ベストをつくす教育実習 -- 強みを活かし実力を伸ばす

ベストをつくす教育実習 -- 強みを活かし実力を伸ばす

ベストをつくす教育実習 -- 強みを活かし実力を伸ばす

編者の先生で,知っている先生がひとりおられたので目についたのですが,えっ,この先生が「教育実習」についてのノウハウ本?と,何だか気になって読んでみました。
大昔出身高校に教育実習に行かせていただいた身からは,あるあるあるあると思うところ多々あり。タイトル通り「教育実習」に行く予定の大学生のための指南書でした。
特に,早いうちから体験実習?などで現場に出る機会がある教員養成系大学生ではない,教職をとっているけれどもの一般大学生・・・教育実習に行く前のこまごました実践的なトレーニングが少ない層に向けた内容でした。
本書のサブタイトルは「強みを活かし実力を伸ばす」ですが,裏サブタイトルとして「”実習公害”と言われないために」があったりして・・・とも感じたり(^^;)そういう内容も含まれています。
現在の自分には教育実習そのものは直接関係ないのですが,以下2点が印象に残りました。

  • 大学における教員養成と開放制―一般大学・学部における教職課程の意味とは?

p.5
日本では,教員養成系大学・学部だけでなく,一般大学・学部でも教員免許状を取得できます。教員を養成するという機能が,すべての大学(短期大学を含む)に開かれています。しかし,たとえば医師になるためには医学部入学が前提ですし,薬剤師も薬学部入学が前提です。つまり,閉鎖性をとっているわけです

同じ「免許制」でも,人材養成の「開放制」と「閉鎖性」の違いがある。
「開放制」をとっている理由として,2006年の中央教育審議会答申「今後の教員養成・免許制度の在り方について」を引用しながら:

p.5 最も重要なことは,「多様な人材を広く教育界に求めること」
p.6 教師集団が多様であることの重要性を意味しています。
p.6 教師が多様であるからこそ,子供の多様性が学校の中で尊重されるわけです。
p.6 もちろん,上述した相当免許状主義と相まって,一定の共通する能力を保持することは必要不可欠です。「一定の共通する能力」は,大学の教職課程での学びを通じて保障されます。

  • 教育者の意図のとおりに学んでくれるとは限らない

p.155
教育社会学者の広田照幸は,教育を「誰かが意図的に,他者の学習を組織化しようとすることである」と定義しています(広田2009,p.9)。教育という社会的行為は,教育する者とは別の人格や背景をもった他人に対して介入する,本質的におせっかいな行為だというのです。このように考えると,教育される他者は教育者の意図のとおりに学んでくれるとは限らない,というリスクが生じることになります。広田はそのリスクのパターンを3つ,紹介しています。

p.155
第1のリスクは,教育を受ける側が,教育に対して,常にやりすごしたり離脱したりする自由をもっているということです。

マイクロな例では, 授業中にぼーっとよそ見をしたり,別なことを考えていたり。

p.155 第2のリスクは,教育を受ける側が,教育する側が意図したものとはまったく異なるものを学んでしまうということです。
p.156 教育をする側の意図とは別に,生徒が”勝手に”学んでしまうことがあります。

(本書で挙げられていた具体例・あるあるw)
世界史で漫画「ワンピース」を導入に使ったら,「ワンピース」しばりの範囲ばかりに興味がいってしまった
話の導入として自分の体験談をしたら,先生の自慢ばかりで意味がわからなかったといわれたり
生徒にかけた何気ない一言が,頑張るきっかけになった,らしい??

p.156 第3のリスクは,教育の働きかけは相手によって,まったく異なる結果が生じるということです。
p.156 教育は,ある方法が絶対的に正しい,絶対的に悪いということはありません。ある人には効果的だった方法が,別の人には効果がない場合もあるし,ある教師の優れた実践が,他の教師でも同じ効果を持つとは限りません。

p.156
このように,教育は他者に対する行為であるために,その行為の結末は予見できない「賭け」だということができます。教育はその「結果」ではなく,「目的(意図)」によって教育であるとみなされるのです。どんなに優秀な教師でも失敗しますが,だからといって試行をやめることはしません。さまざまな知識や技術,テクノロジーについて学習し,それらを用いて成功率を高めるためにトライをし続けているのです。

太字重要。