広島平和記念資料館は問いかける

2013年4月から、2019年3月まで広島平和記念資料館の館長をなさっていた方が、広島平和記念資料館のあゆみとその位置づけについて、記録的にまとめられた本です。
多数の資料をもとに、歴史的経緯についてまとめてあるのも大きな意義がありますが、ご自身の見解・思いも交えながら書かれているのが素晴らしく、非常な力作であると拝見しました。

広島平和記念資料館は今まで三度、大規模なリニューアルを行ってきたそうで、私も2019年9月に、三度目のリニューアル直後に見学に行きました。
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その際、大きくは2つ印象的だったことがあって、ひとつは、デジタルでマルチメディアな展示が充実していること、もうひとつは

以前あった原爆投下直後のリアルサイズジオラマ(?)と被爆した人を模した”被爆人形”的な展示に代わり,被害者の遺品と遺影,その人のプロフィールを主体とした展示になったそうです。
以前見学したのはもう記憶にないくらい昔なので,以前と何が違うのかはっきり分かりませんが,今回見学したものは,等身大の被爆者が伝わってくるような,恐怖よりも悲しみに訴えてくるような,被爆者への共感を重視したような内容と拝見しました。

と、当時書いたように、「被爆者への共感を重視したような内容」であったことです。
本書を読んで、この2つ目の点について、やはり展示する側も強く意図していたこと、そしてその背景についてよく理解できたような気がします。

少々長くなりますが、本書からの抜き書きを貼り付けて終わります。

pp.209-209
 そういえば、館長就任後間もなくして、ある古参職員から聞かされた言葉を思い出します。
 「資料館は、博物館ではない。博物館であってはいけない。そう言われたことがある」
 その時はあまり気に留めなかったのですが、右の展示に関する評価などを聞くと、通常の博物館、事実に即して学術研究の成果を淡々と展示している博物館、あるいわ貴重な美術品や考古資料を、恭しく、丁寧に来館者の観覧に提供している博物館とは、いささか趣の異なった期待を持たれていることは間違いないようです。
 その端的な例が、すでに何度か触れてきた「蝋人形」*1なのでしょうか。
 「とにかく原爆が広島にもたらした悲惨な、凄惨な光景をひと目で分かるように展示せよ」
 これが、「蝋人形」制作の直接的動機なのでしょう。
 また、長年その「蝋人形」が館内に展示され続けてきたことも、来館者のそのような期待にある意味応えていたと言えるのかもしれません。確かに、「被爆の実相」を、「ヒロシマの惨禍」を、お伝えするのが資料館設置の目的なのですから、そうした期待に応える義務もあるのかもしれません。
 他方、いわゆる博物館のように「お宝」を陳列して来館者に見ていただくだけではなく、「核兵器廃絶のメッセージを発信し続けるべし」といった期待も感じてしまうことがありました。

pp.209-210
 おそらく以上の二つの期待が、資料館に対して「博物館であってはいけない、あるべきではない」と迫っているのでしょう。ある意味では、至極もっともな期待かもしれません。

pp.231-232
 第三次大規模展示更新は、「その日」を前に、来館者に「一人ひとりの死者との対話」の場を用意し、死者の無念に耳を傾ける機会を設けたと言っては、不遜だと言われるでしょうか。
 つまるところ、資料館は「博物館」であるかどうか以前に、「ヒロシマの死者を記憶するための施設」であるのかも知れません。いや、既に、ある人にとっては、そうだったのではないでしょうか。館長を退いた後、様々な議論を振り返ってそう思わざるを得ないのです。
 死者の無念を語る人たち亡き後、資料館は、収集・保存、展示、調査・研究という「博物館」の機能を発揮しながら、「もの」をして語らしめ、そして、その「もの」とともに記録された死者の記憶を伝え続け、「死者との対話」を、「死者の無念」を聞くことを、可能にする場を提供し続ける。
 迫りつつある被爆者不在のヒロシマを前に、今改めて資料館の使命を確認し続ける必要があるのではないでしょうか。

*1:蝋人形=以前展示されていた投下直後の被害者を模した人形。例えば:https://mainichi.jp/articles/20170421/k00/00m/040/150000c