埋もれた都の防災学―都市と地盤災害の2000年

京都大学学術出版会のサイトの紹介文より

半分だけ倒壊したコロッセオ大阪城の堀跡に生じた凹み,年々高さを増す天井川……。これらはいずれも,“やり過ぎてしまった”開発に対する自然からの反撃である。地下に埋もれた災害の痕跡は,人々がその地で自然と対峙してきた歴史を伝え,現代に続く災害リスクを教えてくれる。私達の暮らす町の下には,どのような歴史が眠っているのだろうか? 地盤災害と人間の関係を探る防災考古学への招待。

https://www.kyoto-up.or.jp/books/9784814000425.html

いや~面白かった!
まず,近畿,特に京都や滋賀に多く見られる「天井川」について,その形成と形成の背景にある当時の人的活動について読めたのがよかったです。

p.121
天井川は,砂礫の堆積により川床が周囲の平面地よりも高くなった(河床が上昇した)川である。通常の河川地形とは異なり,その形成には,人間が大きく絡んでいる。つまり,天井川は,半分自然,半分人工の地形であると言える。

NHKの「ブラタモリ」でも「天井川」についてちらほら出てきていましたが*1,「天井川」なるものがどうしてできて,さらにはそんな危険なもの(大雨や台風で川の水があふれたらエラいことになるじゃない!)がどうして長らくそのままにされてきたのか疑問でした。
本書を読んで,農民が耕作に励む→耕作用の牛馬の飼料や肥料にするために里山の草を刈る→はげ山傾向が強まり大雨の際など土砂流出増加→河床が上がるのでそれにあわせて堤防かさ上げ→天井川形成,だけど普段は天井川から周囲の田畑に容易に水をひけるのでメリットあり

pp.140-141
悪水・うち水による被害はあったにしろ,トータルとして見れば,農業生産性は向上したのである。すなわち,洪水・土砂災害は,受忍しなければならないコストのようなものだった。農業を基盤とした社会では,天井川の発達は,悪い面もあれば,良い面もあったのである。

ということで,まずまず納得できました。

さらに,最終章では「防災考古学」という言葉から連想する以上のことが提示されびっくりしました。
まず,わが国では江戸時代までは崖崩れや地すべりなどの斜面災害の記録が少ないが,これはどうしてか?ということについて,当時の土地制度が背景にあると指摘しています。

p.188
江戸時代まで,土地所有は公有が原則(厳密に言えば,全国の土地は将軍のもの)であって,私有財産権は制限されていた。

しかし例外はあって,

pp.188-189
都市部,例えば江戸市中などでは,町政に参加するような有力町人達は,沽券と呼ばれる土地譲渡契約書をかわし,土地の権利(占有権)を売り買いすることができた。

けれども,自分が権利をもっているからといって,さらに細切れにして売り買いするなどはできなかったようです。

p.189
さらにもし,崖下の住宅で災害が起きれば,地主(有力町人)や藩(幕府)の役人の責任が問われた。行政の責任が今よりずっと重い時代であったので,最悪の場合は,職務怠慢のかどで死罪(切腹)になるかも知れない。すなわち,危ないところには住まない,住まわせないという合理的な都市作りが,制度的に可能だったのである。

ほうほう。

けれども,明治維新で江戸時代が終わると,土地の私有制が認められるようになり,土地は自由に売り買いできる”商品”となりました。
その結果,山を削ったり谷を埋めたりして住宅を建て売りするといったことが,あちこちでみられるようになり,結果として斜面災害の多発,といったことにつながっていきます,という話なのですが,著者先生はそこで止まらず,冷戦構造と斜面災害の関係にまで言及します。いやびっくりしました。

pp.197-198
 戦後,わが国の都市計画の前提となったのは「持ち家政策」である。童謡の施策は,冷戦構造下の西側各国においても強力に推進された。米国では,ウィリアム・レビットが始めた,プレハブ住宅による郊外型ニュータウンの開発がその代表である。後に「郊外(サバービア)の父」と呼ばれるようになるレビットは,安価な住宅を多くの退役軍人に供給する理由として,”誰でも自分の家と土地をもっていたら共産主義者にはなれない”と述べている。実際,レビットタウンの一戸建てに住む専業主婦は,資本主義陣営の戦略兵器であったとも言われている。
 以上のように,現在そして将来,わが国の都市で頻発する(であろう)宅地谷埋め盛土地すべりの背景には,「冷戦」,「甘いリスク(防衛)認識」,「土地の錬金術」という戦後レジームの三段論法が存在する。それから脱却し,この難しい問題の解決への第一歩は,「人に個性があるように,それぞれの土地の地盤条件は異なるので,どの場所にどのように住むのかを決めるのは自分自身の責務である」と言う,当たり前のことを確認し合うことであると思う。

*1:私の記憶にあるのは第142回「京都御所」や第65回「神戸の街」