怪談に学ぶ脳神経内科

怪談に学ぶ脳神経内科

怪談に学ぶ脳神経内科

  • 作者:駒ヶ嶺 朋子
  • 発売日: 2020/04/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
図書館で偶然見かけ手に取ってパラパラとめくってみたら,「怪談」という言葉から連想するような興味本位な感じではなく医学として真面目に検討されている様子だったので,読んでみました。

本書は奈良時代から大正時代にかけて「時間留学」し,当時のひとびとにはオカルトもしくは超常現象と思われたであろう現象を,冷静な脳神経内科医の眼で見つめ直している。疾患についての現代的知識を整理して,その疾患についての理解を深めるとともに,病歴を深く読み取ることの大切さを改めて教えてくれる。

『今昔物語』など昔の文学にある”お話し”を,脳神経内科の立場から症例検討しています。文献もしっかりひいてあって,医師向けの業界雑誌のコラムとして連載されてそうなイメージでした(笑)。
医師でない私には分からないところも多々あるのですが,多少は精神科系の知識があったので,興味深く読めました。

読み進めて最終章「第10章 あの世からの来訪—看取り,その先のこと」で,予期しない出会いがありました。
「悲嘆幻覚」についてです。

p.158
 悲嘆幻覚とは親しい者を亡くした後,その者の気配を身近に感じたり,姿を見たり声を聞く現象である。1970年代の調査では,配偶者を亡くした293人への聞き取り調査で,46.7%が亡くなった配偶者の幻覚やそこにいるような錯覚があると答えた。

p.159
 2011年の東日本大震災後,霊体験がちらほら出ていることが言われ,いくつかの本が出た。それは悲嘆幻覚のまとまった数の報告だろうと思い,読んでみると,ここに引用できないほど悲しく胸が締め付けられる事例が並んでいた。

この「いくつかの本」とは,

呼び覚まされる 霊性の震災学

呼び覚まされる 霊性の震災学

  • 発売日: 2016/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
などを指していますが,↑の本の編者の金菱清先生の放送大学授業「災害社会学」をこの夏視聴学習したので,こんなところで出会うとは!と思いました(放送大学テキストだけで↑の本は読んでないのですが)。

pp.159-160
 幻覚などと呼んでは,まるでそうした現象の本質が「幻」かのようなすり替えになりかねない。本質は,残された者からの亡くした者への思いであり,そこまでの時間に,亡くなった本人と残された者との間に築かれた確かな時間が,その現象をそこにあらしめている。残された者一人の問題ではなく,双方向の,あるいは社会全体のつながりが,そこに死者を現前させ得る,医学が,学問だからとその尊い領域に土足で踏み込むことは避けたい。
 しかし社会学的調査の本が上梓され,話題になった時に,真偽が言われたり,震災の地で起きている「精神疾患の例」として,薬でなんとかしたほうがいい,といった論調で取り上げられることがあるのを見かけた。悲嘆幻覚には向精神薬抗うつ薬は無効で,また治療が必要であるどころか悲嘆幻覚があることで精神的な安定が得られる可能性さえ指摘されている。皆で思い出も悲しみも共有すること,一人で抱え込まないことはさらに,苦しみを緩和するだろう。そうであるのに,むしろ話の信ぴょう性が疑われ,疑われないように秘匿され,個人に閉じ込められていく,あまりにも知られていない,ということが歯がゆく,この場で述べさせていただくことにした。
 幻覚を来たす疾患の鑑別として挙げられる統合失調症うつ病双極性障害は的確な治療で改善が期待できる。だから早期発見を,ということには大賛成であり,治療をためらうべきではない。また「悲嘆幻覚は本物の幻覚なのか?」という考察をしている精神科からの報告では,合併した抑うつに対して薬物治療を要していた。

医師なんだけど,一方的に医学的にビョーキだよねといって片付けていいものか?!と,物申しておられる姿勢が素敵です。

なお,こんな文学×医学,それも両方それぞれきっちり書ける著者先生ってどんな人?と奥付を見ると,
「2000年早稲田大学第一文学部卒」の詩人で,「2006年獨協医科大学医学部卒」の「医学博士」だそうです。
わお。