする気になりませんでした。
だって面倒くさいもの。

p.45
きれいにノートをまとめるという行為は,きれいにまとめることで満足してしまう危険性があります。ですから,私は受験勉強に関してきれいにノートをまとめたことは,一度もありません。

だよね~
こういうノリが,web記事だけでもピンときた要因のひとつかなと思いました。

  • 過去問と模試で「己と敵の差を知る」

自分が先日受けた試験は,過去問がなかったので過去問を頼りにできず,それが最大の悩み要因だったのですが,過去問がある試験の場合はホント過去問大事です。
私の場合ですが,大学受験だけでなく,各種検定試験は,過去問だけで乗り切ってきたと言っても過言ではありません。
過去の参考記事
教科書読みと並行して過去問解いて,合格地点と現在の自分との差を把握するの大事と考える点で,著者に共感できます。

以上,長々と書きましたが,自分に似ている点と全く異なる点がうまい具合にかぽっとハマったので,この人の考えに出会って本当によかったと思っています。

*1:どこの記事だったかは忘れました(^^;)

*2:「気がする」というのは,まだ当該試験の結果が出ていないから。まあ一定以上の手応えはあるのですが・・・

工学部ヒラノ教授の研究所わたりある記

工学部ヒラノ教授の研究所わたりある記

工学部ヒラノ教授の研究所わたりある記

Amaon掲載の紹介文:

Amazon掲載の紹介文
ここは、工学部よりも、もっとすごい秘境――その名は「研究所」!
1965年4月1日、原子力のゲの字も知らないヒラノ青年は、なぜか原子力発電研究室に配属されてしまう。 そして、そこから彼のキャリアが始まった―― 楽園の電力中央研究所、地獄のウィスコンシン大学、天国の国際応用システム研究所、煉獄の筑波大学…… ユニークな先輩たち、死に物狂いの論文との格闘。西へ東へ、電力の黄金時代から震災後の失墜まで、 時代と空間を駆けめぐるシリーズ最新作。

久しぶりにヒラノ教授シリーズを読みました。
新刊が出るのが生存確認のようで,もう,出てくれるだけで有難い気分になっております。
しかし,内容は相変わらず面白くしんみりします。

「禍福はあざなえる縄のごとし」といいますが,どこに就職するか
誰と結婚するかなど,人生における諸決断は,後で振り返ると「たられば」だらけであることが常ではないでしょうか。
本書を読むと,ヒラノ教授の「たられば」を言っても仕方がないのだけれど,あのときフライングしなければな~とか,深いため息が聞こえてきそうな気がしました。
しかし,電力中研時代に他の方が断念したおかげで回ってきたアメリカ留学と,驚異の奮闘と踏ん張りでスタンフォードPh.D.をお取りになられたことは,綱渡りの決断の連鎖の最良の結果として,その後のヒラノ教授の人生を支えたと拝見しました。