1995年

1995年 (ちくま新書)

1995年 (ちくま新書)

1995年は終戦50年目の節目に当たる年である,というだけでなく,日本が”これまでのようにはいかない時代”に突入した象徴的な年であると感じています。
そんな感じへの答えを求めて読んでみました。
内容的には”軽い”です。Amazonのレビューでは出来事の羅列に終わっているという指摘が複数あります。同感です。
ただし,とりあえず多方面にわたって1995年という横断面を示しているという点では資料的価値のある一冊だと思います。

予備校が教育を救う

予備校が教育を救う (文春新書)

予備校が教育を救う (文春新書)

東信堂の「アクティブラーニング・シリーズ」(全7冊)のどれかを読んだときに知り,どんな内容かと気になって読んでみました。
正直言うと,タイトルと内容は不一致だと思います。でもおもしろかったから許す。(^皿^)
著者はK合塾の元教務部長で,R命館大の客員教授にもなられた方です。
3部構成で,

  • 第1部 予備校のお話

K合塾のインサイダーによる予備校の歴史とよもやま話。楽しく読めます。

  • 第2部 学校のお話

公的学校の枠外にある予備校インサイダーが考える,教育論。自分理論だけど一理もある。

  • 第3部 大学のお話

大学はいかにあるべきか。こちらも自分理論だけど読むべきところあります。

自分にとって衝撃だったのが,「第二次ベビーブームが学校を破壊した」という指摘。

p.119
十年にわたる18歳人口の増加と大学・短大合格率のダウン,つまり大学入試競争の激化は中等教育に取り返しのつかない傷あとを残した。予備校はその最中にあって,中等教育がある意味で瓦解していくさまを,毎年入学してくる生徒の変わりようを通じて目撃していたのである。

※「十年にわたる」→1982年~1992年
どのように生徒が変わったというと,手っ取り早く「正解」を求めることにしか専ら興味がなく,知的好奇心に欠け受身な子どもたちの姿が描写されていました。
その背景として,「高校が予備校のお株を奪って,知識の記憶,ドリル,正解発見のテクニック授業に走り出し」(p.122)たことがある,と指摘しています。
ここで,えっ?では高校はそれまでどんな教育をしていたのか,と思いましたが,なんと著者は次のように述べています。

p.125
かつて高校と予備校の間には不文律の分業があった。それは予備校のひとりよがりかもしれないが,確かに分業があった。高校では教科の本質を教える。教えるというより伝える。数学の教師ならば,私がなんで数学に熱狂して,ついに数学教師にまでなってしまったかを,「ほら,数学はこんなに美しいんだよ。まるで芸術じゃないか」と,揺るぎなき論理展開の過程で生徒に伝えていく。そして,なぜ人類は数学を手に入れたかを語り継ぐ。生徒たちはこの世の確かなものを形而上学的世界に見出して目をみはる。国語の教師ならば,なぜ俺が『古事記』の世界に取りつかれてしまったかを,倭武の章をプリントして古代の物語を語る。
それらはいずれも問題の正解とは直接関係のない世界である。高校では入試問題の正解とは直接関係がなくとも,このように教科の本質に横たわることどもを教えた。
そして大学入試問題の正解を出す技法は予備校が教えた。
贅沢すぎる教科の知性を身に纏った生徒を相手に,問題解法の技術を伝授する時こそ,予備校講師の至福の瞬間であった。

?????
こんな高校の授業があったとは,自分の体験からは信じられません。
私が知っている公立学校の教師とは,ともかく教科書を機械的に”消化”することで精一杯か,あるいは教科書を”消化”することも放棄し,そのごく一部の事柄のみを”拾い伝達”するだけ,さらには,もはや喋る気力も尽きているのか,一方的に何か”お経”を小さな声で唱えて*1帰って行くという人々という印象でした(若干一部例外はあり)。
前述の「私が知っている公立学校の教師」について,”消化””拾い伝達”は30代~40代くらいが多かった印象なので,もしかすると「第二次ベビーブームが学校を破壊した」結果の状況だった可能性も?なお50代は”拾い伝達”と”お経”が多かった印象ですが,これは単に老化による体力低下だったのかも。
ま~私のいた高校は偏差値50ちょうどの一山いくらの高校で,浪人して難関大学を目指すような”いい高校”(=K合塾に来る生徒たち)とは違っていたのかもしれません。
ただ,(定年退職後と思われる)嘱託の国語のO先生は迫力があった気がするので,高校には著者の言っているような古きよき時代もあったのかもしれないなあ・・・

その他で印象に残った事柄:

  • 「納得型」と「理解型,肯定型,あるいは予定調和型」

p.129
第二次ベビーブームが残した爪あとで,もうひとつ見過ごせないものがある。納得型の生徒の成績的沈殿である。
「納得型」というのは,生徒の学習に向かう姿勢のひとつのパターンで,K予備校講師らの造語である。反対のパターンを「理解型,肯定型,あるいは予定調和型」などと言う。納得型の沈殿とは,第二次ベビーブームの進行の過程で,ペーパーテストの成績上で納得型が上位から消え,次第に下位に沈殿しはじめた現象を指す。

p.129
まず,理解型,肯定型,予定調和型である。このパターンの生徒の学習に向かう姿勢として特徴的なことは,常に肯定的であるということだ。授業を受ける時,先生の話すことはすべて正しいという前提で受け入れる。教科書に書いてあること,書物に書いてあることもすべて正しいという前提で理解する。
これに対して納得型は,極端に言えば,先生の話すこと,教科書や書物に書いてあることは,森羅万象に照らして本当なのかという,疑いの目をもって受け止める。

かつては「納得型」も「理解型」どちらも成績上位に混在しており,「納得側」は京大クラス,「理解型」は東大クラスの典型であった,ようなことも書いておられます。しかし近年「納得型」がペーパーテストで成績振るわず下位に沈殿しはじめた背景として,第二次ベビーブームで小中高の先生方が繁忙を極め,「納得型」にじっくり向き合い伸ばすきっかけを与えるだけの余裕がなくなったのではと書いておられます。
けれども今後の社会には「理解型」だけでなく「納得型」の特性もますます重要になってくるだろうから,「納得型」の子どもをいかに育てるべきか,初等中等教育の場で問われるべきであるとも指摘されています。
ううむ。最近流行のアクティブラーニングこそ,「納得型」がイキイキできるきっかけになるといいですねえ。

  • 役割による大学の三分類

p.164
大学を役割別に,仮に次の三つに分類するとしよう。
(1)研究者,高級技術者養成大学
(2)専門職業人養成大学
(3)よき社会人養成大学

偏差値でいうと,(1)が難関大,(2)がやや難~中堅,(3)がそれより易しい大学,になるだろうが,特に(3)の学生をいかに育てるかがこれからの日本社会にとって重要だと述べておられます。
ポイントは,
人には勉強が得意な者,体を動かして働く方がいい者,いろいろある→大学新卒サラリーマンの道,だけでなく,それぞれの特性を活かして働くことができる社会を→「つまり巨大な会社や法人などの組織が主体ではなく,自営業の存在をある程度のウエイトで許す,あるいは必要とする社会でなくてはならないのではないか」(p.187)→「好きでない勉強以外の領域で,彼らの能力を開花させるような場所を提供」(p.188)する「よき社会人養成大学」を→「何らかの技能,資格を得ることのできる場所を提供」でき,「できればそこで得たものを拠り所として,将来自営できることが望ましい」(p.188)

p.189
そんなものは専門学校じゃないかと言われるかもしれない。そのとおり。専門学校に近いかもしれない。しかし,大学という名のついた専門学校を希望する子どもたちが大量にいるならば,それに応えればいいではないか。
そんな学部学科は文科省が大学として認めないという声があるかもしれない。いいではないですか。学部学科の名前は従来の定番のままでいいではないですか。

まるで「専門職大学」の予言?
専門職大学・専門職短期大学:文部科学省
文科省が認めてますね!

*1:高3の現国教師は,私は病み上がりなので大きな声が出ませんし,しんどいので座って喋りますと最初の授業で宣言していた。いやまあそれはいいけれども,ハンディマイクを使うとか,板書がままならないなら,プリントを用意するとか何か工夫ができたのではないかなあ・・・

阪急沿線の不思議と謎

先日読んだこの本↓よりも前に同じ監修者で出されていたことに気がついて,読んでみました。
lionus.hatenablog.jp
阪急電車だけでなく沿線のトリビアが満載です。

生き返るマンション,死ぬマンション

図書館の新着図書棚で見かけ,読んでみました。

  • マンションが大量に売り出された1999年
  • 日本のマンションの3割は2000年から2007年までに建てられている

p.33
日本は,かつて円高不況を,平成バブルで凌ごうとした

そしてその平成バブルのつけを,マンションバブルを起こして凌ごうとしたとのことです。
加えて,1997年のアジア通貨危機も背景にあったとも。

p.26-27
(1)建築基準法を改正し,建築確認や検査を民間に開放し,住宅を大量に作れるようにした。
(2)住宅金融公庫の住宅ローンの金利を2%まで下げ,大型ローンを組みやすくした。
(3)マイホームを買った時に税金が戻る住宅ローン控除を,過去最大に大型化した。

ううむ。

  • 10年後,築40年を超えるマンションが162万戸になる

「つまり,今あるマンションの約4分の1が築30年以上」(p.104)
モノである以上建った時そのままではなく,経年劣化し住むには支障が出てきて建替えが必要になってくるのですが,その頃には各戸のオーナーは高齢化して,修繕・建替えの負担に耐えられない,じゃあどうする?ということへの提案が本書では様々な事例を通じてなされています。
それらの事例は読めば感心するのですが,じゃあ自分が住んでいるマンションではそれができるのか(なお私は賃貸でマンションオーナーではありません)?
要するに,マンション管理組合がマンションを経営的視点(=資産価値を維持という保守的な姿勢にとどまらず,資産価値をアップするくらいの積極性が必要)で運営していくくらいの体制が必要である,ということだと,各事例を読んで思いました。
マンションは様々な思惑・事情をもつオーナーたちの共有物であるが,何をするにも合意形成が必要(でもそれはしばしば困難)であるというハードルをいかにクリアできるか,そのヒントは示されている点は評価できますが,実行が可能かというとなかなか困難でしょうね・・・

大学生の日本語リテラシーをいかに高めるか

大学生の日本語リテラシーをいかに高めるか (大学の授業をデザインする)

大学生の日本語リテラシーをいかに高めるか (大学の授業をデザインする)

以前読んだ『アクティブラーニングをどう始めるか』で,
lionus.hatenablog.jp
教員どうしの「ビリーフス」の違いを可視化し共有する手法「チェックアンドシェア」について書かれている本として引用されていたので,読んでみました。
結論からいうと,「チェックアンドシェア」の具体的内容まではいまいち分からなかったのですが,本の主題である大学生の日本語リテラシーを高めるための日本語表現法授業の実践について色々読めたのはよかったです。

p.21
自ら問題を発見し解決するという知的な活動には言語活動の下支えが必要になってくる。問題を理解してそれらを構造化する作業には言語を介した知的能力が不可欠である。分かりやすく言えば,モヤモヤした自分の問題感覚を言語化してまさに問題意識とすること,他者と問題や課題を共有しそれらを解決するためには言語を介したコミュニケーション力が不可欠であること,また自他のコミュニケーションを「メタ化」してその過程をふり返る際にも言語能力は必要であること,さらにレポートや論文の作成,プレゼンテーションのプロセスは言語を介した思考のプロセスそのものであること,などと捉えることができる。

日本語表現指導といっても,実用文の書き方からアカデミックライティングまで幅広く,特に後者については所謂初年次ゼミなどにも非常に参考になる内容だと思います。

「魔女の一撃」=ぎっくり腰とトランジット火星など

今年の8月は,「ぎっくり腰」でにっちもさっちも行かなくなり,ほぼ1か月近くあらゆる生活動作が不自由で,ほぼ1か月を棒に振った印象です。
もともと腰痛もちで,初発は14歳,近所の整形外科でレントゲンなど撮ってもらっても原因特定できず,牽引などしてもらっただけでいつのまにか自然治癒(?)。
次は30歳になった夏,オーバーワークで動けなくなり,寝てばかりいたら,腰痛発症。以後,寝る→朝起きる→腰痛くて体が曲がらない洗顔できない→何となく動いていると緩和してくる→夜寝る→翌朝また腰痛い,が日常的になっていました。
しかし,2013年の夏頃に「自力整体」を始め,その後スクワットも始めてみたら,いつの間にか腰痛がほとんど感じられなくなってよかったなあと思っていたのに,がっかりでした。

今回の経緯を,占星的に振り返ってみたら,どうもトランジット火星が影響していた感じです。覚書として記しておきます。

7月20日頃 T火星獅子座入り 思えばこの頃から,椅子から立ち上がったときなど,何気ない動作で腰が”ぎくっ”とすることがちらほらあった。
8月8日 満月(月は水瓶座)
8月10日~11日 T火星,ネイタル太陽を通過
8月13日の晩 N火星にT天王星&T月合 腰に”魔女の大打撃”,痛みでしばらく立ち上がれなくなる。泣きそう,というかホントに痛くて泣いた。ものすごいやばい感じ。
8月14日 一晩寝て,ひとまず動けるようにはなる。
8月15日 T月@牡牛とT太陽@獅子のスクエア 朝起きて腰痛いなあと思ったが,今までの経験から,朝痛くても,動き回っているうちに軽快することがほとんどだったので,外出したが,時間が経つほど痛みが増していき,夕方頃には痛くて息ができない(呼吸が浅く),座っていると冷汗が出る感じに。今まで経験したことのないやばい感じ。
8月18日 知人から紹介された整形外科に朝一で電話→初診予約8月23日午後に*1
8月22日 新月@獅子座はN火星合T天王星とトライン
8月23日午後 T太陽乙女座入り&N土星セクスタイル T木星はネイタルのアセンダント&N天王星と合,T木星&NAsc&N天王星を頂点としたT土星,T火星の小三角ができていた 整形外科で診察&施術を受けた直後から,日常動作はできるくらいには動けるようになったものの,全体的には痛み半減くらいで,ふとした動作や姿勢で痛みがぶり返すことが続く。
特に椅子に座っていると痛みが憎悪するので,30分以上続けて座り続けないようにするなど注意深く生活。したがって9月頭まで,ほぼ自宅療養状態。
9月5日晩 T火星が乙女座へ移動 9月5日の午後くらいから,ずっと感じていたやばい感じの痛みが感じられなくなってきて,「おや?」という感じ。
9月6日(今日) 朝起きたときから痛みはほぼなし。でもまだ油断したら駄目だと思っているけれども。

昔のはてなダイアリーの方で書いたことがあるのですが,lionusはネイタルのAscがとてもよく効くタイプで,特にトランジット木星が通過するときには棚ぼた的事象があったりするので,それを自覚して以来,T木星アセンダントヒット=チャンスが来たら逃さないぞと何かを待ち構えるようにしています。
T木星は逆行するので,今回のT木星@天秤のアセンダント通過は去年の12月~1月にもあって,その”チャンス”は自分なりにはキャッチできたと思っています。
そして,今年夏のT木星アセンダント通過が今回のT木星@天秤では最後なので,何かな何かなと思っていましたが,今回はどうも,良医=知人に教えてもらった整形外科に出会えたということになるのかもしれません。
まあ”良医”かは,まだ結論は出ていませんが。
この腰痛問題の展開については,今後できれば続報書きたいと思っています。
整形外科教えてくださった知人には感謝です。

*1:今回受診した整形外科は,二回目以降は予約不要だが,初診のみ要予約とのことで。

PROG白書2016 現代社会をタフに生き抜く新しい学力の育成と評価 -2020年大学入試改革を見すえて-

現代社会をタフに生き抜く新しい学力の育成と評価 (PROG白書2016)

現代社会をタフに生き抜く新しい学力の育成と評価 (PROG白書2016)

こちらも,『アクティブラーニングをどう始めるか』→この本で取り上げられていたので読んでみました。lionus.hatenablog.jp
PROG白書2015は大学生版でしたが,lionus.hatenablog.jp
こちらのPROG白書2016は,項目を高校生用にアレンジして実施したものです。やはり大量観察データなので,面白かったです。
印象に残ったポイントなど断片的に:

  • 学力の3要素は独立である

「教科学力」「リテラシー」「コンピテンシー」は相関ほぼなし
→教科学力(英語,数学,国語)がいまいちでも,コンピテンシー,例えば対人基礎力がよかったりする場合もあるので,それぞれの特性に合わせた教育や進路指導の可能性。

p.88
対人基礎力は中・高校時代に身につけたという回答が圧倒的に多い。次に多いのが大学時代だが,統率力を除けば,小学校時代との差は相対的に小さい。

p.89
この調査および前項でみた結果から,大学でのコンピテンシー育成は対自己基礎力や対課題基礎力に集中し,対人基礎力は高校までに育成するのが効果的・効率的と推測される。

※前項でみた結果→高1,高2ではコンピテンシーの伸長はほとんどみられない。
しかし,だからといって大学で対人基礎力育成をしなくてもいいというわけでもないとも。

p.113
対人基礎力は「大学段階では育成しなくてよい」ということではなく,高校段階までに育成される「親密圏の対人基礎力」を社会で求められる「公共圏の対人基礎力」へと拡張していく配慮が求められる。

最後に,高校生の結果だけでなく,某国立大学でPROGテストを2回受験&大学生活に関するアンケートに回答した結果の分析が印象的でした。

pp.109-110
3つの基礎力(対人,対自己,対課題)に共通して,学習態度と学生生活への適応の違いがコンピテンシーの伸長に影響を及ぼしていることがわかる。一方,授業経験や活動時間といった数値にほとんど差がみられないのも,3つの基礎力ともにいえることである。
つまり,単に授業に参加しているだけではダメで,その取り組み方がコンピテンシーの伸長に大きな影響を及ぼすことが判明したわけである。極めて当たり前のことともいえるが,重要なファクトでもある。
アクティブラーニングやPBLは,ジェネリックスキルを効果的に育成する手法である。しかしこれらは,学生が積極的に授業に関与する場の設定方法として,また,その姿勢を引き出す手段として効果的なのである。重要なのは,学生が積極的に授業に関与することであり,そのような学習態度を喚起する仕掛け作りである。有効な仕掛けであれば,必ずしもアクティブラーニングやPBLでなくてもよいのかもしれない。指導者には,アクティブラーニングやPBLを導入して「それでよし」とするのではなく,ジェネリックスキルを育成という目標のために教育手法を改善し続けることが求められる。