コンピューター200年史―情報マシーン開発物語

「第1章 コンピューターが人間だった頃」すなわち、”コンピューター=計算する人;とくに天文台や調査機関などで計算するために雇用されている人”と定義されている職業があった頃から、バベッジの階差機関、計算機械やパンチカード機、ENIACメインフレーム、パーソナルコンピューター、そして最後はインターネットが一般の人にも広まる直前までの流れが記述されています(原書出版は1996年、訳本は1999年出版)。
関わった人たちや企業・組織の動きと、その背景にある技術動向や社会的な動きを広く浅く書いていますが、これだけのロングスパンで”コンピューター”を扱った本は読んだことがなかったので、すごくよかったです。
歴史の流れを知ることで、現在の状態の理由(経緯や背景)も分かるような気がするし、これぞ温故知新という感じです。

飼いならす――世界を変えた10種の動植物

書名にある「10種の動植物」とは、イヌ、コムギ、ウシ、トウモロコシ、ジャガイモ、ニワトリ、イネ、ウマ、リンゴ、そしてヒトです。
主に考古学と遺伝子学の知見をひきながら、「10種の動植物」がいかに人間に飼いならされていったかが書かれています。
さらさらと読める本ではありませんが、特に遺伝子学分野の知見は興味があったので、面白く読めました。
また、イヌやウマはもともと社会的な動物だけれども、同じように社会的な動物は他にもいる(ミーアキャットなど)のに、なぜイヌやウマが家畜化された(飼いならされた)のかとか、色々はっとする記述がありました。
本書の内容のまとめ的なところをひいておきます。

pp.379-380
 多くの場合、飼育栽培化は意図せぬプロセスとして始まったのではないか。種と種が出会い、ぶつかり合い、近しくなり、ついには進化の歴史が絡まり合ったのだ。われわれは、自分が主人で、ほかの種は自発的な僕(本文ふりがな:しもべ)か奴隷だと当たり前のように考えている。ところが、われわれが動植物と結んだこうした契約関係は、それぞれに異なる複雑なもので、共生や共進化の状態へと徐々に進展した。最初にこの協力関係が築かれたとき、背後に思慮深い意図はほとんどなかった。人類学者や考古学者は、動物の家畜化に至る道筋を主に三つ示している――そして家畜化は、ひとつの「出来事」ではなく、むしろ長期にわたる進化のプロセスなのだ。ひとつめの道筋では、動物がヒトを選び、われわれから資源を手に入れた。距離が縮まると、その動物はわれわれと共進化しだし、ヒトの仕向けた選択――過去数世紀におけるイヌの品種の作出など――が始まるずっと前に飼いならされていた。イヌとニワトリは、このようにしてわれわれの協力者になった。ふたつめの道筋は、獲物からの家畜化だ。この場合も、当初は動物を家畜化する意図はなかっただろう。あったのは、ただ動物を資源として監理しようという思惑である。この道筋は、ヒツジやヤギやウシといった中型・大型の草食動物がたどったようだ。初めは獲物として狩られ、それから食用肉として監理され、やがて家畜として飼養されたのである。三つ目の道筋は一番意図的であり、ヒトが最初から動物を捕獲して家畜化しようとした場合だ。通常、こうした動物は、食肉以外にも使い道が考えられた。その最たる例が、乗用に飼いならされたウマである。

ところで、本書ではヒトも「飼いならす」もの、すなわち家畜化の対象に入っていますが、人間も特別なことはない動物であるという立場から書いていますよということを書いているのが、欧米人(著者はイギリスの人らしい)らしいなと思いました。

日本企業の復活力―コロナショックを超えて

 

今回のコロナショックを奇貨として、日本企業は待ったなしの改革で再び立ち上がれという激励の本です。

激励、といっても、著者先生は高名なベテラン経営学者ですから、それなりのデータと従来からの持論をもとに、それなりの説得力をもったお話を展開されているように読みました。

ちょっと日本買いかぶり気味じゃない?と思う面もありましたが、

pp.241-242

 私はポストコロナの時代に向けて日本企業に要請される様々な改革の動きの中で、雇用・人事の改革は本丸だと思っている。その理由は二つある。一つは、すべての改革にはそれを推進する人材が必要で、その供給をきちんと担保するためには人事部の大きな役割が不可欠だからだ。もう一つの理由は、日本企業が人的ネットワークの安定を重んじてきたために「安定が安住にすりかわる危険」があり、その状況の中で安住の罠に陥らないためには、雇用と人事の慣行を大きく変えることが必須だと思うからである。そのカギを握るのが人事部である。

非常に同意します。

正社員(メンバーシップ型雇用)を守るために、派遣や非正規を調整弁に使い、さらには正社員の給与も抑制して”カイシャ”を守ってきたのでしょうが、もうもたないでしょう。

コロナだからしょうがないという、改革が進みやすいきっかけを、人件費削減、コストカットカットでまた乗り切ろうとするのはもう無理でしょう。カイシャではなく社会が壊れます。

ウィリアム・アダムス―家康に愛された男・三浦按針

イリアム・アダムス(三浦按針)は、船が難破して日本にたどり着いたイギリス人で、徳川家康に外交顧問として寵愛されたということは知っていました。
本書を読もうと思ったのは、著者がオランダ人で、今までとは違う角度でこの人物について読めるのかなと興味をもったからでした。
なかなか面白かったです。日本・海外の両方の史料をもとに、ウイリアム・アダムスの人生と、彼が生きた時代の世界の状況をあわせて読める内容でした。
戦国時代末期~徳川幕府最初期の頃の、イギリスを中心としたヨーロッパの状況など、日本視点以外のことも書いてあるため、ウイリアム・アダムスがなぜあんなに家康に寵愛されたのか、よく理解できました。

企業不正の調査報告書を読む―ESGの時代に生き残るガバナンスとリスクマネジメント

先の記事の本と
lionus.hatenablog.jp
同じ著者の本を、引き続いて読みました。

企業不正(不祥事)が発覚して問題になると、いわゆる第三者委員会なるものが組織され、その問題の調査をし調査結果を報告書にまとめて出すということが一般的になっています。
そんな調査報告書を色々読んで分析しましたという本です。
前著よりも多くのさまざまな事件が分析されており、読み応えがありました。そして、さらに筆致がビシバシ鋭くなっていて、読みながら苦笑したり、うんうんそうだそうだそうなんだよ、と思わずうなづくところが多々ありました。
本書では、前著で示された「3つのディフェンスライン(3層ディフェンスラインモデル)」に加えて、

  • 不正構造仮説
  • 調査発注者免責の法則

といった2つの考え方が示されています。
1つ目の「不正構造仮説」とは:

p.2
 まず次の2点を企業不正の原因と考え、不正会計や品質不正を同じ構造でとらえます。これを「不正構造仮説」と呼びます。
・経営から現場への無理な圧力・指示に対して、現場側の組織防衛によって不正が起きる。
・内部統制の不備によって不正が実行可能になる。

2つ目の「調査発注者免責の法則」(なかなか皮肉が効いています)とは:

p.6
 不祥事の調査は企業側の意思と費用負担で行われるので、当局や検察の調査・捜査とはまったく違います。経営者は会社のお金を使って自分の首を絞めるような調査を頼みません。調査発注者の責任が調査されないことを「調査発注者免責の法則」と呼ぶことにします。

p.7
 調査発注者免責の法則は、調査の限界を示します。したがって経営責任まで調査していれば優れた報告書と考えるのは早計です。調査の発注者側に不利なところまで調査したものが優れた報告書といえます。このような報告書は経営者の潔さを感じさせ、信頼回復を期待したくなります。
 また再発防止策が現場中心で、経営者に厳しい再発防止策が提言されないケースもあります。これも調査発注者免責の法則で説明できます。第1部の事例をこの視点で読むと優れた報告書を見分けることができます。

さらに、「調査発注者免責の法則」が効いてしまっていて、問題の本質に十分に迫っていない(あるいは形ばかりの)調査報告書が出されて終わってしまうことを「経済公害」と呼び、厳しい指摘をしています。

その厳しい視点が特に明らかになっているのが、「第12章 調査報告書への監視と盲点」で、「日弁連の第三者委員会ガイドライン」に関して次のように書いておられます。

p.359
 裁判では勝ち負けによって弁護士報酬が変わりますが、調査ビジネスは出来の悪い報告書でも納品できる点で無リスクです。

p.359
顧問弁護士の仕事先の企業で不祥事が起きれば、別の弁護士に調査の仕事が来るので、弁護士業界にとって企業不祥事はビジネスチャンスです。
 この状況への自省感がガイドライン策定につながっているようですが、企業不祥事の最大の被害者は顧客と取引先や株主です。少なくとも機関投資家ガイドラインの策定に関わっていないと、資本市場を軽視したものに陥ります。

p.361
 日本監査役協会は、監査役が職責を果たせるように「新任監査役ガイド」を制定しています。これには改定のプロセスが説明され、改定に関わった組織や委員名・所属などが記されています。日弁連ガイドラインは公正中立な調査の指針を示している以上、監査役ガイド以上の公正性が求められます。

弁護士の”足元”を見透かすような、なかなか厳しい書かれ方です。

企業不正の研究―リスクマネジメントがなぜ機能しないのか?

かんぽ生命保険の不正販売が問題になったのは記憶に新しいところですが、(かんぽ生命保険を販売している)日本郵便ではたびたび不祥事が起こっているようです。最近でもこんなことが。
www3.nhk.or.jp
こういった企業不祥事が起こるたびに、対策としてコンプライアンスの徹底(要するにこれからはきちんとやります!宣言)とかいわれますが、法令遵守決まりをきちんと守ってやりましょう頑張りましょうと、かけ声だけでは空虚だ、不祥事(不正行為)の起こる背景、例えば組織風土、そしてそういった”風土”が醸成される組織の問題をなんとかしなければ本質的な解決にはならないのでは?とモヤモヤ感じます。
それどころか、不正販売してごめんなさい!これからは心を入れ替えて頑張ります!と喧伝すること自体が、さらなるヤバさをもたらす可能性もあります。例えば:
www.itmedia.co.jp

 現在、日本郵政グループが掲げている「すべてを、お客さまのために」というスローガンを叫べば、叫ぶほど、現場から新たな不正が報告されてしまうかもしれない。つまり、莫大な予算と、人的リソースを割いたこの謝罪キャンペーンが昨年から止まらない「不祥事」の新たなトリガーというか、呼び水になってしまう可能性がかなり高いのだ。

ご存じのように、日本郵政グループでは業績悪化から郵便局員を1万人削減することが検討されている。一方、2万4000という郵便局ネットワークは維持することを増田寛也社長は明言している。
 「人を減らして事業所数はそのまま、でもITや業務効率化で乗り切ります!」というのは、典型的なブラック企業のマネジメントスタイルだ。当然、現場で働く人たちには嫌な予感しかない。

本書を読むと、日本郵政グループ、(上記の記事引用にあるように)こりゃダメだ・・・(本質的な解決どころか、より状況を悪くしている)ということが、まじまじと実感されるようになります。
本書では、企業不正の事例を8件挙げて解説し、さまざまな事件にみられる企業不正の原因を6つにまとめています。

pp.13-14
①経営者の圧力と監査役の機能不全 ②内部統制の抜け穴 ③3つのディフェンスラインの不備 ④内部通報制度の不備と限界 ⑤固定的な人事 ⑥技術力不足

ここまでは、今まで自分が読んできた類書と同じようですが、本書が他と大きく違うなと感じたのは、それぞれの事例特有の分析だけでなく、「3つのディフェンスライン」といった枠組みで、すべての事例を一貫して分析している点です。
それぞれ内容の異なる事例を分析し、問題の焦点をあぶり出すのに有用なフレームワークを提供してくれます。
その3つのディフェンスラインとは、それぞれ:

p.15 第1のディフェンスライン
  第1のディフェンスラインは、現場レベルでのリスクマネジメントを意味します。たとえば、工事現場などで安全確認を励行するのが第1のディフェンスラインです。社内規定なども第1のディフェンスラインに含まれるものが多いかと思います。

pp.15-16 第2のディフェンスライン
第2のディフェンスラインは現場と独立な立場でリスクマネジメントを行うことです。たとえば、工場で作られた商品の品質や性能は検査部門で調べますが、この検査部門が第2のディフェンスラインになります。第1か第2かは、業務リスクをとっているかどうかで分かれます。検査部門のように業務リスクをとっていない部署は第2のディフェンスラインです。

p.16 第3のディフェンスライン
第3のディフェンスラインは、内部監査の仕事です。内部監査部は社長や取締役会直属の組織になっています。第2と第3の違いは、業務を行う執行部門にあるか否かです。

現場レベルの第1ディフェンスラインが破られても、現場を牽制(監督)する他部署=第2ディフェンスラインがあり、それが破られても(組織的に)その上の第3ディフェンスラインがあるよ(あるはずだ)ということです。
第1・第2・第3の3層が不完全である、あるいは見かけ上あるように見えても機能不全を起こしているというのが、企業不正につながる背景、ということと読みました。
本書では、この他にも企業内の組織と構造とそれらが十分に機能しているかどうかに着目するためのポイントが説かれています。
「日本リスクマネジメント学会の優秀著作賞を受賞」だそうで、いい本でした。

私道と公道の物語―横浜でのある実践記録

工学部ヒラノ教授シリーズの
工学部ヒラノ教授と七人の天才

工学部ヒラノ教授と七人の天才

  • 作者:今野浩
  • 発売日: 2013/03/22
  • メディア: 単行本
「第2章 三階級特進のロールズ助手」で

p.61
30年近くに及ぶ助手生活から誰の手も借りずに脱出し、学者スゴロクの”上がり”というべき学長ポストを手に入れたのである。

pp.60-61
軍隊で言えば、2年前に軍曹だった人が、尉官、佐官を飛び越えて大将になったようなものである。このようなことは、日本の大学史上最初ではなかろうか。

と、まさに「七人の天才」のひとりとして言及されている先生の著書のひとつで、

pp.57-58
 (藤川氏の専門分野での著書は献本されても)どれも前書きしか読まなかったが、1993年暮れに朝日新聞社から出た、『私道と公道の物語』と題するドキュメンタリーを読んだ時の驚きと感動は、今も忘れられない(この本だけは、今なおヒラノ老人の本棚に置かれている)。

と書かれていて(上記冒頭丸カッコ内はlionusの補足)、ずっと気になっていた本書を、やっと読みました。
ヒラノ教授がお書きになっている通り、ロールズの正義論を実問題に適用して解決したすごい記録になっています。
とりあえずAmazonサイトにあった内容紹介文と、

不在地主が謝礼を要求。道路がない公図。登記所が転記ミス。私道が不動産会社の抵当に、などなど、多くの難問を「正邪の論理」で解決し、わが町を美しく蘇らせた報告書。

「はじめに」からの抜き書きを貼り付けておきます。

pp.1-2
 公衆用道路(二項道路)と呼ばれる公道もどきの私道が全国いたるところにあり、これが紛争の種となっている。
 小著では、典型的なトラブルの一例として、公衆用道路に指定されていながら、公道に移管できず、また本下水道の指定区域とされながら、敷設の見通しがたたず、そのために家をいじることさえできない(建築確認が下りない)といった深刻な問題に悩まされていた横浜市の通称「ソフィア通り」のケースを取り上げてリポートした。

謝礼=本書では「ハンコ料」を要求した不在地主のうち最も有力な某氏は、この「ロールズ助手」のような人を内心待っていたのだと思います。
「小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る」という、どこかで目にしたフレーズを想起しました。