人類にとってエイズとは何か


こちらも広瀬弘忠先生によるエイズについての本です。先日書いた記事の本よりも後(本書は1994年)の出版です。
第1章にある「図1-1 現代社会のインデックスとしてのエイズ」という図は,感染症と社会について参考になる考えだと思います。

  • 五つの構造的誘発因子:大規模な地理的移動,活発な社会移動,人口の都市集中,性的解放,社会規範の拘束力低下
  • 五つの促進要因:偏見・差別,文化のバリア,政治的不安定,貧困,不均衡な富の配分
  • 五つの抑制要因:愛他的風土,高い教育程度,人権重視,バイオ・メディカル・サイエンスの進歩,経済的豊かさ

本書では,貧困がエイズ感染の拡大要因になっている状況(特に発展途上国)と,エイズ感染者の人権と感染防止対策のバランスについて書かれているのが印象に残りました。
後者について,

p.21
エイズ患者は, すでに述べたように,偏見と差別の対象になり,人間としての当然の権利を奪われかねない。偏見は,そもそもは人間の自己防衛メカニズムに由来している。すなわち,それがもたらす危害や悪影響から自らを守るために,そのものと自分との間に張るバリアのことなのである。偏見は二つの段階を経て完成する。まず最初に差別化の段階がある。自分たちとは異なり,かつ有害なるものとして,対象が分離される。次の段階で,その対象にバリアの網がかけられ,標識がつけられる。このようにして偏見ができあがるのである。

感染者ではないが,新型コロナウイルス感染の危険にさらされている医療従事者の子どもの保育拒否など,感染者(かもしれない)人への偏見や差別が起こっていることと同じだなと思いました。
しかし,単に感染者を遠ざけるだけではエイズ感染の広がりを抑えることはできないと書いておられます。

p.21
 人権に対する配慮を欠いた社会では,中世ヨーロッパの諸都市でとられた流行病の患者に対する社会的隔離政策が,形を変えて現代のエイズにも適用されかねない。たとえば,キューバが行なっp22ているエイズウイルス感染者に対する隔離措置や,かつてマレーシアが行おうとしたところに計画などがそれである。だがこれらの施策は,結局のところ,エイズの流行を抑えることには役立たないばかりか,患者や感染者を苦しめ,その結果として,社会は,エイズの流行を制御できなくなってしまうのである。
 ここでエイズウイルス感染者の人権を重視せよというとき,感染者もまた,他人にエイズウイルスを感染させない責任を負っていることも明白である。感染者の受けている医療やその職業生活が保障されなければならないし,プライバシーは守られなければならない。しかし,彼らが,過去に知らずに感染させてしまったかもしれない人々には,その危険の存在を警告する義務があるだろう。また,相手に十分に感染の危険を説明し,理解を得たうえでなければ,性行為など他人を感染させるリスクを犯してはならないのである。

p.22
 患者・感染者の責任と義務が果たされることによって,人権の重視はエイズの流行を抑えるメイン・ブレーキとなる。

上記は今回の新型コロナウイルスにはあてはまるところと,そうでないところを区別する必要がありますが,感染者がその病気以外に無用な苦痛や不利益をこうむるような状況を避けなければ,かえって感染が広がってしまうということを自覚しておかねばならないと思いました。

また,本書ではエイズの感染リスクを負っている医療従事者の人権と,エイズに感染した医療従事者に治療を受けることによりエイズ感染するかもしれない患者(一般市民たち)の知る権利とのバランスなど,感染症をめぐる「医療従事者と患者の相互不信」の問題について,エイズに感染した歯科医師(自らの感染は知った上で診療を続けた)と,彼に治療を受けエイズ感染した患者たちの事例をめぐり書かれていることは,考えさせられます。