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私の日本地図4 瀬戸内海 I 広島湾付近

瀬戸内海I 広島湾付近 (私の日本地図 4)

瀬戸内海I 広島湾付近 (私の日本地図 4)

lionusは生まれたのは広島市で,その後千葉県市川市に移ってそこで小1の1学期までを過ごしました。
私が住んでいたあたりは,かつて葛飾の一部に含まれていたそうで,昔からの風情がところどころに残る地域でした。
そこから,再び広島市に戻ってきて,大学に入るまでを過ごしたのですが,広島に戻ってきて衝撃を受けたのが,
「(同級生の)男の子が自分のことを”ワシ”と呼んでいる」
ことでした。
えっ,ワシ?,ぼく,とか,おれ,じゃないの?こどもなのにおじいさんとかおじさんみたい・・・*1
広島に生まれ育っているのにどうにも広島に馴染めないまま10年以上を過ごしたのですが,本書の次の記述のところで,ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けました。
そうそう!そうなのよ!そうなんだ!そういうことなんだ!と。
長くなりますけれども端折る気持ちになれませんので,貼ります。

pp.50-52
人が一定の場所に住み,そしてそこが次第に大きくふくれあがってきて,その周囲の景観や生活条件をかえていくことは,かならずしもわるいことではない。だが,一つの町が成長していくにあたって,その周囲を無秩序に荒らしていくようなことがあるとすれば,それは荒らす方も,荒らされる方も不幸なことである。私は広島をおとずれるたびにそう思うのである。いったい,広島のような大きな町ができたからといって,広島人の築いた文化というものがこの町にあるのだろうかと思ってみる。大きなビルがたちならんだからといって,それが一般人にとってどれほどのかかわりあいをもっているのだろうか。そこに勤めているものはそれでよいとしても,一般人にとっては,ほとんど意味をもたない。文化が高いということは,一般人にまず何よりも精神的なゆたかさを与えるものでなければならないと思うのだが,広島にはどういう高さがあるだろうか。
広島の人は「原爆を食いものにする」といわれることをいやがるけれども,事務的なこと以外で広島をおとずれる者の大半は,原爆の町であり,原爆ドームや記念館に心をひかれて来た者ではなかろうか。それ以外に,いったいこの町に人の心をひき,人の心にのこるようなものがどれほどあるであろうか。広島はおだやかで美しい環境にめぐまれている。そういう環境をより美しいものにしてゆくことも文化というものではなかろうか。あるいは,人びとの心をゆたかならしめる公共の施設をより多く持つことも,こうした地方中心都市の任務ではなかろうか。ところが空から見て,「まだ荒れきってはいない」という何とない安堵はおぼえるにしても,この環境をより美しくしようとするような努力は,空の上からはどこにも見えないのである。そして,やがては空も水も山もうすよごれた町になるのではなかろうかという不安さえおぼえる。
私の目には広島は実に若い町としてうつる。長いあいだ城下町であったし,またそのあと軍都として栄えた。そういうものを終戦を境にして,かなぐりすてて再出発した。もう,もとの広島ではなかった。それだけに,広島が広島であるための文化を生み出していく努力がなされていいのではないだろうか。そういう努力がないのではない。むしろ非常につよいのではないかと思う。広島カープという弱い球団を支持し続けているのも,単なる地方的劣等感だけからではないと思う。広島に根をおろしたテレビや新聞の活動を見ても実に意欲的である。しかし,それらがなかなか一つに凝集しない。しかも周囲の人たちは,広島がより広島的であってくれることをのぞんでいるのではないかと思う。交通網が発達して,広島への通勤区域がひろがってくることによって,山地の人も広島への通勤がふえた。つい10年たらずまえはずいぶん奥深いところだと思ったところも,近頃おとずれてみると,時間は何ほどもかからない。さらにその奥の地帯では,いままで山間の小さな町で買物などしていたのが,みな広島へ出るようになり,山間の町はさびれはじめたともきく。このようにして,広島の吸引力は急に強いものになってきて,村とのむすびつきは大きい。
ところがさらにその奥,広島との交渉の比較的少ないような山地では,急速な人口減,さらには廃村さえも目立ちはじめている。もし,広島の繁栄が,山村の廃絶ともつながるものであるとするならば,悲しいことである。広島の繁栄が山地の繁栄にもつながることにならないものかどうか。またそういう対策はたてられないものであるだろうかどうか。
大きな町がその接続する地区を食い荒らすような形で発展していくことと,山村の荒廃との間には大きな関連があるように思えてならない。山村の荒廃は自然現象であるとして投げ出すのは,あまりに能のない話であり策のない話である。ほんとうは僻地山村はそこにつながる地方都市が何らかの形で,僻地の支えになってくれることをより強くのぞんできるのではなかろうか。そしてそのような対策も真剣に検討してゆけば不可能ではないと考える。本来,地方文化はそうした発想と努力の中に生まれ育ってきたように思う。地方都市の衰弱は周囲の村々から地方中心都市のエネルギーを吸収しつつ,そこに返すべきものを十分持っていないことに原因がありはしないだろうか。

同じシリーズの『京都』で,京都より北の丹波やさらに敦賀など日本海側とのつながりが深いと言っていたのとは対照的です。
食い荒らすような形で発展,というのは,戦後の物事のスピードが速すぎることも一因なのかもしれません。
周囲の山地との関係では,飛躍しすぎかもしれませんが,2014年の広島豪雨災害=広島通勤圏の拡大に伴い,郊外の山地をゴリゴリ開発して家を建てたところの水害,も想起しました。

*1:いやおじいさんとかおじさんが嫌なわけではなくて,こどもなのにすでにある種のおっさんがもつ傲慢不遜な雰囲気が漂ってしまっているような印象を受けたのです。広島男子ごめんなさい。あくまでも当時の記憶ですので。