田舎暮らしに殺されない法

田舎暮らしに殺されない法 (朝日文庫)

田舎暮らしに殺されない法 (朝日文庫)

別に田舎で暮らしてみたいと思っているわけではありません。
どちらかというと都会というかマチでずっと暮らしていきたいたちです。
ではなぜ本書を読んでみたか?
最近,日本は実は全体が丸ごと大きな田舎なのではないか?では,田舎とはいかなるものか,”田舎の研究”がもっと必要なのではないかと,思うことがあったところに,何かの拍子で本書が目に入り,興味がわいたからでした。
内容は想定の範囲内で,便利な都会でぬくぬくと暮らしてきた人間が,定年後に”豊かな自然””温かい人情”といったものに生ぬるいロマンを求めて,田舎移住をすると,死ぬ目に遭うぞと,田舎暮らし人の立場から,叱り飛ばしている感じでした。
そのどうだどうだ田舎は自然は厳しいぞと,たたみかけてくる様は,あまりにも真剣過ぎて転じて一種のギャグにも感じられるほどでした。
読もうと思った当初の目的とはずれていますが,いやいやなかなか面白かったです。

ところで,本書で叱り飛ばしている対象=読者は一体誰を想定されているか?について,本書を読み進めていると,所謂団塊の世代(の定年後のオッサン)であることが分かります。その記述が,2ページにわたる切れ目ない一文で一気に畳み掛けられているところがまたなんとも迫力がありまして,これもかえって笑えてしまいました。

pp.88-89
余談になりますが,団塊の世代と呼ばれているあなた方は,いわば幻想の世代でもあるのです。現実のなかの現実とも言える戦争が終わったところからこの世に生を受け,戦勝国家から押しつけられた自由と民主と平和という理念のかたまりである政治形態を鵜呑みにし,あたかもこれからの人間たちが正義と共に生きてゆかれるかのごとき錯覚にとらわれ,国家悪は必ずや滅びるものと信じきって機動隊に石を投げつけ,大学構内を占拠し,所詮は机上の空論でしかない,子どもじみた発想による革命ごっこを実践すればたちまち万人が平等の立場に立てる国家の誕生となるのではないかという熱に浮かされ,ひとたびはしかにも似たその熱病が去ると,たちまち豹変し,学歴社会に調子を合わせるだけで世渡りができるものと誤解してしまい,急速な右肩上がりの経済の恩恵に進んで浴し,上辺だけの物質的な豊かさを堪能しているうちに本物の現実からどんどん引き離されてゆき,広告やマスメディアや映画や小説が現実の主導権を握っているところのイメージのためのイメージという害毒に侵されつづけ,そのことに酔い痴れ,いくら年齢を重ねても本当の自分や現実の正体を把握できないまま,それとは気がつかないあいだに,足場のない分だけ美しくて浸りやすいイメージのあれこれをおのれの価値観の基盤とし,発想と行動のすべてを実体のかけらもないその尺度に委ね,社会と,職場と,誰もが毎日呑めるようになった酒と,本当に強くなったのではなく,強く見せかける芝居が上手になっただけの,実際にはとても弱い女性とに寄り掛かり,現実が現実であることを把握する機会を自ら放棄し,逃げ癖がつき,逃げ口上ばかりが巧くなり,それこそが粋な生き方なのだ,より人間的な人生なのだという卑劣で愚劣で憐れな答えに本気でしがみつき,浮薄で,不気味で,どこまでも自分本位なイメージ人間と化したところで,職場というあなた方にとっては絶対的であった後ろ楯を奪われ,今度は自己の生存能力をとことん試される過酷な余生へと投げ出されてしまったのです。

そうだそうだそのとおりだー(笑)
でも続けて叱咤しながらの激励もしているちょっと年上ぎりぎり戦前(1943年)生まれの著者が,また面白い。

p.90
遅きに失するかもしれませんが,これを機に目を覚ましたらどうでしょうか。現実を直視できる,独立した一個の人間を目指してみたらいかがでしょうか。
第二の人生とやらを始める意義があるとすれば,その辺りに重大なヒントが隠されているはずですし,この世を生きる悦びといったものがあるとすれば,そこに見いだせるかもしれません。