新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

雑誌連載をまとめたもので,生命学エッセイという感じの内容です。
非常に刺激的でした。

  • なぜ,学ぶことが必要なのか

p.62
「私たちを既定する生物学的制約から自由になるために,私たちは学ぶのだ」と。

p.62
私たちが今,この目で見ている世界はありのままの自然ではなく,加工されデフォルメされているものなのだ。デフォルメしているのは脳の特殊な操作である。

例えば,錯視など。

p.64
つまり私たちは,直観が導きやすい誤謬を見直すために,あるいは直観が把握しづらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ,勉強を続けるべきなのである。それが私たちを自由にするのだ。

あまりにもすっきりしすぎている言葉だけれど,高校生に向けた言葉とすれば,素敵です。

  • 第2章 汝とは「汝の食べた物」である―「消化」とは情報の解体 生命活動とはアミノ酸の並べ替え

コラーゲンたっぷりの食品を食べても,体内で消化されてバラバラのアミノ酸になって吸収される,つまり,摂ったコラーゲンがそのままお肌ぷりぷりの材料になるわけじゃないよ~ん,という身も蓋もない話には苦笑い。

p.80
合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ということであり,生命とはそのバランスの上に成り立つ「効果」であるからだ。

  • 全体は部分の総和ではない

p.147
生命現象のすべてはエネルギーと情報が織りなすその「効果」のほうにある。つまり,このようにたとえることができる。テレビを分解してどれほど精密に調べても,テレビのことを真に理解したことにはならない。なぜなら,テレビの本質はそこに出現する効果,つまり電気エネルギーと番組という情報が織りなすものだからである。
そして,その効果が現われるために「時間」が必要なのである。より正確に言えばタイミングが。あるタイミングには,この部品とあの部品が出現し,エネルギーと情報が交換されて,ある効果が生み出される。その効果の上に次のステージが準備される。

p.147
このような不可逆的な時間の折りたたみの中に生命は成立する。

p.148
近代の生命学が陥ってしまった罠は,一つの部品に一つの機能があるという幻想だった。部品は多数タイミングよく集まって初めて一つの機能を発揮する。

p.261
私たちの身体は分子的な実体としては,数ヵ月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて,いっとき,淀みとしての私たちを作り出し,次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。

p.261
つまり,そこにあるのは,流れそのものでしかない。その流れの中で,私たちの身体は変わりつつ,かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。シェーンハイマーは,この生命の特異的なありようをダイナミック・ステイト(動的な状態)と呼んだ。私はこの概念をさらに拡張し,生命の均衡の重要性をより強調するため「動的平衡」と訳したい。

pp.262-263
サスティナブルは,動きながら常に分解と再生を繰り返し,自分を作り替えている。それゆえに環境の変化に適応でき,また自分の傷を癒やすことができる。
このように考えると,サスティナブルであることとは,何かを物質的・制度的に保存したり,死守したりすることではないのがおのずと知れる。
サスティナブルなものは,一見,不変のように見えて,実は常に動きながら平衡を保ち,かつわずかながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を,ずっと後になって「進化」と呼べることに,私たちは気づくのだ。

  • 作ることより壊すこと

p.297
生命にとって重要なのは,作ることよりも,壊すことである。細胞はどんな環境でも,いかなる状況でも,壊すことをやめない。むしろ進んで,エネルギーを使って,積極的に,先回りして,細胞内の構造物をどんどん壊している。なぜか。生命の動的平衡を維持するためである。
秩序あるものは必ず,秩序が乱れる方向に動く。宇宙の大原則,エントロピー増大の法則である。この世界において,最も秩序あるものは生命体だ。生命体にもエントロピー増大の法則が容赦なく襲いかかり,常に,酸化,変性,老廃物が発生する。これを絶え間なく排除しなければ,新しい秩序を作り出すことができない。そのために絶えず,自分を分解しつつ,同時に再構築するという危ういバランスと流れが必要なのだ。これが生きていること,つまり動的平衡である。

上記の「動的平衡」「サスティナブル」「作ることより壊すこと」を読んでいて,東海村臨界事故の犠牲者の方のことを想起しました。
d.hatena.ne.jp

放射線によって染色体が壊されてしまったため,全身の細胞を新たに作り出すことができなくなり,まずはじめに細胞分裂が盛んな腸粘膜,白血球などの再生が止まり身体がどんどん「壊れてゆく」過程と,その絶望的な行程の中で何とかして生命を繋ぎとめようとする必死の医療・看護の様子が描かれていました。

「細胞はどんな環境でも,いかなる状況でも,壊すことをやめない。」